ぐっちょりーす。
昨日、今日と男のお客さんや飲みに行った先でほとんど男としか話していないせいか
「熱い」スイッチが入っているモテ髪師です。
なんか昔のこととか書きたい気分。
拙者の親父は新聞社に勤める人でした。
長男に生まれた拙者は厳しく育てられました。
食事の作法はもちろんのこと、
庭の掃除は「人の目がいかないところまでするのが掃除」と言われ
毎日庭の掃除が仕事でした。
そしていつも酔っ払って帰る親父。
酔っ払って帰ってくるといつものパターンが始まります。
当時小学生のモテ髪師。
寝てるのを起こされ
「座れー!!」という大声で怒鳴られ正座。
「お前の名前は?」「家の住所は?」
と何度も何度も聞かれ(呆けてるわけではなく)
「どこの高校に行くんか?」と聞かれ
「豊浦高校」と親父の母校を言わされるという流れ。
ちなみに豊浦高校は地元下関でも名門な賢い高校です。
小学5年くらいになると
「天声人語」という朝日新聞の社説みたいなコーナーがあって
そう、大学入試とかによく使われるあれ。
その天声人語を毎日親父の前で音読しなければいけないという「決まり」があって。
読めない漢字は母に聞いたりして調べ意味も調べる。
だって読んでたら「○○」ってどういう意味か?
とかいう質問され、それに答えられなければもう一回初めから読まなければいけないっていう。
これを中3まで続けました。毎日。
おかげで国語では実力テストで市内で4番という順位をとったことあります。
マジメな子か?って言われるとそうでもなく
「憧れヤンキー」でした。
普段は普通の格好。
バスケ部に入っていたので試合の時だけ違反の学ラン。
もちろんカラーははずし、第一ボタンは開ける。
あっ、チョンぐつ半ばきね。
他校になめられたらいかんと思っていたからww
かわいくない、おれ?!
そんなこんなで豊浦高校に入学したモテ髪師。
ちなみに子供の頃は成長が遅くて
大体前から2番目。
ちんち○んの毛は中学で生え
なぜかシコシ○コを先に覚え
毛よりも先にむけるというアクシデントもありました(笑うとこです)
小学生のころはソフトボール少年団に入ってて
ずっと補欠。
中学ではバスケ部で補欠。
でも目立ちたがり屋。
ソフトボールしてた時
補欠でいつも応援しかすることなくて
「目立てることを」と考えた結果思いついたのが
「レギュラーの応援歌をつくり応援歌をバッターボックスに入ったときに歌うこと」
めずらしい少年ですよ。
毎年全国大会で山口県代表で出るチームにいたのですが
ずっと歌ってたらやはり目立つらしく
「セカンドの顔は覚えてないけどベンチの歌うやつは知ってる」
な感じになってました。
いま思えばこれが人生初の自分プロデュース。オリジナルブランド。
高校でのこと、美容師を目指したきっかけ、専門学校のこと、
美容師になってから逃げ出したこととか、親父が死んだこと、
そして売上ナンバー1になったときの話などは
またいつか書きたいと思います。
最近自分プロデュースとかの話を聞かれること多くて
ルーツを考えてたらなんか書きたくなりました。
自分プロデュースを考えてる人になにか共感してもらえたらいいな、と思って。
ちなみに小学校の頃の夢は
「お笑いタレントでぼろ儲けする!」ことでした。
ということでこれからもモテ髪師 大悟をよろしくお願いします