ある日、あなたは
世界最大のコンクール
(全時代を通じて最大のレース)に、
参加することになりました。
競争者は4000万人以上です。
その数を考えてごらんなさい。
勝利するのはひとりです。
勝てる確率は、0.0000025%です。
チャンスはないと言ってもよいでしょう。
あなたには、大敗北者になるための
あらゆる理由があったのです。
誰だってそのようなレースに加わることは
狂気の沙汰だと思ったでしょう。
けれども、あなたは参加しました。
そして、勝つだろうと考えていたのです。
おそらく、あきらめて、
敗北に甘んじる方がよかったでしょう。
けれども、あなたは
世界最高の意地っ張りでしたし、
決意も並大抵ではありませんでした。
”あきらめる”という単語は、
あなたの遺伝的辞書には、なかったのです。
なぜなら、そのレースに負けたら、
歴史上最高の賞を
取り逃がすことになったからです。
どんな賞だと思います?
その賞は「生」です。
☆☆☆
「だから、一生懸命生きよう。」と根性論をときたいのではありません。
「生きていることは素晴らしい。」と言いたいのでもありません。
もし、あなたが、生きづらさを感じているのであれば、「生」をあきらめていい気がします。
あきらめた先に何かがあります。
これは「命」を経つという意味ではありません。
今までの自分とは違う自分に生まれ変わるという意味です。
そして、覚悟をするということです。
「死んだときに生まれてよかった」と思える人生にするということを。
あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。
これは、アメリカ先住民のインディアンで古くから伝わる言葉です。
どうせ人は死にます。
なら、こんなふうに生きてみたいですね。