チンドン屋だけど、似顔絵やだけど正直に書きたいときもあるよ | 似顔絵とちんどん屋の なるみ堂

似顔絵とちんどん屋の なるみ堂

兵庫県の市川町にある古民家で似顔絵とちんどん屋をはじめました、なるみ堂です。

ちんどん屋のなるみ堂一座、似顔絵のなるみ堂創作工房の紹介をしていきます。

関西一円どこでも!よんでいただければお邪魔します。

なんかちょっと疲れがたまってる気がしてて、でも仕事もできてるし疲れてるけど進んでる気がしてるからいいや、とおもってたけど、

抜け毛が三箇所に増えたガーン

じうえんサイズ…

なんかね、これは、ダメなことだと思ってたけど、抜けることってあることなんだねー
ゲーハーを笑ってしまってたのかもしれない。

ほんとよくわからんうちにできてた。

忙しすぎたからとかにも気付かなかったし、原因よりも、こういうのはなんかに気づいて欲しいよーって体が言ってるってことなんだろうなとおもう。

フェイスブックではちょろちょろ語ってるけど、ブログでまとめて書いていきたい。
  
特にこないだ、初めていただいたアコーディオンで見栄えも良くなり、張り切っちゃってしんどいのも気付かなくて弾き続けたあとのこと。

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鼻笛部のみんなも着物を着ちゃってかわいいこと❤︎

でも私はこの後、温泉の山の上まで上がって気づいたら気分が悪くなってしまって、お腹も減ってるのかどうかわかんなくなり、辛さがドバーッと…

どうもアコーディオンの重みで肩に血が溜まってしまったのか、午後からは全く動けなくなり、車の中で辛くて泣いてしまいましたよ。

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どーせすごいブサイクになってるんだろうとおもって、写真を撮ったら泣き顔が絵になってかわいいと思った写真です。

私の中に、幼少の頃に自分はブサイクだから要らない子というトゲが刺さっていて、そのせいでずーっとさまよってきたのが、この間日々学びの中でテーマになってました。

それはとてもつまらないきっかけだったんですが、過敏すぎる当時の私は、散髪屋で動いたら松田聖子みたいになれないという発言が、いばら姫の紬ぐるまの針のように刺さり、あー動いたからもう私は期待されるかわいい子ではない、と思い込んでいばらの奥の森の中に小さな子供の私は眠ってしまったのだと思います。

それが人生のテーマとなって、恋愛するときには、好きと言ってくれる人が現れたらその好きというエネルギーの中に、私ってかわいい?可愛がってくれる?大事にしてくれる?という脅迫でお返ししてしまって、好きだから可愛がられる筈という思い込みが外れると、ないがしろにされたと怒りを覚えたりしていました。

それで初めに付き合った人との間にトラブルが生まれ、狂人にもなってしまいましたし、あれは完全に赤ちゃん返りで親として大事にしてくれるはずが裏切られた!的な恨みがこもってしまっていました。

私の欲しかったのは、本当にあの頃に可愛くない、必要ない、と思ってしまったあの思い込みを、思い込みのいばらをぜんぶ、傷を負っても、取り払ってくれる王子だったのだと思います。


で、助けて欲しくて助けて欲しくて、私を好きと言ってくれる人をまるで試すようにねだったり、気づいてもらえるように手紙を書いたり、助けに回ったり、遠方でも会いに行ったり、危険な道を歩いてみたりしました。



全ては、私のことをかわいい、と言って大事にして欲しい、というあの時のトラウマを解消するためだったと思います。



で、最近。

彼だったら。私のこの思いをわかってくれる、私の欲しいものをくれる、と思ってここまできました。

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ビューティ自撮りチンドン屋。一周年記念写真です。

が、なんだか、変だな、おかしいな、ということに薄々気づいてたんですが、かわいいと言ってくれてこれまで本当に私は見た目が可愛くなった、愛されて変わった、と思っています。

でも、本当に私の欲しかったのは、


私のことを一番に大事に思い、女神級に大切に扱うこと。



だったりしたのです。
こんな、とんでもないことに気づいてしまって、心底びっくりしましたが。

時々、私は天から来た天女なんだよ、という声が普通に聞こえてくるということが続いて、疑いきれなくなったんです。

だけど、毎日一緒に暮らすようになってから、なぜやったらやりっぱなしだったり、片づけができなくて、夜逃げか?と思うほどに朝起きたら放置されているのを見て、怒っても怒っても変わらない。

で、よーくよく聞いてみると、

彼はやった後は誰か片付けてくれるのが魂的に当たり前、な王子様気質があったんですね。

音楽的にもヒーローを目指していて、車の免許も取らなくて、誰かの運転で移動するんだと思っていた、というくらいの人物だったのです。

しかも子どももまだまだ多感で親との関係が必要だったりするし、私だけに愛を注げ、とか本当に間違った望みでした。


でもそれが欲しかった、と気づいて、あぁ、間違えた、と気づいた。

そして、可愛がられたかった、そうかそうか、という思いがやっと昇華しました。






なんともはや、長いさまよいです…。


そして、それに気づいた今、なんと、、、


私がかわいいのは当たり前だ


というところに気づき、もう疑いなくそう思っています。

というか素材はみんな持ち合わせたもので、大事にして受け入れるってことなんですね。




こんな顔じゃダメ、こんなシミがあったり、はげてたり、お胸が小さかったりしちゃダメ、と、減点ばかりして嫌っていたのが常態でしたが、、、

これからはこの素材を使って遊ぼう!

に意識がうつった次第。



不思議なもんです。

そして似顔絵を描いて欲しいと来てくれる方は、ほぼ自分や子供など描いて欲しい人のことを受け入れて、好きだと思ってる方ですよね。

その真っ直ぐさに、やっとやっと共感できます。


チンドン屋も、さらに今度は女形男形入れ替えたりしたり、他にも面白いこと思うこと全部やろうって思っています。


さらなる進化を楽しみにしておいてください。



なるみどう一座、チンドン屋も似顔絵もまだ続けますのでこれからもよろしくお願いします。


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