ニューヨークに滞在して10日が過ぎた。
 
ニューヨークは、来るまでは敷居の高さを感じてたけれど
過ごしてみると、東京に近い感覚で過ごせるので
海外にいる感覚があまりない。
 
セミナーが終わった後半の旅は、
マンハッタンから車で30分ほどの郊外のシェアハウスで
ギリシャ人、コロンビア人、イスラエル人だっけな?
の男性たちと一緒に共同生活をしている。
 
というと驚かれるだろうか。
心地よい秩序と敬意の中で、まるで家族のように暮らしている。
 
 
コロンビア人はいつも規則正しい。
毎日朝はこだわりのコーヒーを入れる。
 
こっそり、その時間に起きて、
わたしもコーヒーをいただくのが朝の楽しみ。
なにしろ、彼の淹れてくれるコーヒーは美味しい。
 
イスラエル人だっけな?
めっちゃシャイでとてもキュートな人なのだけど
あいさつ程度でさーっと部屋に戻っていく。
はにかんだ表情がめっちゃかわいい。
 
ギリシャ人はわたしの魂の友人。
フルーツダイエットをしているので
毎朝、フルーツをむいてくれる。
ホールフーズマーケットで購入したオーガニックのフルーツ。
マンゴーが今特に美味しい。

彼は、さっと手作りのパンも焼いてくれたりする。
焼いたパンの上に慣れた手つきでいくつかのハーブを散らし、オリーブオイルをかける。
その仕草はなんとも言えない美しさがある。
 
時々、彼らに味噌スープを作ると喜んでくれる。
極上の日々。

東京にいるときと同じように、
毎日PCに向かい記事やらなんやら書いて、星を読み、
近所のハイキングコースを散歩し、瞑想し、お昼寝して過ごす。
朝と夕方は、共同生活の人たちと少し話をする。
 
夜は、ニューヨークの仲間と食事も多い。
特にギリシャ人のビジネスの話、
スピリチュアリティの話はとてもエキサイティング。
視野、世界が広がる。
 
なんだか、この不思議な生活をしていて思うことは
こういうスタイル,が好きなんだなということ。
 
わたしの旅好きにもつながる価値観。
国境を越えて一体感を感じることのできる生活。
 
大学の専攻も異文化コミュニケーションだった。
あの頃は、なぜそれを選んだのかわからなかった。
異文化コミュニケーションは、
わたしの第4ハウス太陽を理解することにつながる。
 
家庭とは、異文化コミュニケーションの場なのだと思う。
 

わたしは生まれて間もなくからこんな暮らしをしていたことをあらためて思う。
2歳から里子に出て、いろいろな家を渡り歩いた。

同じ日本人でも家庭によって様々な慣習、文化が存在し、
それは異文化と言ってもいい。
 
一歩その家のルールの中に入ると
それは外国なのだ。
その家の政治や文化が存在する。
自分の考えは通用しないことだってある。
同じ日本語を扱っても通じないことなんてしょっちゅうだ。
 
わたしは英語が話せるわけじゃない。
いろいろな国の人が同居していると
みんな基本は英語だけど、言語以外の部分でわかりあおうとするので
言葉が通じないことは、それほど問題ではない。
 
言語が通じないことが前提にあれば、
たとえ理解が間違っていても、相手も自分も責めることから始まらない。
あらたなコミュニケーションがあらたなゼロポイントから始まる。
だから、とにかく心地がいい。
 
問題が生じるのは、
言葉を言葉だけで理解しようしたり、
言葉をその人の経験や枠組みの中だけで理解しようとしたときだ。
 
理解できないことに怒りや悲しみが生じ、
理解されないことに怒りや悲しみが生じる。
 
そこに解決するべきことはないことに気づかなければ
永遠にそのループから抜けられない。
 
たとえば、占星術はそのことに気づかせてくれるひとつだ。
 
スピリチュアルも星も特別でも難しいことでもない。
結局は健全な思いやりがなくなったときなのだと思う。
それは、言語や国、人種、文化、習慣などに関係ないとわたしは感じる。
ただ、いろいろな人がいるので
言語だけでやりとりしようとする人は世界中にいる。
 
経験や常識やその人との枠組みで
ものごとや人間性を決めつけられることには怒りすら湧く。
 
だから、わたしにとって
すでに「違う」ということが前提になっている中での生活はとても心地よい。
 
わたしが触れているニューヨークはこの「すでに違う」ということが前提にあるうえで
それぞれがそれぞれの表現をして、いいものはストレートに賞賛しあう空気がある。
 
 
マンハッタンのホテルの前で迎えの車を待っていた時、
60代ぐらいのご婦人にじっと見つめられてドキッとしたところ、
「あなたのサングラスとっても素敵ね!どこで買ったの?」
と聞かれる。
 
わたしは鯖江のサングラスを使っている。
JAPANアピールの瞬間だ。
日本の仕事の素晴らしさをアピールする。
コミュニケーションの始まり。
 
褒め上手はコミュニケーション上手なのだなと
今回あらためて感じる。
 
やたらに誉めるわけじゃない。
本当にいいと思うところを素直に口にすること、
それを受け取ることは
星で言うと水星のコミュニケーションではなく、
金星のコミュニケーション。
 

日本には、「揃える(そろえる)」という美しい文化がある。
これは、世界に誇ることのできる文化だと思う。

いつしか、それが他人と揃えるになって、
他人とそろっていないことを批判するのは日本の病かもしれない。

揃えるのは、自分の心だ。
それは、日本独特のスピリチュアリティを育んできた。
 
自分の心がそろっていたら
人のことはいい意味で気にならない。
そこに生まれるのは、くつろぎと思いやりだと思う。
 
そして、賞賛と調和、世界とともにあるようになる。
それは自分軸も他人軸も関係ない。
ともにあるという新しい次元なんだ。
 
 
 
(続く)
 
◇◇◇