ななぞうしがかきます。

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きょうはすこし情けないお話もしますよ


20201211 シンクロニシティは8年間の活動を終えて解散しました


思い起こせばはじめてスタジオに入ったのは2011年の12月じゃなかったかなぁ(違うかも笑)ともかが「バンドやりてーから女子でかっけーことやろうぜ」つってまきことポールを誘ってわたしも誘われて始まったのがシンクロニシティで わたしは「滑舌わるくて言えないからイキシチニ的なバンド名はやめて」って言ったのにこれ以上ないくらいイキシチニ的バンド名にしてきておおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいみたいになったのを覚えてる わざとか?

2012527日に稲毛K‘s Dreamで初ライブ 最初はただただたのしいだけで始めたことだったけど続けていくうちにたのしいだけじゃなくなって メンバーがやめたり七蔵司は酒でライブハウスを出禁になったりまぁいろんなことがありました 言いたくないことだって言わなきゃいけないときもあっただろうし 自分達のやってることがほんとに正解なのか悩んだときだってありました 軌道修正してそれも間違ってるような気がしたりして 果てはなんにも信じられなくなるときだってたぶんきっとありました

まぁいろんなことがありました

でもふしぎと(このままどうなってしまうんだろう)なんて絶望的に思ったことってあんまりなくて たぶん何かしらの道を見つけてこのメンバーで歩いていけるんだろうなっていう漠然とした自信があったのです

きっとそれも舞ちゃんが入ってきてくれてからかな


最後までサポートしてくれたドラムの龍一やあべなんかもうほんとまじメンバーとおんなじで 4つ下の龍一と朝まで酒のんでめちゃくちゃ喧嘩したり 5つ下のあべとスタジオ終わるたびに公園で酒のんで人に言えないような人生相談のってもらったり こいつらなんなんだいすきってまじずっと思ってる

今までのメンバーもサポートしてくれたひとたちも含めて わたしたちが出逢ったこのシンクロニシティはきっと何かしらの意味を果たすための偶然だったんだなと思う


わたしたちはいつだって未来の話をするために 悩んでもぶつかってもきょうという時間を一緒に過ごしていた

こいつらと「なにかをするために」何かをするということ


それとなんら変わらず わたしたちには明日があるということ



1123日は大阪のraciku 神戸のiTucaっていう親友たちと大阪Club DROP3マンイベントを打ったわけだけど

あの魔の自粛期間中 暇さえあれば(というかわたしはほぼニートだったんだけども)かげちゃんとゲロ子とオンライン飲酒会をしていた ちなみにこの3人のライングループ名をあの有名なロドリゲスボンバーという

自粛中はきつかった マジ精神的にきつかった ライブはできないし家族の心配事もあったし何より自分のダメなところと真っ向から向き合わなきゃいけなくて それは必要なことだったんだけどほんとうにきつかった そんなしんどいことわざわざ友達に言わなくてもいいんだけどこのふたりには言っていた 恥ずかしいけど

そんなことがあった上で解散するって言うでしょ なんなんだよって言われたっていいのにすぐに「いっしょにやろや」ってかげちゃんが電話をくれて すぐにiTucaものってくれて あの3マンの形ができあがったわけです わたしは嬉しいやら悲しいやらでなんて言っていいかわからなかったけどとにかくよくわかんねえ感謝みたいなきもちがあふれて家でめっちゃ泣いた


ほんとはわたしたち あのときは情けないことにすぐにでもやめたかったのかもしれない もしかしたら解散ワンマンだって下手したらやらなかったかもしれない それくらいコロナ自粛でいろんなこと考えてすぐにでも次の人生に動き出したかった あとなにより個人的には情けないけどマジつらかった


口先だけではなくて あの日仲間が背中を押してくれてはじめてわたしは前に進むための一歩を踏み出せたと思った

大阪3マンの前日1122日の午前2時前お父さんが死んだ わたしはこの気持ちと事実を抱えて先に進まなきゃいけないんだって思った お父さんとの思い出はそこで増えることはなくなったけど 明け方お父さんの亡骸とふたりきりの病室で 昇ってくる朝日を浴びながらわたしは今から何かが始まるんだってわかった


この先忘れられてしまうこともあるだろうってiTucaのアキラが言ったけど わたしはいいなそれ、それでもいいなって思って

わたしももうあのときの気持ちをそっくりそのまま思い出せることなんてないかもしれないけど あの時の今を踏みしめて進んだ一歩だったから 今わたしが歩き続けていられてるならみんなに忘れられちゃっても大丈夫

でも今の歩みの第一歩の背中を押してくれたのは間違いなくあいつらだった ほんとにありえんくらいの勇気をもらった




わたしたちはこれからも未来の話がしたい 道は違えどおなじ時間を歩いていきたいと思うのです それはメンバーたちだけではなくて シンクロニシティとして出逢ったすべての仲間たちと これからの話をしたいのです


いまはっきりと今後これをしますよ 次はこれですよ みたいに発表できることはないように思えるかもしれないけど きょうもわたしは確実に明日に向かうための一歩を踏みしめて今日を生きております

わたしたちの8年間は そのうちそれぞれの時の流れに埋もれてしまうこともあるでしょう まぁそれもなんだかいいかな  わたしたちが共に過ごしたあの時間がきっと今日の 明日の新しい出逢いに繋がっているとしたら なんだかなんだかすてきだな

わたしたちシンクロニシティといっしょに過ごした8年間 なにかしらの形であなたの幸福のきっかけになりますように

わたしと これを読んでいるあなたとの出逢いも「意味のある偶然の一致」これぞシンクロニシティ あなたとの出逢いに感謝をこめて

いままでほんとうにほんとうにありがとうございました これにて解散!



みなさんどうぞ健やかで






photo by エモト ココロ

 twitter/instagram  @kokoroemoto

https://kokoroemoto.base.shop/
















言葉とは 必要なこと以外たいして伝えられない まあまあ使えないものと存じます

 

 

 

感情を伝えるうえで稚拙な言葉のラリーほど無駄なことはなくて 学校で習う最低限の日本語を駆使するだけでもおまんまが食べられて排泄をして家賃を払って生きていくことができるけれども(七蔵司は現在ご実家ですが)

ある程度ものを考え自分以外の生きものと関わり 人間らしく雑踏の中を生き抜くには 人間の生活ってのはあまりにもいろんな不要な感情ばかりに大半を占められていると思う ひとつの単語も介さずにはじまる関係なんてものはないのである その手段が手話でも絵文字でも筆談でも なにかしらの行為の基礎には感情に基づいた言葉が人間と人間の間に必要不可欠になってくる、から、そうして使った言葉はその意味にこめられた必要最低限のはたらきしかしてくれないのである ないと困るけどもそれ以下もそれ以上のはたらきをぜんぜんしてくれない というかものすごく受け取り手一発の運だめしみたいな感覚がひとと会話しているとよくある だからひとは言葉を選んで選びきれなければじぶんより賢い偉人のことばを採用してなるべくじぶんの感情をニュートラルに相手に伝えられるようにしたりする

それがものすごくめんどくさくて伝わらない

ていうかひとのことばをいただいてる時点で全然じぶんのきもち伝えられてないじゃん って話になるんだけど たぶんわたしの伝えたかったことのただひとつも相手に伝わっていないのに 受け手が「理解した」とOKを出せばそれでよかったことになってしまう

わたしが言いたかったのはもっと単純で ただただ心のうわずみだけすくった感じの、なんかこうゆらゆらしてる感情だけをあらわすこうなんていうか都合のいい言葉はこの世にはないのであった しかもそれがまいにちまいにちまいにちまいにち わたしがべつにいちいち伝えなくてもわたしもあなたも生活はかわらないので べつに伝えなくってもなんにも問題ない、わたしにもなんにも問題がない

そもそもゴミに名前をつける必要はないのであって ゴミには処理方法だけ明記しておけばまわりはこまらないものです(可燃ゴミ/不燃ゴミ/ナマゴミ) ただただ日々の生活のなかで なんのためにもならないような空気ゴミみたいな感情ばかりあらわれては消えてを繰り返す

ほいでまた 無力すぎる言葉で足りないものを補うために ふれあったり抱きあったり 涙がでたりするんでしょうよ

 

 

 

 

結局やっぱりわたしの言ってることも あなたには伝わらなかったと思います