たくさんのコメントをありがとうございました
一つ一つのコメントを噛み締めながら、ありがたく読ませて頂きました。
これだけ多くの方の祈りに支えられて、今回の出産があったことを感じ、
今無事でいれることが、決して当たり前ではないことを思わされています
どうか、祈って下さった方一人一人にも祝福がありますように
お祈りいたします。
今回の出産、自然分娩になるのなら、助産師志望のラムに是非立ち会わせたい…というのが希望でした
しかし、ラムが大学の試験期間であるにも関わらず、必死に帰って来たのに、
なかなかお産はうまく進みませんでした。
結局、どうでもいいと思っていた夫が、立ち会うことになったんですね。
その、夫の立会いが、神様の計画だったのか?
さゆりちゃんの希望だったのか?
はたまた神様とさゆりちゃんの話し合いだったのか?
産後一日目の今日、分娩を担当して下さった助産師さんが、出産の感想などを聴きにいらっしゃったんですね。
バースプランと照らし合わせて、実際のお産はどうだったか?…ということを尋ねられました
うーん。
助産師さんたちのお仕事がすごく素晴らしくて、途中の声かけに励まされたり、
勇気を貰ったり出来たし、
是非、そういう仕事ぶりをラムに見せたかった思いはあります
そして何より、自分の妹が産まれるという瞬間に立ち会う感動を味わって欲しかった…
でも、この病院では、立会いが出来る家族は1人だけ、と決まっています。
ラムが立ち会えば、夫は立ち会わなかった訳です。
夫は、はっきり言って、どっちでも良かったのですが、
何と無くその場の雰囲気で立ち会うことになり、
実際立ち会ってみたら、もうすごいさゆりちゃんのことが愛おしくなっちゃったみたいなんです
今日、助産師さんに、
「お嬢さんが立ち会えなかったのは残念でしたけれど、
旦那さまに見守られての出産で、良かったですよね~^ ^
旦那さまの喜びようといったら、大変でしたね」
と言われました。
私は後産の痛みに耐えたり、傷の縫合をされたりしていて夫の様子を見る余裕などなかったのですが、
産まれたばかりのさゆりちゃんに、夫はつきっきりで話し掛け、
ひたすら目尻を下げていたらしいです
また、助産師さんにこんなことも言われました。
「旦那さま、奥様のことを名前で呼ばれるんですね。
出産の時、『芙蓉さん、がんばれもう少し、がんばれ』と声をかけていたのを聞いて、なんかいいなと思いました^ ^
普通、お子さんがすでにいらっしゃる場合、奥様のことをお母さんとかママとか呼びますよ。
名前で呼ばれているのが、素敵だなと…
お兄ちゃんも喜んでいたし、すごくいいご家族の元に、赤ちゃんが生まれて来たんだな…と感じましたよ」
…まさか、私たちがほんの二年半前まで、別居をしていた離婚寸前だったとは。
あの出産の場にいたスタッフの方々は、誰も想像出来ないかも知れません
45歳で妊娠することも、
またこうして母子共に元気で自然分娩が出来たことも、
確かに奇跡です
でも、それ以上に、あそこまで壊れてしまっていた家族の元に、こんな瞬間が訪れることの方が奇跡なのかも知れません
出産に、ラムではなく、夫が立ち会ったことにすごく意味があったような気がしています
私自身、今、夫に見守られて、さゆりちゃんを産めたことをとても良かったと感じているのです
本当に、2人で力を合わせて新しい家族を迎えられた感じがして…
ラムにいい経験をさせてやることよりも、
もしかしたら大切なことだったように思うのです
でも、凄かったですよ^_^;…
出産の最後、さゆりちゃんをいきみ出す時は、まさに断末魔の叫びでした(笑)
ほんの少しの余裕もありませんでした…。
もう、人生頑張らないと決めたのに、
全力、いや全力以上のものを出して頑張らないと、人間1人をいきみ出すことなんて出来なかったです
夫が言ってました。
「ハナミチ、お前に代わりに立ち会わせようと思ったけれど、そうしなくて良かったよ。
お前だったら、もう結婚出来なくなるかも知れないからな。
最後のママは、凄かったぞ。
ちょっと、お前だったらショックを受けるかも知れなかった」
夫はなんだかんだといっても、一番私の汚い部分も見せて来て、受け入れて貰って来た存在だったんだな、と気づかされました^_^;
ありがたいです