量子場師のむかえです
(心屋マスター29期 かのマス卒業)
誰もが子供の頃なりたかった、
そして今もこだわり続けている人の多い「できる」「大人な」前者と、
「子供で」「抜けている」と言われる後者。
そして「前者/後者」の差は、実は
外から見た大枠の特徴の裏に生まれ持った「視界」の違いから来ている。
これを知るだけで、
ものの見え方の何もかもが一変することがいくつもあって、
だからもう「ただ」知って欲しいし、広まって欲しいと思っています。
参考)
心屋仁之助さんブログから
■【永久保存版】大人になりたくてなれなかったひと、大人になりたくてなれてしまったひと
■【永久保存版】大人になる、ということ。前者には前者の、後者には後者の役割がある
私の過去記事から
『【拡散希望】後者による「後者チェックシート』
『【拡散希望】後者による「後者に何が起こってるか/前者との決定的な違い』
(2記事合計40000pv超えました!)
体力的にも精神的にも追い詰められながら
それでも自分が「頑張ってないんじゃないか・・・」と疑う方々へ。
ミスをした。思うような結果が出なかった。
人に迷惑をかけた。怒られた、責められた。
そしてそれを振り返ったときに
「やれるはずの全てのことをしたか」
といったら、そうだとは決して言い切れない。
「やれたはず」
「気づけたはず」
なぜなら、物理的にはできなかったわけではない。
チャンスもあった。
そこで「まあいいや」
と思った自分が
「疲れたから、もうそこまでは見てられない」
と見ぬふりをした自分が
どこにもいなかったわけじゃない。
そして現にそれを出来てる人がいる。
ちゃんとこなしている人がいくらでもいたりする。
でも
自分はもうへとへとで、どこまでやればよかったのか。
結果として完璧でなかったことにどこまで責任があるのか。
”しょうがない”んじゃないのか。
・・・・でもそれを言い切ることは、無責任な考え方だろうか。
そんなところでしょうか。
ええ、私もかつてもった疑問でした。
私がそもそもこの前者・後者論の深さにハッとなったのは
「想定以上に後者が多い」
ということに気づいたからです。
傍目にもわかりやすい”そーいう感じの人いるよね”
というレベルじゃなく
もっと、ずっと、沢山いる。
で、ぱっと見ははわからないその人達が、じゃあ何をしているかといったら、
「前者のフリ」をしているのです。
前者のフリをするための、努力――という名の無理を続けている。
だってマジで無理なのに。
この視界の人が
こんな視界で自然に生きている人のフリをし続けるのは。
・・・・もちろん、後者だって
前者的なことをやろうと思えばできますよ。
(できないタイプの人もいますが)
頑張れば。
頑張り続ければ。
それにどれくらいの負荷がかかるかは人それぞれでしょうが、
いずれにせよ、
「ここぞ」という時はあるにしても、
無制限に無期限に無自覚にこんなことし続けてれば
キャパオーバーで倒れる(強制終了)か、寿命を削ってエネルギー持ってくるしかなくなるでしょうね。
で、終わりが見えてきた頃に、何のために、なんでそんなことをしてきたのか
自分でもわからないまま生きてきたことに気づくのでしょう。
以前ならそれでも、社会の発展に応じた成果物が何かしらあったんだと思いますが、
なにせ今はそれもないですし
もちろん生き方は自由なのですが、
ホームランスラッガーが小器用に立ち回ろうとし過ぎて
大した打率も出ずホームランも打てなくなるのは、
やっぱりもったいないです。
※『風の谷のナウシカ』クシャナさま
そしてここからが大事なのですが、
この無理を加速させている仕組みがあって、
それは
それぞれの後者に(前者的な)「得意ゾーンがある」ということです。
それは、親に言われて身に付いた習慣だったり、
たまたま先天的によく見えたり気の付く分野だったり
部活やバイトや仕事で仕込まれた経験測や手順だったり
かつて褒められたり役に立ったことがあって磨いた、
あるいは強制的に教育されて努力した
とりあえず「ここはできる」というゾーンがどの後者にもあったりします。
つまり、
それぞれそこだけはできるんです。
しかも、こだわり気質で、部分が得意な後者ですから
やたら完璧だったりします。
だからそのゾーンでは、彼・彼女はスーパー前者ですし
それができることが「前者」であることの証でもあります。
周囲も言ってくれたりします。
「○○さん、ああいうところよく気が利くわよね~。」
「気がつかなかった、ありがとう~」
で、それだけなら全然いいのですが、
なにせもどきなもので、他では失敗したりやらかしたりもしますし
抜けてるのもけっこう自覚してます。
そうなると、ただできることができるだけでは不安ですし、自己肯定できないため、自分や周囲に対しての確認作業をしたくなってきます。
そう、それができない人間がやたら目に付き始めるのです。
(他の後者/場合によっては前者も)
そして、ここぞとばかりに口を出し始めます。
また、自分の身に付けている(努力している)前者力がいかに大切で素晴らしいものかということを、相手への批判や強要を通して布教していったりもします。
その場の大局的にはどうでもいいことにやけにこだわるということも多いです。
意識的な動機は善意だったりするのですけども。
そもそも前者力を身に付けたい動機も、「人の役に立ちたい」だったりしたのですし。
しかしそうなると、次に往々にして起こるのはこのパターンです。
ここまで感情的になったり実際に口に出すかはさておき
ーーーーーーーーーーーー
前者もどきA
「ちょっと、あなたそんなことも気がつかないの?常識でしょう?(私はできるわよ)」
※そこだけはできるが、他はけっこう雑
前者もどきB
(・・・イラっ)
「はあ?あなたこそ、○○もできてないじゃないの。気が利かないわね。(わたしなら気づくわよ)」
※同、その○○に関しては目が利くが、他のことは色々スルー
「「(わたしはあんたとは違うわよ・・・!)」」
「(・・わたしはあの人みたいな非常識なことはしないわ)」
「(・・・わたしはあの人みたいな空気読めない発言したりしないわ)」
ーーーーーーーーーーーーーー
ええ、イラッとしますよね。
全面的にできてる人から言われるならともかく
こちらから見ても全然色々抜けてるような相手から、
さも「自分はできてますけど」感を前面に出されて注意や批判されるとか。
「お前だってこれできてないじゃん」てのを見せつけてやりたくなりますよね。
そんなチャンスがこようものなら、鬼の首でも取ったように指摘したくなるかもですね。
前者ぶる後者同士は、
ひたすらこれをやり合い続けています。
私の予想では、
前者力勝負は基本的にほとんど、前者の顔した後者の同士討ちです。
★ちなみに上記のパターンだと
前者の反応は大体こんな感じでしょうか。
ーーーーーーーーーーー
前者
(「・・・・・・・正直どっちも今どうでもいいと思うんだけど。」)
(「それより仕事増えるから仲良くしてくんないかな」)
※めんどくさいので口を出さない/何も言わずさっさと動く。
でも巻き込まれて後者ごときに指摘されるとちょっとムカつくので、
後日気の利かなさをそれとなく思い知らせる意趣返しをすることもある
ーーーーーーーーーーー
あ、だからですね。
”前者に責められた””劣等感を刺激される”
という思いを抱いてらっしゃる方多いみたいですが、
これもたぶん違いますよ。( ̄  ̄;)
その相手の8割以上は、おそらく”もどき”の方々じゃないかと思います。
前者ならむしろ違い過ぎて劣等感なんて湧かないこと多いですし、
それにまあ、後者ならみなさん、私も含めて
程度の差はあれど、振り返れば間違いなく似たようなことはやってます(ました)でしょ?^^;
(後者性を肯定して素直に生きてきた方は別として)
・・・・・で、この競い合いが見張り合いになり、
なにせ誰も引きませんから、
それぞれがスーパー前者並みの
「やって当然」 「できて常識」 「これこそが配慮」
みたいなものが、少しずつ集積していきます。
しかもネットワークが爆発的に広がりましたから、
密度の高い場所にあらゆる価値観が流れ込み、あらゆる人間が横切ることで
この集積がどんどん加速して、
それこそ、前者ですら手に負えない
無限螺旋の悪意のチキンレースが絶賛開催中なんじゃないかと思っています。
(長くなり過ぎた・・・・続く^^;)
以降の記事の予告(青字はアップ済)
※メモなので変わるかもしれません
ーーーーーーーーーーー
■前者後者整理
・後者チェックシート
・前者と後者の決定的な違い
・補足
・境界にいる方々へ
・能力の話でもないしキャパ(容量)の話でもない
■これがあるから混同する
・自己中と利己的は違う
・実は客観視はできる
・後者にも得意なゾーンはあるので勘違いする
・後者は得意ゾーンの違う後者同士でバカにし合っている
(後者は自分のできてることについては声高に主張し、他の後者の前者力は認めない)
・「使えない高学歴」の正体もこれ
(ただしこいつらがやっかいなのは、もうひと捻りある)
■後者の本質
・後者の本質は突出じゃなくて「欠落」
・突出するのは、この偏りの結果と、エネルギーが分散されないことによる一点方向の突破力
・偏りという個性そのものが讃歌
■悪意について
・悪意は他者の視点への想像力、場の把握力、シナリオ力を要する前者同士でも「前者力」を競う高度なゲーム
・参加してない人間を弄ぶのはマナー違反だが、参加するなら文句は言えない
・誰かの始めた悪意が巡り続けている
・悪意の行き着く先は、病気、犯罪、子供、スーパー後者(あるいは後者性を否定していない後者)
■誤解を解く
・能力の分布(平均の前者/バラツキの後者)
・言語化が苦手というより、ローギアを回しきれない
・後者の苦しさの大半は、言語化できないこと
・前者が冷たいのではない、我々が複雑で深いのだ
・後者は理解できないわけじゃない。理解できるように説明されれば普通にわかる。
■後者による「自分取扱い説明書」
・何をさておいても、できてないことをできてないと認める
・他人からの評価が低いなら評価が低い自分を受け入れる。
(そこからがスタート)
・前者ぶらない「可愛い気のある後者」になる
・「手に負えなくなりそうになった時点で助けを求める」という呼吸をつかむ。
(投げ出すのではない)
・その時の「頼み方」は言い方のパターンがあるので覚えて練習する
・わからないことの質問の仕方もパターンがあるので覚えて練習する
・人の視点に立つものの言い方も覚えて練習する
・前者力は、自分を縛るためではなく自由にするために学ぶもの
・欠落は超えようとするものであって、埋めるものではない
・突っ張りたいなら突っ張り続ければいいが、その価値があるのかは考えた方がいい
・自分の興味関心を見極める
(どうせすぐに気を取られるし、興味さえあれば一気に集中できるのが才能)
■後者による「後者取扱い説明」
・全体像と枠組みを抑えて伝える(配慮する領域が後から増えるのに弱い)
・とにかく最初が肝心、足場と軸を作る(あとは放置してよい)
・正しい角度で殴れ
・短い説明はむしろわからない(文脈と他人のものの見方を交えて説明する)
・”いったん”期待値を下げろ
・「前者力」にどれだけ負荷がかかっているか見極める
・納得し興味さえ湧けば勝手にやるし、突破力もある
・先に手を出さなければ「前者力」が育つ
・能力を理解し活かしてくれる人への感謝と忠誠力はすごい
・”こういう後者”は見放されてもしょうがない・・・が、チャンスをあげて欲しい。
■後者による「後者のための前者取扱い説明書」
・見えてしまう苦しさ、できることをしない罪悪感
(気づかなかった、という言い訳はできない)
・彼らは人からどう見られているかを常に肌で感じている
・彼らにとって夢中になるとは
・この非難は取り合わなくていい
・前者の言葉はヒント、受けて深めてるのは後者
■後者の素晴らしさ
・後者は先に悪意を手放せる
・後者は先に幸せになれる
こちらが本職(^^;)
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