2月下旬に救急搬送された実家の母ですが、約20日間の闘病の末、亡くなりました。

 

病院では、担当のドクターだけでなく、病棟の看護師の方々が皆様

 

本当に一生懸命、母を看護して下さり、心より感謝申し上げます。

 

 

 

 

最期の時を、綺麗な個室で、優しい看護師の皆様が、医療的な治療は勿論の事、

 

口腔ケアや痰の吸引から始まり、乾燥しないように保湿クリームを口や体に

 

塗って下さったり、床ずれが出来ないように頻繁に体位を変えて下さったりと、

 

まさにかゆい所に手が届くような細やかな看病をして下さり、頭が下がる思いです。

 

遠方に住んでいる私達の変わりに、このように手厚くお世話をして頂き、

 

感謝の気持ちで一杯です。

 

本当に有難うございました。

 

 

 


 

夫も海外出張から帰宅し、確定申告も無事終了、母の容態も奇跡的に持ち直し、

 

理学療法士や言語聴覚士によるリハビリ計画も始まった矢先の先週半ばの事です。

 

担当のドクターより

 

「お母様の容態が急変しました。血圧も下がり意識もなく、かなり危険な

 

状態です。夜になっても病室に入れるように手配しておきますので、

 

泊まる用意をして急いで病院にお越しください。」とのお電話を頂きました。

 

妹にも連絡し、大慌てで準備をし、夕方のあずさに飛び乗り。

 

同時に、父の入居している有料老人ホームにも連絡し、急いで父を病院に面会に

 

連れて行ってもらい、母とのお別れも父にさせて頂きました。

 

 

さて、大慌てで夜病院に駆け付けた妹と私ですが、

 

またまた取り合えずの危機は脱したとの事。

 

それから数日間、出たり入ったりしながら、妹と交代で母に付き添い

 

その間に、アドバイスを頂き、事前にお寺のご住職にご挨拶に伺ったりも。

 

 

タクシーを待っている間にお寺の駐車場からぱちり

 

 

 

 

お寺は高台にありますので、諏訪湖が一望出来、眺めが良いです。

 

 

 

 

久し振りでしたので、お墓の様子も見に行きました。

 

本堂から更に上に登りますので、お墓からの眺望はより良いとは思います。

 

が、若い頃は何とも思いませんでしたが、前期高齢者の仲間入りをした今の私には、

 

この急坂は上るのも下るのも本当にきつかったです(;^_^A

 

 

そして、父に母の容態を報告する電話で、父から、

 

”母がエンディングノートを書いていた。

 

母のベッド脇のサイドテーブルの引き出しに赤い表紙のエンディングノートが

 

入っていると思う”という情報を、初めて聞きました。

 

ということで、合間に、母のエンディングノートを探しに実家へ。

 

父の話通りベッドのサイドテーブルの引き出しの中に、無事に母の

 

エンディングノートを発見。

 

 

こういった類のものがあるという事をもう少し早く教えて欲しかったと思いながら、

 

悩んでいた延命治療に関しても、希望しないと明記されていて、

 

ある意味ほっとしましたよ。

 

 

そして、亡くなってから、葬儀に関しての記述が、とても役に立っています。

 

どんな葬儀にしたいか、誰を呼ぶか等が書かれていて、母の希望通り、

 

家族葬にて執り行う事にしました。

 

 

また、葬儀社との打ち合わせで、お棺の中に何か入れてほしいものはあるか、

 

故人の好きな服を着せますかと、聞かれ困っていました。

 

が、エンディングノートを確認しましたら、

 

白装束の上に、自身の着物のうちから色無地をかけて欲しいと明記されていました。

 

打ち合わせが終わり、死亡届を出した後、実家に立ち寄り、桐のタンスの着物を

 

たとう紙を一枚一枚開けて全て確認して、件の色無地も発見。

 

エンディングノートのおかげで、母の希望通りの色無地をかけてあげて

 

旅立ちを見送る事が出来そうです。

 

 

また、遺影に関しては、ノートのラストに、スナップ写真が20枚程入っており、

 

良いものを選んで使って欲しいと書かれていました。

 

それらの中から、娘の結婚式の時の写真をチョイスしました。

 

プロが撮影した写真ですし、データがありますので、顔の部分を引き延ばしても、

 

このお写真がぼやけずに鮮明に一番綺麗に仕上がるとの葬儀社からのアドバイスも

 

ありました。

 

 

 

私が自宅に戻りデータを探さなくても、娘も同じデータを持っていますので、

 

ラインで娘に依頼、その日のうちにデータを送ってもらい、写真屋へデータを送付。

 

背景を変える以外はそのまま使えますので、翌日にはフレーム付きの遺影が

 

完成しました。

 

母が亡くなる13年前の写真ですが、まだそこそこ若くて綺麗に写っていて、

 

とても良い遺影が完成したと思います。

 

 

残りのお写真は、小さな簡易アルバムに入れ、お通夜や葬儀の折、皆に回して

 

見て頂くつもりです。

 

 

住民票の住所と共に、本籍地も記入されており、どうして書かれているのか不思議

 

でしたが、死亡届に本籍地を記入する必要があるという事も初めて知りました。

 

また、親戚の連絡先や、預貯金の一覧も書かれていますので、

 

今後役に立ちそうです。

 

 

ネットで調べましたら、各社から色々な種類のエンディングノートが、

 

出されているようですね。

 

今回、エンディングノートがあったおかげで、母の意思を確認しながら

 

事を進める事が出来てとても良かったと改めて思いましたよ。

 

ある程度の年齢になったら、自分に合っているノートを選んで、少しずつ、

 

記入していくのが良いのかもしれないと感じました。

 

 

 

また、延命治療については、母のエンディングノートは、余り詳しく記述する箇所は

 

無かったのですが、今回一旦回復し退院に向けて人口栄養について悩む事が多々

 

ありましたので、人口栄養の延命治療に関して、もう少し詳しく本人の意思を

 

書き込んでくれていたら、悩まなくて済んだのにと思いました。

 

 

という事で、延命治療三つの内の「人工栄養」に関して、前エントリーに追記し、

 

もう少し詳しく述べたいと思います。

 

人口栄養には、

 

①胃ろう 

 

人工栄養の中では最も効果のある延命治療である

 

が、手術が必要なため母のような肺の持病もある高齢者には負担が大きい

 

また、胃ろうは栄養的には一番優れているが、一度始めると人工呼吸器同様

 

中止するのが難しい

 

認知症が進み回復の見込みがない寝たきりのお年寄りには果たして必要か?

 

 

②経鼻経管栄養法

 

鼻の穴からチューブを挿入し胃や腸まで通し注入する方法にて、やはり手術が必要

 

また誤嚥性肺炎の合併症などを起こしやすいく、認知症の場合はチューブを引き抜い

 

てしまう可能性もあり、母には向かない。

 

短気間に回復する人向け

 

 

③中心静脈栄養法 

 

心臓に近い太い静脈に挿入したカテーテルから、高カロリーの輸液を注入する方法

 

にて、やはり手術が必要。

 

ドクターから母はこれが良いのではないかとお薦め頂きました。

 

が、感染の可能性もあるため、受けいれ可能な施設は実家地域ではほぼない。

 

退院後劣悪な医療介護院とかで寝たきりの状態のままなのも疑問

 

延命効果も半年強程度(私調べにて個人差があり)

 

また、長期間大量を輸液を注入する為、浮腫みが出る、腹水や胸水が溜まり、

 

本人が苦しむ事になる。

 

 

④抹消静脈栄養

 

日本では延命治療の範疇には入っていませんが、海外では実は延命治療に

 

分類されているらしいです。

 

平気的な延命効果は、私調べでは約1カ月強

 

母も入院前に熱が出て食欲がなくなった時点から、老人ホームでかかりつけ医の

 

指示で、脱水予防のために、腕の静脈から輸液の点滴を受けていました。

 

中心静脈栄養法と同様、長期間に及ぶと、浮腫、腹水、胸水が溜まり、苦しむ。

 

 

ドクターから危険な状態と言う連絡を受け、私達が病院に駆け付けた時、

 

母は老人ホームも加えると、抹消静脈からの補液を注入してからちょうど三週間。

 

母の左腕は、点滴針であちこちが紫色に腫れており、右腕に腕を変えて点滴中

 

あばら骨が浮き出てやせ細り、両腕両手指が、むくみでパンパンに腫れていて、

 

とても可愛そうです。

 

日本人としては、誰でも何気なく初めてしまう当たり前の点滴です。

 

そのおかげで、死期が少しだけ延び、確定申告も終わり、夫も海外出張から

 

戻り、私達も助かったのですが…

 

でも、一旦始めたら、本人が苦しそうでも、

 

よほどの決意がないと止められないんですよね。

 

 

ご参考までに書かせて頂きましたが、人工呼吸器云々より、栄養に関しての延命が

 

一番難しい判断だと今回身をもって実感しました。

 

 

エンディングノートに、人口栄養の延命に関して、どんな場合ならこれをして、

 

あるいはこんな場合ならもうしない等、ご本人が考えて具体的に書かれていたら、

 

きっとご家族は悩まずにすぐのではないかと、思いましたよ。

 

 

 

 

重いテーマを長々を恐縮です。

 

でも、改めて、エンディングノートを残す大切さを感じた次第です。

 

 

 

お口直しに、何回かあずさで東京と病院や実家を行き来した中で、

 

車窓から撮影した富士山をお裾分けです。

 

 

 

 

 

 

 

 

車窓からですので、どの辺りか不明ですが、地名がたまたま入ったお写真が

 

ありましたので、竜王より小淵沢寄り韮崎の辺りでしょうか?

 

 

 

 

束の間の癒しでした。

 

 

結局間が悪くて母の死に目には、私も含め、家族は誰も立ち会えませんでしたが、

 

私は、自身の最善を尽くして母を看取ったと自負していますので、

 

後悔は全くないです。

 

むしろやり切った感でしょうか?

 

 

それに、先月末に最初に病院から危険だと連絡を受け、妹と駆け付けた時は、

 

母はまだ意識がありましたので、それが実質的なお別れになりました。

 

姉妹揃って意識のある母にお別れが出来て、本当に良かったと思っています。

 

 

先週半ばに連絡を受けて駆け付けた時は、母の意識はなく、とても

 

苦しそうでしたので、正直早く楽にさせてあげたいという思いが強かったです。

 

ですので、真夜中に連絡が来て、やはり病院に駆け付けたドクターが

 

スマホ越しに臨終の確認をして下さり、悲しさと同時に、

 

母は漸く楽になったのだと少しほっとしましたよ。

 

 

 

葬儀の打ち合わせも漸く終了し、一旦帰宅。

 

お寺の住職のご都合もあり、葬儀はこれからです。

 

まだまだ忙しい日々が続きそうです。

 

暫くは、いいね!返しも滞るかと思いますが、お許し下さいませ。

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、有難うございました。