ある、選択をする時に
①Aということをしたくて、Bを辞める
②Bを辞めたいがためにAをする。
もちろん、Aはどちらの場合でも、すごーくしたいこと、、だとします。
正直、この違いはものすごく微妙。
Aがしたいなら、迷わずBをやめればいい。
自分のやりたい事にフォーカスすることが大事だよとはいいますが、、
私の場合、②の状態の時にAに対する許可は体からはでませんでした。
でも、やりたいのは間違いないのに。
なんでだろう?
熱望しているのに。
しかも、自分では②の状態にある、というのも気付いてないのです。
もちろん、したいことするのに筋反射による許可なんていらないし、
そんなの無視してやりたいことしていいのです。
でも、なぜ筋反射が許可しないかも気になりますね。
私が筋反射でも、Aの事を選択できるようになったのは、Aに対するリアリティが産まれてからです。
その時にようやく、
誰の責任でもなく自分の責任で、
Aをやりたいの、やらせて!!と周りへの協力をお願いしている自分がいました。
「だって、私はBをやらされていたんだから」という妙な甘えもなくなりました。
自分のしたい事をするのが夢だった時は、リアリティないんですよね。
したい事をしようと思って、
そこに怖さまで感じたとき、
やりたくない事を選んできたのは自分で、
そこで安心してた自分もはっきり自覚する事ができたのです。
過去も未来も、すべて自分の選択だったのです。
選択する事は同じでも、
そこに込められた感情は微妙に違います。
それは、微細だけれども大きな違いなのです。