ある人にこんな話をした
「うちの長男には
発達障害や強迫性障害があって
要領よく効率的に
物事に対処できない事が多いので
よく人から批判や非難を受ける事があって
とても生きづらさを抱えているんです」


するとその人はこう口にした
「どんなに高学歴であったとしても
どんなに地位や名誉、財産を得たとしても
どんなに仕事で業績を上げたとしても
誰かをけなしたり見下したりしたならば
その人の人生は失敗と言えるでしょう

それよりも
人をけなすことも見下すこともせず
自分に出来ることを
不器用ながらも精一杯やっている
あなたのおにいちゃんは
素晴らしいじゃないですか
よっぽどあなたのおにいちゃんの方が
尊い生き方ですよ」


「そんな息子になんて
励ましてあげたらいいんでしょうか」


「あなたはそのままで完璧で
素晴らしい存在です
と常に言ってあげてね
結果や現象に囚われてはいけませんよ
本質から見れば
本当に素晴らしい
完璧なおにいちゃんなんですから」


そう話してくれたその人は
うえっちこと
平成の覚醒者 上江洲義秀さん


飲まない、食べない、寝ない、汚れない
キリストと会話し
釈迦と会話し
唯一宇宙の根源とつながるマスター



オーストラリアのワーホリでは
まったく強迫性障害も気にならず
それはそれは毎日楽しく
いつ死んでも本望と思うほどに
充実して幸せに過ごしていたと言う長男


バイト先やホームステイ先では
何かミスしても
みんなが優しくて
常に助けてくれたので
発達障害のリスクも
ほとんど感じる事はなかったらしい


日本に帰って来た途端
効率性やスピード、生産性、合理性
調和を重視する
日本社会とのギャップに戸惑い
日本社会の厳しさ、窮屈さに直面していた



久しぶりに訪れたうえっちの光話セミナー


1時間の光話の間
寝オチしないように集中していたものの
終了15分前に途切れてしまった私

とにかくうえっちは寝ないようにと言うが
あまりにも高い波動の中で
うえっちと同じ波動を保つことができずに
脱落w


一緒に参加した友人は
うえっちの無限に降り注ぐ愛の波動に
ずっと涙が止まらない様子だった
もちろん彼女は寝オチするわけもなく


嬉しいことに
会場ではまたあらたな
うえっち本が販売されていた

{10599B0A-9112-4BF3-8E7B-01C2B8011DA5}


1冊 ¥1000

もちろんサインもゲット
{508346B6-3502-430D-8AD2-D04915BA3DC7}



この時代に
うえっちと同じ空間で
出会えた事は
ほんとにラッキーだと思う


本の内容をいくつかシェアしてみよう



●「99人は許すけど1人は許せない」と
1人の不幸でも願うならば
その人生は失敗

●1人1人が全てを思いやり
全てをいたわり生きること

●幸せになりたいならば
恨みや怒りや嫉妬に
エネルギーを絶対に使わないこと
その事に命を表現しないこと


●あなた方は本質ゆえに
本質を理解する能力を与えられている

動物、鉱物、植物は
本質を理解し
本質を見、本質を感じるという力は
与えられていない

花々は
美しく咲き誇る本質を
表現する事はできる

動物は
本性を表現する事はできる

鉱物は
親和性を表現する事はできる

しかしそれ以上のことを
表現する事はできない故に
万物の低長という

しかし万物の霊長たるあなた方は
神そのものの全ての能力を
DNAとして遺伝として受け継いでいる


●恨みグセを消そう、怒りを消そう
嫉妬を消そうと
何かを消そう、修正しようではなく
この瞬間瞬間「神」であること

過去にどんな悪い事をしたか
どんな表現をしたか
どんな言葉遣いだったかと
過去にしがみついて
過去に執着して
過去に力を与えるより
今の今、神であることに力を与えること


今のキリスト教は
イエス・キリストだけは特別で
あなた方は罪人と教えている

しかしイエス・キリスト本人は
「罪を認めながら、罪を見つめながら
悟りに至った人間は1人もいない」
と説いている

「愛で以外に本質には到達できない」
言っている

だからあえてあの十字架にはりつけられた

全てを許す愛
全てをいたわり思いやれる愛

我々は裁くことなかれ
我なんぴとも裁かず
殺すものは殺し返され
戦争で勝ったかと思ったら
もう負けた事を知りなさい

憎しみ、怒り、戦争
全てを癒すことができるのは
愛以外にはない


●カルマとは
罪とは
業とは
あなた方が幾転生の過程の中で
やり残した宿題

神仏があなた方に与えたものではない

恨みグセ、怒りグセ、嫉妬グセ
さまざまな悪いクセを超越するまで
輪廻転生は続く

しかし悟りには至らずとも
常に思いやりいたわり
生きることができれば
来世にはよき宿題を背負って出てくる

怒りや憎しみ、嫉妬や不安、恐怖に
生きている限り
無知、盲目、迷いに生きている限り
昇天、成仏はない
カルマ、業、罪の超越はない


●天変地異、天候異変の原因は
人間の悪想念の
積もり積もった結果であることを
知ってもらいたい


花々は美しく咲き誇ることはあっても
決して地球を変えることはできない

像はライオンは
草原を駆け巡ることはできても
決して地球を変えることはできない

雨は地表を洗い流すことはできても
決して地球を変えることはできない

地球を良き地球に
悪しき地球に動かしているのは
万物の霊長たる我々の想念であることを
知ってもらいたい


●息は自らの心と書く

言葉は嘘をつけるが
息だけは絶対に嘘をつけない
どんなに嫌いで許せなくても
言葉では好きと言える

あなた方は心のとおりの息を吐いている

誰しもに与えられている息
全てを生かしている息

誰の吸う息も完全

吸う息は愛として
吸う息は神として
吸う息は仏として
完全な息を吸いながら
吐く時は恨みの息
吐く時は怒りの息
吐く時は嫉妬の息

吸う息は愛であるのに
吐く息は破壊

息は波動
そのネガティブな破壊的な波動が
地球を覆った時に
天変地異、天候異変を引き起こしている


吸う息が愛ならば
吐く息も愛でないといけない

吸う息が慈悲ならば
吐く息も慈悲でないといけない

吸う息が完全ならば
吐く息も完全でないといけない

吐く息が毒ならば災いなり

恨みや怒り、嫉妬
心配や不安、恐怖という
破壊的な息を決して放ってはならない

刃物で相手を破壊することを
殺人というが
相手に怒りや恨みや嫉妬を向けている時は
もう殺人であることを知らねばならない

戦争や戦いは遠い国のことではなく
この自分の内側で行われている

恨みや怒りや嫉妬に燃えて
分離感で生きていることそのものが
戦争、戦い


あなた方にとって
あるいは全てにとって
幸いなる者か
災いなる者かは言葉ではない

息そのもので決まる

その心に一点でも
恨みや怒りや嫉妬
心配や不安や恐怖で
心が汚れ曇りがあるならば
災いなる者

皆さんの前に立つ者の息を
はっきり見抜ける
あなた方になってほしい


●どんなに宇宙のこと、地球のことを
知っていても
心に思いやりやいたわりの
愛のかけらさえない者が
何を知ったというか

我々は何を知るよりもまず
「自分自身が何者か」を知らねばならぬ

地球を知っても
宇宙を知っても
自分を知らなければ
無知、盲目、迷いの人生
それは失敗の人生

また輪廻転生という鎖に
つながれる他ない

しかし我を悟った者
我を知った者は
輪廻という鎖から解き放たれる

私にとっての悟りとは一言
本質を自覚している者

自覚とは
自らに目覚めると書く

自らが命であり
自らが本質であることに目覚めて悟り

永遠に実在するのはただ一つ
それはすべての本質


●70億の人間が今生
「今生こそは命の運びを
完璧に尽くしてきます」と
誰もが意気込んで肉体を持つ

何百何千何万回の輪廻の中で
肉体を持つたびに
「今生こそ身口意を正します」と
この現象界に降りてくるにも関わらず
「思うことができる」ゆえに人を悪く思い
「見ることができる」ゆえに悪い見方をし
口が「語れる」ゆえに
相手を非難したり裁いたり怒ったりし
「耳が聞こえる」ゆえに
非難話、噂話を聞き
身口意を正すどころか
カルマを上乗せしてしまう

何百何千何万回生まれて来ても
なかなか超越できない

しかし障害を持つ勇気ある子供たちは
今生の一転生を
「思えなければ」
人を悪く思うこともないし
悪い罪を犯さない

「見えなければ」見る罪を犯さない
「語らなければ」話す罪を犯さない
「聞くことができなければ」
聞く罪を犯さない
「動けなければ」
相手を傷つけたり殺すこともないと
そのようなカタチを持って
「一転生の間違ったその行為の全てを
克服して来ます」と
あえて望んでそういうカタチをとって
生まれてくる

障害児とまわりから非難され
批判を受ける厳しいカタチを
あえて選んで生まれてくる
勇気ある子供たち

それだけの強い意志を持った
勇気ある子どもたちに
選ばれしお父さんお母さんは
素晴らしい魂の持ち主


その子どもたちを
障害児と見るのではなく
神の無限なる真実を
「命」として理解する


我すでに命なり
我すでに光なり
我すでに真理なり
我すでに本質なり
我すでに神なり


〜〜ここまで〜〜


愛はこの空間に無尽蔵に存在して
誰にでも常に平等に与えられている

その愛をどの瞬間も
一呼吸ずつ頂いて
生きている私たち


その愛のひと息一息を
憎しみや怒りや嫉妬で
吐き出してはいけないんだね


それが出来ないうちは
輪廻転生の鎖から離れられず
何度も生まれ変わるようだ


いつもいつも愛の息を
吐くことは難しいけど
思いやりやいたわりの心を
みんなで少しずつ持ち寄れば
社会はもっと優しくなるだろう


そんな事を気づかせるために
LGBTや発達障害、精神疾患の人たちが
急増してるのかもしれない


見た目は健常者に見える
発達障害の人たちは
外からは見えない障害を抱えて
生きづらさを感じている


そんな障害があるなしに関わらず
今の世の中
生きづらさを感じてる人は
たくさんいるとは思うけどね



心屋仁之助さんが言う所の
前者、後者論


〜前者〜
空気が読め、理解、理論、表現
処理能力が比較的高いマルチタイプ

〜後者〜
天然、癒し系、言葉をストレートに受け取る集中タイプ

よく言えば天然だけど
悪く言えばKY、トロい、ドンくさい後者



ちなみに私はどちらかと言うと
前者・後者論は
曖昧な心屋さんより
的確に的を得ている
かさこ塾の塾長さんの説を推してるので
ぜひ読んでみてね





今の日本の教育や社会は
前者を基準にしてるから
前者になれない後者には
とても厳しい社会だと思う


実は私の家族のうち
長男を除いた旦那、次男
そして私の3人は見事に前者


もし長男がいなかったら
後者の生きづらさを理解したり
生きづらくて困っている人に
寄り添ったりすることのない
傲慢で冷酷な人間で人生を終えて
カルマをまた積み上げていただろう



命には
高いも低いも
偉いも偉くないもない


前者も後者も同じ命


1人1人の多様性を認めて
幸せな社会を作っていくのは
助けたり寄り添ったりする
思いやりやいたわりの心なんだと思う


長男はその事を教えてくれる
唯一の存在だ


もちろん喋れないこの人たちも
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