「魔法少女まどか☆マギカ」を見たわけですが

「魔法少女まどか☆マギカ」における建築的考察②

 「魔法少女まどか☆マギカ」における建築的考察③

「魔法少女まどか☆マギカ」における建築的考察④

「魔法少女まどか☆マギカ」における建築的考察⑤

ちょっと空いてしまいましたが、
「魔法少女まどか☆マギカ」における建築的考察の続きです。

例の洗面所ですが、やはりこの大きさは尋常ではないですよね。
おそらく、ダンスとかバレエを練習するジムのような空間だと思います。

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左右のスパンも10メートル以上ありますし、かなりの大空間。
にもかかわらず、柱が細い。

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100角ほどしかありません。
だとすると、この建物は平屋でしょう。
天井高さは二層分ありますが、巨大なガラスの箱です。
そうなると、この壁面の格子はカーテンウォールということになります。

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カーテンウォールというのは、
建築物において外壁面に加重を負担させない構造システムのことです。
上記写真はドイツのデッサウにあるバウハウスの校舎ですが、
ものすごい未来的に見えますが、実は1920年に実現されたものです。

そのカーテンウォールの枠にミラーをところどころ打ち張りして、
内部と外部の光景を遮断したり写し込んだりして空間把握を幻惑してるようです。

このミラーの手法は結構効果的で、狭い空間を広く見せたり、光を取り入れながら
外からの視線をさえぎることができ、店舗向けです。
実は3年ほど前に、私たちのところで設計した美容院でやってみました。

スタジオアルファプラス- 菊水HAIR(菊水ヘア)

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外が見えているところと、中が見えているところが入り混じって不思議な感じでしょう?

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外向きにもミラーを張ってあるので、中をのぞく意識がないと移りこむ風景の方を見ますから、視線の意識を遮断する効果があります。

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しかしながら、
「魔法少女まどか☆マギカ」の鹿目家がやっかいなのは、
どうやら壁面が4面ともこのガラスカーテンウォールっぽいんですね。


マドカたちの正面のミラーは木を写しています。

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このことが何を示すかというと、
鹿目家のこの洗面所空間は母屋と接していない、ということを物語ます。
既存の住宅とこのガラス空間が同じ建物の一部であれば、
少なくとも1つの壁面は壁であって欲しかった。

ところが、そうではない。
ならば、どう考えるのか。

ズバリ!答えは「森の中」です。

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もう、これはパビリオンとか、離れとか、東屋ということになります。
キッチンがあったのとは別棟です。
しかも、地下でつながっている可能性です。

結果としてこんな不思議な大豪邸となってしまいました。
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こんなのはアリなんでしょうか

まあ、世界の名建築には結構ありますね。
有名なところではアメリカの巨匠フィリップ・ジョンソンの自邸があります。

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ジョンソンは広大な自然敷地の中に数棟の建築物を時代ごとに建てています。
まわりの森もすべて自分の土地です。
このガラスの家以外にも数棟が敷地内に存在し、これらのすべてを地下でつないでいるという伝説がまことしやかに言われておりました。

家ではありませんが、白井晟一による祈念館の設計案

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への字型の建物から水に浮いているような建物には、いったん地下に降りなければアプローチできません。

宮脇檀の「もうびいでぃっく」、これも戦後のエポックメイキングな住宅デザイン

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鯨のような母屋の脇にある丸いテラスの下に、
いったん地下に下りていく部屋が隠されております。

では鹿目家ではどこにそのような仕掛けがあるのか、、というと


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ありました。


最初のシーン朝が弱いママをマドカに起こしてくるようにお願いしたパパが、
家庭菜園からプチトマトを摘んでいるシーンに、はっきりと。

ただ、なぜかいったん外に出ないといけない位置にあるんですが、

「いったん外に出て傘をささないと生活できない家」は、
建築界ではトンチが効いた最上級の手法と言われていますから、

やはり、二世帯で事業系の用途も考えつつ、デザイナー住宅としての評価も狙うという、ヤリ手のマドカママの思惑が満載の家ですね。

というわけで、ちょっとお時間をいただきましたが、だいたい鹿目マドカの家のプランは整合をみたといっていいんじゃないでしょうか。

ただ、
「魔法少女まどか☆マギカ」にはいっぱい面白い建築空間が出てきますから、
まだまだ考察しなくてはならん建築的な対象が存在しており興味がつきません。


それにしても、昨年のまどマギ旋風は凄かったですね。

第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞。
日本SF大賞は惜しくものがしてしまったようですが、
なぜ「魔法少女まどか☆マギカ」を大賞に選ばなかったんでしょうかねえ。
小学生時代からの圧倒的なSFファンとして、早川書房ファンとしても、
これはちょっと首をひねりますねえ。
選考委員の先生方は以下のようですが、、、
冲方丁・貴志祐介・豊田有恒・堀晃・宮部みゆき
本当に全話ご覧になったんでしょうか。

小説ならなんとか飛ばし読みして全体像を把握できるんですが、
アニメですからねえ、飛ばして見れないでしょうし、特に中盤にさしかかると
「ああ、もう、この繰り返しなら、残りは見なくてもいいや、、なんで大賞候補なの?」
くらいに思われてしまったのかも。

非常に惜しいですよ、今回のSF大賞を「魔法少女まどか☆マギカ」に出していれば、
SF大賞の格も上がったというのに、、残念です。
というのも、「魔法少女まどか☆マギカ」はちょっと今までにはなかった世界観ですから

見てる人はもう見てると思いますから、多少ネタバレありで簡単に解説すると
「魔法少女」というのは、魔法という超人的な力を持った少女ですが、
基本、世の中のため、かわいそうな人たちのため、世界の平和のために、
悪をを倒すために、この魔法を手に入れます。
そのためには代償が必要なのですが、
通常は、滝に打たれて修行だとか、自分の浮世の幸せ放棄とか、家族と離れ離れとか、
個人的な欲求を封印します。

「魔法少女まどか☆マギカ」では、この代償というのがよくわからないんです。
魔法少女として「キュゥべえ」という不思議な生き物、
一見かわいいなりをしていますが、目が死んでいる白いイタチです。
こいつと契約しなくてはなりません。
「鹿目まどか、それと美樹さやか」、「僕と契約して、魔法少女になってよ」
と言います。
ちなみに、相手のことはいつもフルネーム呼び捨てです。

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よく考えてみると、魔法伝授の順番が違っていて、
「願い事をかなえてあげるから、僕と契約して、魔法少女になってよ」
なんですね。
なんか変なんです、願い事もかなえてもらって尚且つ超人的な力を授ける、と言うんです。
で、悪である魔女と戦ってそれを倒せるようにな力を得ると言います。

最初見たときはこの仕掛けに気づけないんですが、、、
実は魔法少女になることは第一段階なんですね。

で、魔女を倒しに行き、魔女を倒すと「魔法少女の心=物語ではソウルジェム」が少し穢れます。
まあ、しょうがない、悪とはいえ、何か得体の知れないものとはいえ、
倒した、殺したんだから、そういうことはあるでしょう。
良心の呵責とか、精神的疲労とかですね。

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その穢れを放置しておくと、どんどん心が汚れていくので、
魔女を倒すごとに得られる「魔女の心の芯みたいなもの=物語ではグリーフシード」に
穢れというか邪を吸い取らせる。で、また魔女を倒しに行く。という魔法少女正義の循環です。

ところが、、なんです。
この悪を倒すという正義をおこない続けていると、どんどん穢れが溜まっていき
ソウルジェムのある一定の邪のキャパシティーを超えたとき、爆発的な変化を起こすんです。
それは、今まで正義から見て悪だと思い込んでいたもの、
悪の顕現、邪の化身、である魔女になってしまう。

敵というよりももっと邪悪でクレージーな世界観で、
悪の結界を作り出す禍々しい魔女に変化することが運命付けられているんです。
これは、ですね。本当に空恐ろしい設定でしたね。
だからこそ、暁美ほむらがあれほどダメだ、契約しちゃダメだ、と言い続けていたのかと。

む~ん、すごいな。考えさせられました。
と、同時にこの設定は荒唐無稽なものに思えて、世の中の地獄を象徴的に捉えているな。
と感じました。

若いころに「世の中を変えなきゃ!こんな弱いものから搾取する巨大な敵を倒さなきゃ!」
とか、「今の世の中はおかしい!悪が大手を振って歩いている、ゆるせない!」
ということで活動に身を投じる人たちがいます。

最初は純粋な動機だった、
家族や身内友人がひどい目にあってる、ご近所のかわいそうな人たちを助けたい、
遠い異国の地で虐げられ、飢えに苦しむ人たちがいる、世界を変えなくては!
そのためにある種の団体や活動組織と契約をする。で、魔法少女になる。

魔法少女として華々しく活動する、街頭で、マスコミで、シンポジウムで、
訴える、正義を、世の中の悪を糾弾する、悪の既存組織や悪の政治家を、
しかしながら活動を続けるためには、ずっと正義ばかりではいられない、
多少の邪も喰らわなくては、もっと悪い奴らがいるんだからこれくらいはかまわない。
自分の邪を吸い取ってくれるもっと悪いやつがいる。だから、自分は綺麗なまま。
そして、一定のキャパシティーを越える。

強くなっている、周囲に邪の結界を張り巡らし、近寄るものを狂わせる。
すると、今まで弱者の見方であったはずの自分が、
いつのまにかそうではなくなっている、

むしろ組織活動のためには、何をやってもいい、テロでもいい、
もしくは、
政権や権威を奪取したら、大儀の前には弱者切り捨てもやむなし、
気が付けば、正義の味方であったはずのかわいい自分が醜い魔女になって、
次の世代の魔法少女から攻められ、魔女として殺されていく。

そのような繰り返しの無間地獄です。

これは、「魔法少女まどか☆マギカ」、かなり怖いな、、と思いました。



こんなややこしい話ですから、あの物語空間は、夢の中の風景のように、
シャフト&イヌカレーのデザイン空間のように、

カラッと浮世離れしていてくれてるのが救いなのかもしれません。


 おわり。