前回の記事↑


叔母の告別式の時、「喪主に代わり…」と挨拶をした従兄弟によると

昨年(2023年)の1月に膵臓がんが発覚した叔母は、

抗がん剤、ステント手術など、頑張っていたそうです。

実家の母の法事(2023年4月)の時は、その治療の最中だったようでした。

「母は大変厳しい人で…私が神社の灯籠を倒したり(!)よその畑に入り、ネギを片っ端から切ってしまったり(!)した時、それはそれは厳しく叱られました」

聞いていて

いや、それは◯子ちゃんじゃなくても叱るでしょう!

と、ツッコミながら聞いてましたが…

近くに座っていた別の従姉妹から、

ネギを切ったのは私が(ネギ坊主ができるとネギが固くなるのでと)言ったから…

との告白?を受けて納得。


まぁでも、◯子ちゃんは確かに厳しかったよね、という従姉妹どうしの話に落ち着きました(叔母には不本意だったかも)


治療を頑張った叔母でしたが、昨年の秋ごろには抗がん剤の副作用で体力が落ち、抗がん剤を続けられなくなって

抗がん剤をやめたら食欲が戻り、髪も生えてきて

「良かった」と家族で喜んでいたのだけど…


いつも明るく、優しかったと…

「自分が苦しい時も、いつも家族を気遣っていた。

人はこうあるべきという人間の最期の生き様を

見せてくれた」

と言った従兄弟は涙ぐんでいました。


次の日に逝ってしまうとは思わず、その前日に病院に会いに行った(病院は面会禁止していたけれど、個室だったので従兄弟が病院に掛け合い、特別に計らってくれた)時、

あまりにも小さく、痩せてしまった叔母の手を

握ったり、足をさすることしかできなかった私。


もしかしたら食べてくれるかも、と

タッパにリンゴ半分と果物ナイフ、小さなおろし器、スプーンなど持って行きましたが、

面会時間は15分くらいに、という事で、

リンゴのすりおろしひと匙、口に運んでやれなかったのが、心残りです。


◯子ちゃんについての思い出は、後から後から出てくるので、きっとこの後も何かにつけて記憶の奥底から湧き出て来ると思います。

今は後に残された叔父さんの事が気がかりですが…


実家の父、母が亡くなり

母の弟、妹が亡くなり、

神社の周りから母の親族が段々少なくなり、

私が子供の頃から慣れ親しんだ風景が薄れて行きます。

やがて私も土に還る日が来る…

大人になり、老いていくというのはそういう事なのかもしれないと、近頃は思います。


母は「◯子ちゃんは気が強い」と言っていました。

◯子ちゃんは「姉ちゃんの方が気が強い」と言っていました。

私からすれば、どちらもおばあちゃん譲りの性格だったのかなと思いますウインク


叔母の話は以上で終わりますが、

母と併せて二人の気が強かったエピソードはまだまだあります(どんだけ😅)


前回の記事↑


8年前に私の母が亡くなった時、私はA・SO・BO塾で

「わからなければモモエさんに聞け」

の稽古を始めたところでした。


それまで毎回、実家の母はA・SO・BO塾の公演を見に来てくれていました。

◯子ちゃんに、母の代わりに観に来てくれないかと声をかけたら、おじさんとご夫婦で遠い群馬から来てくれました。

私の母の形見分けで譲った上着を着て…


A・SO・BO塾の公演を観た◯子ちゃんは、

すごく面白かった!

と感激して、

次も観に行くから必ず呼んで!

と。

その言葉通り、次の公演もまた、2人で来てくれました。

それから毎年の年賀状には

「お芝居頑張ってますか?次の公演も楽しみにしています」

という一文が添えられるようになりました。


残念ながら新型コロナの流行でA・SO・BO塾の11期公演は延期の末に中止。

叔母に観てもらえたのは10期「銀杏の樹の下で」の公演が最後となりましたが、

慣れない都会にキョロキョロしながらも上京して、A・SO・BO塾の公演を楽しんでもらえて本当に良かったと思います。


叔母の告別式の時、従姉妹(叔母の娘)から

「ひろこちゃん、お芝居やってるんだって?お母さんがすごいって言ってたよ」

と声をかけてもらいました。

いや、すごいのはASOBO塾の演出家なんだけどね…ウインク


ほんの数ヶ月前に叔父が亡くなり葬儀に出たばかりで、また叔母の葬儀になるとは…

ただ、昨年母の七回忌に叔父、叔母の2人ともが入院中だったり、体調が悪かったりで出ていなかったこともあり、心配はしていました。


叔父の葬儀の時の叔母の様子がだいぶ弱って見えたので

「何かあったら…」連絡をして欲しいと、従兄弟と連絡先の交換をしていて(今となっては)良かった…


続きはまた、こちらで↓『叔母のこと④』『叔母のこと③』『叔母のこと②』『叔母のこと①』私の母親の妹、叔母について書こうと思います。叔母(◯子ちゃん)は2024年2月26日の朝、逝きました。私と叔母…リンクameblo.jp



続きです↑


母の実家では毎年お正月に百人一首で遊んだと聞いています。

末っ子の◯子ちゃんはなかなか札が取れないので、父親(私の祖父)に

「(読み手が)「あまつかぜ」と言ったらコレを取りなさい」と言われた

「をとめのすがた しばしとどめん」の札を目の前に置いて、「あまつかぜ」をひたすら待っていたと、

毎年1月2日に我が家に年始に来て、百人一首をする度に話してくれました。


私は学校では「百人一首」を習わなかったので、お正月に家族で楽しむためにだけ、札を読んで一生懸命覚えました。

我が家でも毎年お正月くらい…と思うけど、夫も子供もあまり好きではないらしく、相手になってくれませんショボーン


◯子ちゃんは銀行に勤めていました。

結婚をして寿退社。専業主婦になったらあれもやろう、コレもやろうと楽しみにしていた趣味がたちまちつまらなくなってしまい、すぐに働き始めたと聞きました。

その後、さまざまに職を替えながらずっと働いていましたが、

定年して仕事を辞めた後は、登山の仲間に出会い、あちらこちらの山に登っていたようです。

何度か、美しい山頂の景色の写真を見せてもらった事があります。


話は遡りますが…

私が高校を卒業して就職する時、近所に住んでいた◯子ちゃん。

「ひろこちゃん、銀行はどう?」

希望の就職先など、ナーンにも考えていなくて

尻込みする私に大丈夫大丈夫と、銀行への就職を勧めてくれました。

生来ズボラな私ですが、キッチリと1円まで「キリ」をつける銀行の仕事は、良い経験となりました。

就職先には、叔母が勤めていた時、支店長の運転手をしていた方がまだいらして、

休憩時間によく、叔母の思い出話をしてくれました。

私が勤めていた時代の後半には、テラーズマシン(窓口で使う機械)にフロッピーディスクを使う(それも今では時代遅れですが)ようになりましたが、

叔母の時代はまだ、年に2回の利息付与は手計算だったとか、今ではあり得ない(その頃でもあり得ない爆笑)話をたくさん聞きました。


③に続く↓



私の母親の妹、叔母について書こうと思います。

叔母(◯子ちゃん)は2024年2月26日の朝、逝きました。

私と叔母は15歳違い。

私が15歳の時、叔母はちょうど30歳でした。

私の母とはひと回り、12歳歳の離れた姉妹でした。

兄が生まれて初めて「叔母さん」になったのは叔母がまだ中学生になったばかり。

中学生に「おばさん」はかわいそうだと、私たち兄妹は叔母を「◯子ちゃん」と呼んでいました。

そしてそれはずっと…

叔母は母親(私の祖母)に似てふっくらした顔の美人。

明るくて勝気で、近所に住む母とは気が合っていたようです。

母は運転免許がないので、よく◯子ちゃんに運転してもらって

パーマ屋さんや買い物に2人で出かけていました。


色白で美人の妹は、母の自慢でした。

「色の白いは七難隠す」という諺を出すたびに、

◯子ちゃんの成人式の着物を選びに行った時の話を聞かされました。

「◯子ちゃんはね、どんな色の反物を合わせても、全部似合うの。

『あ、コレも良いですね。コッチも似合いますねー』

って、向こうの人が」

ところが、隣で着物を見繕っていた人は、なかなか似合う柄や色がなかったらしく、反物を選ぶのに苦労していたと。

「やっぱり、◯子ちゃんは色が白くて美人でしょう。

何着ても似合うんだよね〜」

と、嬉しそうに話していました。


母親から厳しく躾けられ、そのお産も手伝ったという歳の離れた妹に、深い愛情と反面、甘やかされる叔母に複雑な感情もあったようですが、

とても仲の良い姉妹だったと思います。

その母も数年前に先立ち、

「姉ちゃん(私の母)がいなくなって、ホントにつまらなくなった」

と言っていた◯子ちゃん。

私たち兄妹にとっては、叔母というより歳の離れたお姉さん、みたいな存在でした。

◯子ちゃんが亡くなる前の日に、病院へ会いに行った時に自宅へお土産に買った「旅がらす」↓



長くなったので分けますね。

続きは②へ


昨年秋に生死の境を彷徨ったカラシ。

11月の記事を最後に放置していたので、その後のご報告を。

退院後、あれこれと薬を変えつつ様子を見ていました。

一度、ステロイド剤を2週間ごとに半分の量に減らし1ヶ月後にやめたら、たちまち嘔吐と下痢が再発してしまったので

次は慎重にちょっとずつ減らして、2ヶ月かけてステロイドを卒業。

その後、整腸剤だか胃腸の薬だかを出されるまま与えていましたが、ちゅーるに混ぜた薬をやった後に吐いてしまう事が頻発しました。

せっかく食べたフードを苦しそうにリバースするのを見るに耐えず、試しにその薬をやめてみたら吐かなくなりました。


若い頃のような元気はもちろんなくなったものの、歩く様子もしっかりしてきて普通の?生活を送れるようになりました。


動物病院からワクチンの時期のお知らせハガキが届いて、体調を診てもらうのも兼ねて連れて行くことになりました。


私は仕事で行けなかったので、夫が1人でワサビとカラシ2匹を引率。

一時、2キロちょっとまで減っていた体重は

3キロちょっとに増えてました!

体温は暴れてうまく測れなかったのもあって37.5℃と低めでしたが、血液検査の結果は特に悪いことはなかったようです。


ワサビも、歳を取ってきて寝てばかりいる感じがしていました。



痩せたなぁ、なんて思って見ていましたが、体重は5.2キロ、体温は38℃。

同じく血液検査の結果も◯


ソルトと同居しているので検査の結果、2匹とも猫エイズ、白血病共に陰性。

無事にワクチンも接種できました(私はインフルエンザワクチンまだやってないのよね〜てか打つ気あるんか💦)


2匹合わせて診察代、ワクチン代、血液検査代で3万円超え!

人間よりよほど医療費かかっとるわね…


3日に一度、来るか来ないか…という頻度のクロちゃん訪問。



来た時は庭のどこかや車、ガラス戸などにオシッコかけていきます…