palet 中野佑美オフィシャルブログ

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palet緑担当、ゆゆこと中野佑美です。Twitter@Nakan01998

12/28palet史上最大ワンマンin赤坂BLITZ、チケット一般発売10/24開始!


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こんばんは、遅ればせながら12月28日に赤坂BLITZにて行われた年末スペシャルに足を運んで下さった皆さん。本当に、本当にありがとうございました。史上最大キャパシティで行われた一年を締め括るとても大切なライブ、そして「palet 中野佑美」にとって最後のライブでした。

私は幼い頃から歌うことが大好きで、アーティストに憧れ小学生の頃には両親に何も言わず勝手に芸能スクールのオーディションを受けたことがきっかけで本格的にアーティストを目指すようになりました。愛知県から毎週一人、夜行バスに乗り東京でレッスンを受ける。それだけで夢に一歩近づいた気でいました。

そして、芸能界の厳しさを教えて下さる講師の方に耐え切れずクラスの半分が辞めてしまう様な容赦ないレッスンは幼かった私の心を強く成長させこの頃の経験がまさに合金メンタルの起源だったと思います。笑 立ち方や話し方といった基礎から、歌に合ったダンスを自分で考え披露するという所まで。何から何まで叩き込まれました。

その後、一年間のレッスンを終えた私は自分の夢を叶えることがどれだけ過酷な道なのかを突き付けられ容姿や歌声に自信が持てず自信が無いのは技術が無いからだと思い再度音楽を一から学ぼうと中学生ながらに音楽の専門学校に通うようになりました。馬鹿の一つ覚えみたいに、この頃は勉強をすれば良いと思っていたんですよね。

中学校を卒業し高校生になった頃、街でスカウトされ取り敢えず所属だけしておこうと軽い気持ちで入ったプラチナムプロダクション。所属してから一年半が経ったある日、一本の電話がきっかけで私はpaletに加入する事になりました。どんなに勉強をしてもそれだけではアーティストにはなれない、であればもう経験を積むしか手段がなかったんですよね。

前向きに考えてみればアイドルでも音楽界のことを学ぶには良いチャンス、そう言い聞かせ悩みに悩んだ結果paletへの加入を決めました。それからは正直思い出したくないくらいに毎日が辛くて、地獄のような日々でした。笑 他メンバーが三年間で覚えた曲をダンス経験のない素人の私が覚えるには時間も頭も足りなくて、喘息で引きこもりがちだった私は体力すらも一般人以下。。笑

メンバーとも馴染めない、ダンスも覚えられない。それでもどんどん進んでいってしまう、置いていかれてしまう。それが何より怖くて、何クソと思いながらも必死に食らいつき唇を噛み締めて気付けば半年。余裕が出来、ライブを心から楽しめるようになってから一年と本当に毎日がとてつもないスピードで過ぎていきました。その間にもギターを弾かせて頂いたり、ソロ曲を歌わせて頂いたりと自分の夢も一つ一つ着実に叶えることが出来ました。

私の選択は間違っていなかった、そう思えました。CDショップに行けばCDが置いてある、本屋に行けば雑誌がある。そんな当たり前の日常に私も紛れ込んでいて、それが不自然で可笑しくてでも凄く凄く嬉しくて。paletに加入したからこそ見られた世界、出来た曲が沢山溢れているんだと毎日に感謝する様になりました。何もない日々が、今では一生忘れられない思い出になりました。

そして何より大切にしてきたファンの方々との思い出、趣味の話や音楽の話が出来る仲間の様な存在でした。皆さんと話す時間、ライブを心から楽しむ素敵な笑顔。それが何よりも救いになりました、本当にありがとうございました。言葉には表せられないくらいに皆さんの全てが愛おしくて、本当に大好きで苦しいくらいに大切な存在です。

そんな皆さんにギリギリまで隠す事になってしまった卒業発表、仕方ない事だけれど私にとって発表までの日々はいつまでも続く悪い夢の様でした。卒業を決めたのは夏の全国ツアーを回っていた頃で、パフォーマンス中に涙が出るくらい足に響く異様な痛みがきっかけでした。疲労からきているものとは明らかに違う激しい痛みに一部終了後、もう踊れないとプロデューサーさんに泣きついた日もありました。

それからは踊る事が苦痛に変わり、ライブは痛みを耐える過酷な時間に変わってしまいました。そして、ツアーの合間を縫って病院に行ったところ同じ様な活動を続けるには手術が必要で復帰するには早くて半年から一年はかかると診断され頭が真っ白になりました。自分の将来への焦りもあった為、一年のロスタイムは何とか避けたくて踊る事は出来なくても歌う事は出来る。これを機に私はpaletを卒業しよう、そう決めました。

加入から一年半で卒業だなんて身勝手な判断だと思います、それでも私には歌しかなくて踊れなくても歩けなくても歌っていたくて。アーティストとして、ソロシンガーとしての夢を果たさないと人生に納得が出来ないところまで来ています。paletで得たものは計り知れないほど大きくてこれからの糧になり、何よりも私を強くしてくれました。だからこそ、このタイミングで卒業を決断出来たんだと思います。

前向きな卒業という事で複雑ながらも喜んで下さるファンの方、寂しいと涙を流して下さるファンの方。沢山の方々と迎えた12月28日のライブは私にとって最後の試練でした、特典会を終え一人で立つことも出来なくなった私をスタッフさんと一緒に抱えて支えてくれたメンバー。痛みから逃れようと縋り付く私をなだめてくれて、涙を拭いてくれて本番前の大事な時間を削ってそばにいてくれました。

みゆきさん、りーちゃん、まゆちゃん、さきちゃん。心配そうな顔をして大丈夫、大丈夫。ゆゆちゃん泣かないでと優しく声を掛けてくれました。ゆいちゃんは泣き腫らした私の顔を見ていつも通り笑いながら冗談を言って元気づけてくれました。そんなゆいちゃんはスタッフさんがもうこの子踊れない、立つ事も足の負担になると言った途端「ゆみちゃんは座って歌うだけでいいから、私話してくるから」と一目散にプロデューサーさんの所へ向かってくれてたんです。

その時、こんなにも尽くしてくれるメンバーとこの日を迎えられて幸せだと心から思いました。それと同時にこれは試されているんだろうなと感じたんです。このまま踊れなかったら私の人生もここで止まってしまうんだろうな、なんて大袈裟かも知れませんがそう思いました。結果、パフォーマンスはボロボロでしたがなんとか最後までステージには立っていられましたね。笑 

それは次のステージに歩いて行けるという自信にも繋がりました、近くで支えてくれたメンバーやスタッフさん、そして皆さんの声援のお陰です。本当にありがとうございました。私はもう一度赤坂BLITZで歌いたいです、何年掛かっても絶対にあのステージに帰ってきます。12月28日の出来事を思い出にしたくありません。応援して下さる方が一人でもいる限り、歌う事を決して辞めません。

最後に、沢山の企画やお花。手紙やアルバム、プレゼント等々ありがとうございました。大切にしますね。では、また会う日を楽しみに。

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