楠堂 葵が描く妖怪と詩から視えるもの | だらキャラ『もみゃりー』オフィシャルブログ 今宵もすぃ〜っと物見遊山( ̄Σ ̄@)


毎度です!事務局です。

あえて『ブログ』というカテにさせていただきました。

さて!みんなで作ろう『妖怪足袋違え』と小唄『違ってルンバ』なんですけど。

今回は投稿ちゃあ投稿なんですが…ヘタレ事務局は緊張してしまい緊張のあまり眠れず緊張のあまりにしまいには吐き気しまして、また緊張してしまいました(おいこら)そして、またこのブログも緊張するわけですよ。

私はもともとテキスト(文章)人間ではありますが、いわゆる有名人を『適度にいじる』のははじめてです。いや、ここまできたらガッツリいじり倒しますが。緊張するわけですよ(もういい!)


楠堂 葵さんが描いた妖怪『足袋違え』と作詩してくださった小唄『違ってルンバ』です。

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事務局の無知ゆえのたまもの。といいますのも、楠堂 葵さんがすごい方だということを後で知ったという…。

若手水彩画家としての注目度、ご本人はどう感じているかの部分は放置(笑)して意識してみますと、ある種異端児的な思考もお持ちのようです。ほめ言葉です。

画集のあとがきに『あなたが私とは違う見方で違うあたたかさで

時に違う涙で違う火を心にともしてくれますように』と記している。また、フェイスブックでも作品を公開していますが、葵フリーカーの方々のコメントは

瞳(目)の素晴らしさ、優しい感じがしてホっとした、あたたかくて好き、などなど優しさと温もりをおっしゃっていますが、私は正直、楠堂 葵から感じ視えたものは『違』であります。

和にも洋にも捉えることのできる、その絵、色使いを色々とたがえ、切り取ったものは、視た者の瞳(目)を通すことでまたたがえる。この妖怪足袋違えの瞳は、今あなたの瞳にどう映りたがえていますでしょうか?

『楠堂 葵の魅力は、たがえたところにあるもの』私には、そう視えています。


うちの総大将が落とした『妖怪足袋違え』これは、たびちがえ ではなく たびたがえ です。

違える とは、一致しないようにする、ちがわせる。です。うちの総大将も楠堂 葵も『ちがう』ことを好むのではなく、『だがえる』ことで拡がる世界観、それを自ら感じて愉しんでいるように思えます。

もともと、私たちKFTCという集団は、違え交ぜたりしたところをベースとし、様々な予想外、予測不可の事態や状況を目指しています。

今回のこの楠堂 葵の作品は、もしかすると彼女自身、つまりは彼女こそが妖怪足袋違え かもしれません。月を餅に見立てるのもうなづける(笑)←Twitterに迷言として残ってましたぜ、あおさん!(爆笑)

最後に、作詩部分を掲載します。


昨日も違ってでかけたわ

今日も もちろん 違えたわ

いつになったら履けるのかしら

あぁすれ違い

あぁ 左と右のすれ違い


私と足袋の人生は

今日もしとしと続いてく

あぁすれ違い

あぁ左と右のランデヴー

あぁ足袋の道


(ミスっとったらすみません)


楠堂 葵オフィシャルサイト
http://aoikusudo.com/

楠堂 葵Twitter
@ohiruneaoi

こうなったら、土下座してでも
楠堂 葵がたがえた『もみゃりー』を描いてもらわなければ死ねない。