全てを死んだ祖父のせいにした。
死んだ後に遺産で揉め、歪み合う。
こうなる事も予測できなかった私のおじいちゃんが無責任。
死んだ後に親戚が手と手を取り合うのではなく、戦闘モードにさせたおじいちゃんの作る人間関係に問題があったと。
そう思うことにした私は、
私のせいでも、親戚のせいでもない。と。
そう思うことで、受け入れられた。
そして思考も心も落ち着いた。
愛する祖父の失態だと思うと、1つ1つのトラブルも
私がなんとかしようと切り替わり
私を責め立ててくる大人に対しても
『この人も被害者だ』と同情していた。
誰かが悪いも無く
物事はいかに全てを受け入れ、支配するか。
しなくていい経験だったとも思うが、
人の醜さに触れ、まさに四面楚歌。
周りは敵ばかり。そう感じていた。
のちに気づくけれども、
私は常に”周りは敵ばかり”そう思っていた。
だからこんな事になったんだとも思う。
『私は愛されている』
『おじいちゃんが死んでしまったから、親戚のみんなが助けてくれる』
そう心から信じて疑わなければ、こんな事にならなかった。
結局自分で引き寄せた。今振り返ればそう思う。
辛く苦しい経験は、なんで私が?
そう思いがちだけれど、
人生は自分の心の鏡。
この経験も私の心の姿。
”そんな事ない”、と言いたいけれど
恥ずかしながら、自分の心が現実化した。
いつも心が先で現実が後。