冬至の思い | 似顔絵とちんどん屋の なるみ堂

似顔絵とちんどん屋の なるみ堂

兵庫県の市川町にある古民家で似顔絵とちんどん屋をはじめました、なるみ堂です。

ちんどん屋のなるみ堂一座、似顔絵のなるみ堂創作工房の紹介をしていきます。

関西一円どこでも!よんでいただければお邪魔します。

なるみ堂です。

今日は冬至でした。

冬至は1年で1番日が短くなる日ですが、寒い寒いにこだわるより、明日からはだんだん日が長くなるのですよね。

つまり、太陽が生まれ変わるという意味で、みんなの運が良くなっていくとも言われています。

中国の考え方で、日が1番短いので陰が極まり、それから陽に転じていくという意味の一陽来復という言葉があります。

若い頃お世話になったお店白樺の高瀬照美さんが毎年年賀状にこの言葉を入れておられました。

陰極まって陽となる

今更ながら、いい言葉ですね~

わたしは日本時間の1時48分に冬至を迎えるということで、畑で球根植えをしながら過ごしました。

今年はこれも占いで出た今年は1番最低の運で、種を植える年だよと言われていたのに由来している、かも。

パートナーがウイルス性の風邪をひいて、39度の熱が3日続いて今でもまだ治りが悪いのですが、そのことから色々気づきがありました。

まずは、病気との共感は、健康なものにはできない、ということ…

というとても残念な真実が発見されました。

ウンウン唸ってしんどいのに、こちらはわかりますという気持ちに全くならないわけで。

まぁ看病する人は元気じゃないとできませんがね照れ

心の病気でもそうですが、わかってもらうことはできなくて、ただ聞いてくれるだけとか、必要なてだて、例えば歩けないから水を持ってきてくれる、とかそんなことなんですね。

それと、言葉ではなくて行動の方が助けになるのだと思いました。

〇〇しなさいよ、というアドバイスなんか病気に効かないんですね。

それと、病気が何を教えてくれてるか、ということもしみじみ考えさせられます。

何か、意思に反していたことが多かったのでは…と。

彼は人のために尽くすことが多かったのでは、と考えてしまいます。

逆にわたしは、パートナーを支えることよりも、家族と仲良くするよりも、わたしはずっと自分に目を向けてほしいという思いを満たしたかったということに気づかされました。

看病とか慣れなくて難しいニヤリ

今年はお金的にも車検二台のローンが家計を圧迫して、かなりびびりました。

通帳を見ては唸り、郵便局でため息をつきまくる年だったのに、それでもふと考えると球根植えたい、と思ったらもう買ってる自分に気づかなかったのですね。

あ、自分にエネルギー(お金)、注げてた。と。

すると子供たちにはどうだろう、パートナーにはどうなんだろう。

振り返るとごめんなさいと言うしかないなと思いました。


今日はまたふとパートナーの振る舞いを思い出してみて、子どもへ、わたしへ、毎日お弁当作ったり早めに帰る努力をしたり、誕生日プレゼントや買い物にエネルギーを使っているのを思い出し、それは愛を表明しているのですよという声が聞こえてきて、震えてしまいました。

すいません、ありがとう…


それと対照的に、家族のために、連れ合いのために、いいことや親切なことや当たり前なことを、イヤイヤやって、我慢してやって、自分の気持ちを誤魔化してアルコール中毒になる誰かのことも思い出し、またぶるっときました。

良い子しすぎて、良い親しすぎて、実はごまかしてないか?と。


そして、マックスバリュで、冷凍食品を買ってみましたラブ

楽しても添加物多そうでも、少々で死なへん。

全手作りで頑張らなきゃいけないこともない気がしてきた。


意に反しちゃ、いけないんだな。


魂に沿うように行動したいな、と思ったのでした。


楽したいときは楽しましょう。