竜騎士07さんが予想以上にマジハンパない件について | リュウセイグン

リュウセイグン

なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

一話以外見てないけど、なんか凄い事になってるらしい『うみねこ』って一体何なの?
って思って色々見ていたら凄い物と衝突した


“アンチミステリーvsアンチファンタジーについて”

(ベルンの手紙、とかいうのの下)
もしリンクが変になってたら、こっちを参考 に。

と題されたこのコラムは竜騎士さんがちょっと心配になるレベルの壮大な発想で今作を創られている事が示されています。調べてみると、やはりミステリ好きからは批判気遣い をされているみたいですが、それも竜騎士さんならではの味と言えるんでしょうかね。

僕も(あまり読んではいませんが)ミステリ好きの端くれの端くれとして、『ひぐらし』の悲しさったらありませんでした序盤のサスペンス調な展開はとても良かったんですけどね、えぇ。

あんな身も蓋もないネタ晴らしをされてはアンチクライマックスというかアンチカタルシスというか……心が折れてしまいました。
恐らく、ミステリ好きの方面からかなり叩かれたであろう事も推察出来ます
そのルサンチマン的な何かが、上記の文章からは伝わってくるんですね。
ただ、やはり空回りしているというか、少々気の毒な感じになっています。


後期クイーン問題 から出発して悪魔の証明 へ、そして旧来ミステリの概念へと斬り込んでいくのですが……


なーんかどっかで転んでいる感が。

まず後期クイーン問題に関しては、「真実という定義付けは探偵には無理だけど、読者には可能である」という事実を見落としているか、さもなくば軽んじている点。
もちろん、明確に「真実という定義づけ」をしないで読者を煙に巻く作品もあります。
後続の作品で逆転させるというのも理論的には然り

しかしながら、やはり後付け後付けでそういう真相を提示され続けると、一回では良くても二回三回と繰り返す限り
目も当てられない状態に落ち込んでいくのは明白でしょう。

推理作家というのは盲目的にフェアプレイをしなければならない……と信じ込んでいる訳ではなく(中にはそう言う人も居るかも分かりませんけどね)

読者に
自らの思案する真相を構築させられる環境を与えた上で
構築のさせ方を悟らせない


という自律をする事で読者を楽しませているのです。

それを読んだ読者は、或いは真相に辿り着いて勝ち誇り、或いはその構築式を知らされて悔しがったり驚いたりする。一般的なミステリなるものの醍醐味というのは恐らくここにあるのです。
少なくとも作者が想定したのと同一の物を与えて、構築の差で読者と闘う
本来探偵とは、作者の代わりに作中で構築を行う一種のギミックです(もちろんそのキャラクターの魅力はまた別の話)

故に「探偵にはそれが真相かどうかは分からないけれども、読者に対しては誠意を示さねばならない」というのが本格と呼ばれる系列のミステリ作家が自ら背負う枷な訳です。

だからあくまで自戒であって、これは外しても全然構わない
でも外すと「つまらないなぁ」とか「狡いなぁ」とか思ってしまうから、近年ではそのギリギリの所でやってたりする訳ですね。



しかし竜騎士さんにとっては、これ自体が気に食わないようで。
多分、手紙やら書き込みやらで本格物と比べられたりしたんじゃないかと思うんですが。



そして悪魔の証明に繋げるのです。
ミステリで「これ以上の証拠がない」というのは悪魔の証明になる、と。
確かにその通りです……が、普通「悪魔の証明」というのは


「悪魔が存在しないという事例は積極的に証明困難」


よって

「悪魔が居ると主張する者が、それを証明しなければならない」

という義務とセットで語られます。

でもここで竜騎士さんは、それを無視して(もしくは敢えて隠匿し)証明出来ないじゃないかバカヤロー!
みたいな事を言ってます。


少々やりくちがコスいなぁ……と思わないではないですし、問題によっては悪魔の証明に類似した物も論証出来るとは思うのですが、それはまぁいいでしょう。
作中人物にとっては「証明してくれるならばどっちだって良いし、出来れば全部説明しそうな探偵がやってくれれば一番」でしょうから。

しかしこと現実問題になってくると、ちょっとおかしな部分が加速し始めます。
警察の捜査についても本人独特のユーモアというのは皮肉というのか

現実の殺人事件でも、きっとそういう光景なんでしょうね。警察が現場周辺を封鎖しマ
スコミを遠ざけた後、刑事たちが拍手を打って天を仰ぐのです。

「あぁ、神様! この事件は解決可能でしょうか?! それを教えてもらわなければ、私
たちは捜査も推理もできません…!! だって変格ミステリーや社会派ミステリーだった
なら、増してや今流行りの伝奇ファンタジーだったなら推理しても無駄なわけですし!」

 しかし、現実問題として。 神様がそれに答えることはありません。
 すると、神託があるまで拍手は続くのでしょうか? 神託がなければ捜査は打ち切り
に?

 この状況を思い浮かべ、あぁ何と間抜けなのか馬鹿馬鹿しいッ!! と滑稽に思った時、
私は初めて、“アンチミステリー”という概念があり得ることを知りました。

よく分からない例を出します。

当然ながら、小説とは異なり現実世界では真理の探究をしている訳ではありません
創作だから唯一無二の真実を目指せるのであって、

現実は必然である必要はなく、蓋然で充分
なのです。

警察が捜査をするのは勿論犯人逮捕が目的ですが、犯罪認定に纏わる手続きは検察官が裁判所でします。
そして判断するのは裁判官(と裁判員)
だから検察にしろ弁護士にしろ、裁判官達を説得させうるシチュエーションを創ればそれで良い

もちろん真実に到達するのも一つの目的ではあると思うのですが、便宜的に破綻しなければそれでいい……というのが実際です。
科学理論にしてもそうです。
現実を解釈する一つの方法論であって『実効性』があればそれで充分。
実際に破綻が観測されなければ、それは問題になりません。

そんな余計な所まで気にしてしまう竜騎士さんは喩え話になると、本当に迷走し始めます。

全てに算数的解答を求めようと意気込みながら、そのくせ、それが可能であることを保
障されなければ挑戦もできない。
 ボクシングなどに例えたなら、勝てると保証された相手以外とは戦いたくないと言って
いるボクサーのようなものです。

これは完全に的外れ

論理的な回答が示されるかどうか、というのは「ボクシングで勝てる相手かどうか」に比されるのではなく、
勝利条件
試合形式という概念について比されなければならない
性質の物です。

推理の可不可は勝てる相手とのボクシングかどうかではなく、両者グローブを着用し、凶器等を使わないかどうか、また何ラウンド制でノックダウンの回数はどうか、そしてどんな基準で勝敗が決められるのかどうかを問題に通じるのです。

まるでこちらに非があるかのように書いていますが、実際に考えてみれば何がおかしいかは明白です。

今から竜騎士さんがやろうやろうと言っているボクシング、というかボクシングの結果予想勝負にした方が分かり易いでしょうか。
ともあれこんな感じ

ルールは秘されて語られず
(足技もあるかもしれないし、凶器攻撃もあるかもしれない)

勝利条件は提示されども、それが理論的に可能かどうかすら語らず
(12ラウンド相手をフルボッコした方が負ける可能性もある)

試合の流れも、勝負を提示した人間が好き勝手に見せ掛ける事が出来る
(試合映像を見ても判断が出来ない)

という勝負なのです。
もちろん勝負を持ちかけた人間はどんなルールかを知っていますし、それが理論的に可能かどうか、示された状態が実際と異なっているかどうかすら了解しています。


常識的に考えて、もしこういった勝負を提示されたら普通は誰も受けないでしょうし、
相手にしたって解答が示されても釈然とせず、気持ちよくない場合が多くなってしまいます
(先にも触れましたがミステリで『フェアプレイの精神』が重視されるのはこういった理由もあります)


しかし何故か竜騎士さんは、こういった勝負を避ける人間に対して



 あなたは、『うみねこのなく頃に』のEP1を終えたとき、本当に推理に挑戦できましたか?
 本格か否かの宣言がないからと、挑戦を渋ったのではありませんか?
 全ての証拠が提示されているという証明がないからと、挑戦を渋ったのではありませんか?

 ………くっくっくっく!! ばァか。そんな証明、貴様らの人生のいつどこにあったと
いうのか?
 貴様らは高校受験の時、神様に、ここを受験して受かりますか?と聞いて、受かると神
託が受けられなければ受験も出来ないのかァ? くっひっひゃっははははははは…!
 ママが、ボクちゃんならきっと受かるわよ!と言ってくれなきゃ、受験も出来なかった
って言うのかよォぉおお?? くっひっひひひひひひひひ!

 ニンゲンの語るミステリーが何と下らないものなのかと理解できたそなた。そして妾の
笑いたい気持ちが理解できたそなたはようこそ“アンチミステリー”の世界へ。
 「この世には科学では説明できないことが多々ある」ってよく言うだろォ? そういう
ことなんだよ。この世の全ては完全証明不能! 常に我々の想定しない未知のXが想定し
うる。そしてそれは誰にも否定できない!
 推理ぃ? ミステリー? 本格ゥ? あっひゃははははははははははは!! ばァかば
かしいぃいいぃ!! ボクちゃんはミステリー文庫で新刊を買ったら、まず先にママに読
んでもらうといいさ。そして「この本はボクにも解ける?」と聞いて、ママが頷いてくれ
たのだけ読めばいいさ! ママに咀嚼(そしゃく)してもらった離乳食だけくってりゃあ
いいんだよゥ、うっひぇっひゃっひゃっひゃっひゃぁぁぁ!!




罵倒します

冷静にツッコんでみると、ぶっちゃけコレは現実ではなくゲームですし、譬喩として出されたボクシングだってルールのある競技です。
作り物だからこそ、ルールが提示されキレイに流れるように出来て居るんですし、スポーツにしたってそれは同じ。

要するに竜騎士さんは

それらを都合の良いように勝手に改変・調整して、
自分が勝ちやすく(或いは確実に勝てるように)しているだけ


です。

う~ん、幾らゲーム製作者だからってリアルとゲームの区別ぐらいはして頂きたいのですが……。

しかも断ったら卑怯者と言わんばかり。
いやいやいや、卑怯な事やってるのは自分だって自らが言ってんじゃん。


う~ん、相手がコスい事やってくるって分かってる勝負をまともに受けるって、
現実世界ではそれこそ一番ダメだと思う
んだが。


受験の譬喩もレトリックなのか天然なのか
もちろん普通の学校も合格するかどうか分からない、という可能性は常に存在します。

しかし

どんなレベルの問題がどんな形式で出るか分からない
(問題文が竜騎士語、という独自言語で記されているかもしれない)

一般的な合格という概念があるのかすら分からない
(一応これを満たせば合格というのはあるが、本当に満たせるかどうかは教えないと自分で言ってる)

そして

合格しても別になんの得にもならない


ところなんか誰が受験するのか、こっちが聞きたいぐらいです。
なにしろ落として勝ち誇るのが目的だって言ってるんだからねぇ。
まぁ、前から竜騎士が好きな人か女の子やオタネタに釣られる人くらいだろうなぁ。

その落とされ方だって、見事な構築の結果であればむしろ「やられた!」という爽快感で満たされますが、前作が『ひぐらし』だってんだから期待も出来ない訳で……。



とまぁ、そんな訳で完全にあさっての方向に全力疾走し始めた竜騎士さん


そんな彼が今作で「推理不可能でしたよ~、バーカ!」って結論に至ってしまったら流石に悲しすぎるので、一見不可能のようで素晴らしいまでに得心の行く結末を迎えて欲しい気もしますが…………あんま期待するのも可哀想でしょうか。

多分、完結するまで……いや完結しても読まない可能性大ですが、完成度高かったなら……!
一縷の望みを託したいところです。


僕はしばしば他の作品にも文句ばかり言っていますが、
動機としては単に己が欲したと言えるような作品が見たいからで、


そういった作品や、それを創り上げられる人間が増える事こそ


僕としては一番願ってもないところなのです。