前出の清水友邦さんの著書の中に

引用されていた一節





日本に帰化した小泉八雲こと

ラフカディオ•ハーンの

絶版「神国日本」に書かれている


〝日本人はその肉体が終えると同時に

超自然の力を得て

時間空間を超越した霊となって

子孫と国家を護るのである。〟


この一節を読んで震えた



やっぱりこの国は

目には見えない力で

護られているんだな


それはもちろん縄文時代から

連綿と続くものなんだろう



昔はよく挨拶する時に

「おかげさまで」って言ってたっけ


「お元気ですか」

「おかげさまで」


親の世代も普通に

常套句のように使ってた


最近はぜんぜん

言わなくなってしまってた



何か見えない大きなものと

切れてしまっていたんだなあ



おかげさまのおかげで

水があって空気があって

ちゃんと太陽は昇り

陽は沈み

心臓は動き

身体は機能してくれてる



いつの間にか

自分1人の力で

頑張って来たって

勘違いしてしまってた


特に悩みや困難に

ぶち当たってる時ほど

歯を食いしばって何くそって

自分が頑張ってしまうものだよね


自分の力なんて

たかが知れてるのにさ

自惚れにも程がある

傲慢にも程がある


だからいつも身体は

緊張しっぱなしだし

思考もぐるぐる止まらない



常に見えない

いろんなおかげさまで

ここまでやって来れたのに

そんなことに気がつく事なく

ガムシャラ、シャカリキに

突っ走って来た



大事なおかげさま忘れてたなあ



おかげさまに護られて

おかげさまに 

支えられてる日本てすごいわ



ちゃんと丁寧に見れば

おかげさまに溢れてる世界なんだよねえ




お影さま?お陰さま?

って言うくらいだから

月とも密接に関係があるのかな


太陽の影によって

様々に変化して見える

この地球にとっての月って

やっぱり格別なものがあるんだろう


女性の生理周期や

出産の周期とか

命と関わるリズムが

月の満ち欠けの影響を

受けてるわけだしね



そういえばkan.さんの本の中に

〝お月見の本当の意義〟

という一説が書かれてる




ー以下抜粋ー



かつて、かかとと腰がつながる感覚を持っていた身体は、今とは月が違って見えていました。

「ありのままに見えた」ともいえますし

「自分の中に月を発見できた」ともいえます。


いにしえの日本では、複数の人が輪になって、その感覚を活性化していたようです。


昔の日本の身体文化は、今とは異なり完全に開いていました。

歩き方にしても、大地とのつながり方にしても、農耕によるつながり方にしても、あるいは漁におけるつながり方にしても、自然と調和し、自然のスピリットと交流しながらできあがった身体というものがありました。


その身体をもって月夜の晩にみんなで集まり、あるフォーメーションを組んで、共振を起こしていたのが『お月見』です。


ちょうど一つの音叉をポンと鳴らすと、少し離れた場所の音叉も鳴るように、フォーメーションを組むことで、人間のボディとボディが共鳴し振動を起こしていたのです。

その振動がぐーっと起こってきたときに、みんなで月を見上げ、月を分かちあっていました。


それは、みんなで同じ映画を観るという以上に同じものを見る行為でした。

同じ映画を観ても、観る人によって、それぞれ感想が異なるのは、一人ひとりが違う世界をつくりあげてきたからです。

個性の違いというよりも、自分にインプットされたものの違いといったほうが的確でしょう。


しかし、かつての身体文化には、インプットしたものの違いではなく、自分に内在するものによる違い、すなわち個性がありました。


七人集まることで、自分一人では体験できないものが味わえるのはまさにそのためです。

「あなたがいてくれたから、こういう面が味わえています」

「いや、私のほうこそあなたのその面に感動しています」と各人に内在する月が混ざりあって、味わいが七倍どころか立体化することが起き宇宙をめでることができたのです。


ー略ー


何のために人がいるのか。

それは他者がいてくれることで

自分一人ではできない体験ができるからです。


相手が自分にとって必要な存在であると同時に

相手にとっても自分が必要な存在だということです。

月見の意義はそこにあり、いにしえではお月見を通してそれを理解していました。



ーここまでー



私たちって

親からのインプット

学校や先生からのインプット

社会からのインプット

テレビや情報からのインプットで

出来上がっちゃってるよね



外からインプットされたものじゃなくて

もともと備わってるもの

もともと内在してるもの

もともとのオリジナルを

発見していかないとだよね



インプットされて来たものを

取っ払って削ぎ落として

何かを見た時に

ほんとにそのものの姿が

見えるんだろうな



肉体があるこの人生で

そういう境地に

なってみたいもんだね



取っ払って取っ払って

削ぎ落として削ぎ落として

マッパになっていくだけなんだな





江戸時代の頃は

月見窓があったりして

江戸の庶民も

虫の声を聴きながら

月見酒を飲んで

地平線から昇り出る月を

楽しんでいたんだね







9/29には満月で中秋の名月だから

お団子にススキを添えて

月を愛でようかな

でもきっと月より

団子になるんだよな🤣




杉山開知さんの地球暦より






いにしえの人たちが見ていた月は

どんなのだったんだろうね





宇都宮市にある

いにしえの根古谷遺跡の竪穴式住居


縄文の人たちもお月見してたろうなあ