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あとがき

ちょっと長くなり、いつもよりもグダグダな文章になることをご了承下さい。


改めて報告します。





2021年3月7日


世界選手権50kmのレースをもって、現役生活に終止符を打ちました。


正式に報告をするのが遅くなってしまい申し訳ありません。



長い長いスキー人生が終わりました。


とある選手に


「圭伸はまっすぐにしか走れないタイプだよね」


と言われたことがあります。


器用なことは苦手という意味です。


まさに的を射た言葉だと思っています。


不器用な自分は、26年間ただ真っ直ぐに走り続けた日々でした。



実は昨シーズンの全日本選手権で引退をするつもりでした。


しかし、コロナの影響で中止に。


その中止を受けて、全日本選手権の後に開催予定だった、カナダのワールドカップで引退をする予定に変更となりました。


しかし、それも中止に。


予定していた引退レースの場をことごとく失いました。


もしそのまま引退を選べば、結果的にはトロンハイムのワールドカップが引退レースとなってしまいました。


悩みました。


このまま終わっていいのか。


しかし昨シーズンは成績もでておらず、苦しい日々が続いていました。


カナダのワールドカップが中止になったと連絡があったときに、もう1年間続けるとすぐに決断できなかったのは、もっと苦しくなるであろう日々に、耐えていける自信がなかったからです。


連絡をして、すぐ小池先生に会いに行きました。


何時間も話を聞いていただきましたが、先生からは


「どちらがいいとは簡単に言えないけれど、話を聞いていると続けたいっていう気持ちを感じる」


と言われました。


そうだったのかもしれません。


続けたかったけど、自信がなかっただけなのだと思います。


誰かに背中を押してほしくて、小池先生に会いに行ったのだと思います。


サコン君にも話を聞いてもらいました。


そのときには競技を続けるかの結論は出ていませんでしたが、もし続けるとすれば、どのレースで引退するかは決めていました。


それがオーベストドルフ世界選手権の50kmです。


「もし、もう1年間やるときめたら、すぐ旅行代理店に行ってチケットとるから」


それは叶いませんでしたが、音威子府から千歳空港まで世界選手権に行くときの見送りに来てくれたのは、ブログにも書いたとおりです。


山口さんにも電話をしました。


「やりたいという気持ちを少しでも感じるなら続けろ。後悔する選択はするな」


と言われました。


このまま20年以上続けてきたクロスカントリーがいつの間にか終わるのは嫌だ。


家族の前で最後に走る姿を見てもらいたい。


このまま終わると後悔すると思いました。




「世界選手権の50kmで家族の前で走り引退する」




2020年3月15日に結論を出しました。


その野望が、僕を駆り立ててくれた1年でした。


世界選手権の50kmで引退することができたので、その野望は達成しました。


しかし、「家族の前で」という条件は達成できませんでした。


コロナの影響で無観客レースとなってしまったためです。


引退直後にすぐ報告しなかったのはここにあります。


レースの終了によって現役を引退しました。


しかし僕にとっては帰国後、家族に会って面と向かって感謝の気持ちを伝えることが、本当に引退した時だと思っていました。


そのため世界選手権の50kmを終えてから、かなりの時間が経過してからの報告となってしまったのです。





すでに2週間以上が経過していますが、未だに清々しい気持ちでいっぱいです。


良いスキー人生だったと思っています。


最後の1年はブログにも書いたように、案の定苦しい日々でした。


ですが、引退レースを終えた直後、洋子に連絡をしたときに、「もう1年間続けてきて良かった」と伝えることができました。


本当にそう思っています。


1年前にやめていなくて良かったと。


自分の気持ちに正直になり、もう1年続けてきて良かったと。


そしたら、北京オリンピックはどうなのだ?という声も聞こえてきそうですが。


残念なことに、それに向けて気持ちが加速することは全くありませんでした。


来年の北京オリンピックでは、一緒に世界選手権に出場した宮沢が、宇田が、馬場がきっと最高の滑りを見せてくれます。


今回世界選手権に出られなくて悔しい思いをした選手たちが、きっと北京オリンピックの場に立ってくれます。


と言いつつも世界選手権に行く前、もし世界選手権でオリンピック出場を決めたら続けるかもねと洋子と話をしていましたが。


オリンピックの派遣標準が発表にならないことはわかっていました。


よって、現役続行もないということもわかっていましたけどね。


ですが、オリンピックの基準を切っていたら本当に続行を考えたかもしれません。


それくらい特別な場だったのです、僕にとってのオリンピックは。


オリンピックで金メダルを取りたかった。


世界一になりたかった。


現役中の成績を見ると、笑われてしまいますね、、、


ですが僕は本気で思ってました。


そう思い、競技と向き合ってきました。


ご存知のとおり、それを達成することができずに競技を終えることとなります。


長年の最終目標は達成できませんでしたが、先に書いたように清々しい気持ちで競技を終えることができています。


それは最後まで真摯に競技と向き合い続けたからだと思います。


ソチオリンピックまでコーチだった長浜さんに


「最後の僅かな差で勝負が決まるときは、どれだけ真摯に競技に取り組んできたかの差できまる」


と言われました。


引退をした今、その意味がわかる気がします。


ですが、真摯に取り組むことで決まるのは勝負だけではありません。


そのスキー人生を素晴らしかったものにするために必要なのが、真摯に競技に向き合うことだと思います。


もし僕が、これからを担う現役選手に対して偉そうに言葉を送っていいのならば


「スキーを引退したときに、本当に良いスキー人生だったと胸を張って言えるような競技生活を送ってほしい」


ということです。


競技と真摯に向き合えば、誰しもが必ず迎える引退の日に、胸を張って言うことができるはずです。


僕自身がそうであるように。


目標を達成できなかった元選手が偉そうに言っても、敗者の言い訳に聞こえてしまいますが、一人でも多くの選手に届くと嬉しいです。






「圭伸」


土に、地面に生える草のように、何度踏まれても伸び続けられるような人になってほしい。


両親がそう願い僕に送ってくれた、一生を共にすることとなる最初のプレゼントが、この名前です。


僕はスキーを通して「圭伸」になれただろうか。


世界という巨人達に踏まれ続けても、何度も立ち上がり、上を向くことはできただろうか。


そのまま埋もれたくなることは何度もありましたが、それでも上を向くことはやめませんでした。


その都度踏み潰され、伸びることはできなかったかもしれませんが、何度も上を見て立ち上がりました。


何度も、何度でも。


スキーによって名前に負けない自分になれた。


そうなることのできた自分自身を誇りに思います。


スキーに感謝をします。





このブログの今後ですが、この記事をもってブログの更新を終えます。


せっかくここまで続けてきたので、最後はすべての記事をブログ本にし、自分の手元に置いておこうと思っていますが、訳あって時間を要することとなりそうです。



ブログ本が完成したときには、このブログを閉じますが、完成するまでは記事を残しておきます。


長ければ、、、一年くらいでしょうか?


すぐに閉じることはないので、お時間のあるときにでも、もう一度見ていただけると嬉しく思います。


申し訳ありませんがコメントへの返信は、できそうにありません。


ですが、しっかりと読ませていただきます。



ブログを通していつも応援してくださった皆さん。


現地で声を荒げて応援してくれた友達。


僕に練習へ向かうよう、駆り立ててくれたライバル達。


自分もあのようになりたいと思わせてくれたヒーロー達。


僕のことを嫌い、批判していた人達。


そうだ、彼のことも言っておかないと。


13年間続く、僕にとって大切なブログを始めるきっかけを与えてくれたシンジ。


そういえば、お前のは速攻で終わったよな、、、


皆さんのおかげで、僕のスキー人生はより素晴らしいものとなりました。



長い間ありがとうございました。





苦しい生活の中で、そういった姿を見せずに小さい頃からサポートをしてくれたお父、お母。


スキーを始めるきっかけをくれたお兄。


父親の不在が多く、週末になってもなかなかどこにも連れて行ってもらえないなど、周りの友達とは違う生活を過ごしていても文句を言わず、寂しがらずに応援を続けてくれた瑞雅、藍雅。


久しぶりに会う父親を見るたびに、ニコニコしながら歩み寄ってきてくれる有槇。



そして何より。



一番近くで何も言わずに僕を見守り、一緒になって泣き、一緒になって笑ってくれた洋子。


ここまでスキーを続けてこられたのはあなた達のおかげです。




ありがとう。


本当にありがとう。






ではみなさん。


またいつの日か、雪の上で会いましょう。






Dere var vinden i ryggen

(君たちは俺の追い風だった)     


~Petter Northug~




2021年3月25日 吉田圭伸(その男)











































吉田圭伸

長かった、、、のか?


短かった、、、のか?


とりあえず、、!


14日間の自主隔離期間が終了しました!


24日の0時に解放になったので、さっそく外食でもするかなと意気込みましたが、パワー不足。


いつもと変わらず、部屋でおとなしく過ごしました。


昨日は7時の飛行機で札幌に戻るため5時に起床。


すでに明るくなっている外にびっくり。


最近は0時過ぎに寝て、8時頃に起きるのがサイクルになっていましたからね。


海外にいたときには22時30分に寝て、7時前に起きる生活だったので、まぁ随分とサイクルが変わってしまったこと!


大したものは作っていないですが、自炊も楽しかったですし、新しいことにチャレンジしてみたりと、なんだかんだで充実した2週間でした!


帰宅して、やーーーっと家族に会うこともできました!


帰国してから2週間も家族に会えないなんて。。。


充実した2週間ではありましたが、家族に会うことができないのはやはり寂しかったですよ。


どうやら、子どもたちはそうでもなかったみたいですけどね、、、


嬉しそうではありますが、さほど寂しさは感じていなかったようです。。。


洋子もいつも通りのサバサバです笑


まぁ、親父がいない生活が当たり前のようになっていますからね!


久しぶりの再会となりましたが、テレビ電話で話すのと、実際に話すのではやっぱり感覚が全然違います!


テレビ電話のときは子どもたちがスマホを持ちたがって、ギャーギャーうるさいですしね。


あれには毎回困ってしまいます。。。



やっぱり画面越しで伝えるのと、直接目の前で話すのでは、全然違うじゃないですか?



だから直接会った時に話して、伝えたいことがいっぱいあったんですよ、洋子と子どもたちに!!


隔離期間が長かったからこそ、今回は特に話したいことがたくさんあります!!


どうでもいいことやら、大事なことやら、たくさんあるんです!!


たとえば、、、、

















「パパね、世界選手権走ってきたんだよ。それで最後だったんだ。目の前で走っている姿を一度も見せられなくてごめんね。」













とか














「生まれてきてから7年間、ずっと応援してきてくれてありがとう。週末もどこも連れて行ってあげられなくてごめんね。今度はゆっくりどこかに行こうね」













とか













「世界選手権の50kmで無事に現役生活を終えることができました。ずっとサポートしてくれたおかげで、充実したスキー生活を送ることができました。本当にありがとうございました。」













とかね。















2021年3月7日 


吉田圭伸は、オーベストドルフ世界選手権50kmをもって、小学2年生から続けてきたクロスカントリースキーの競技生活を終了し、現役を引退したことを、ここに報告させていただきます。











その男㊿

「まず何たべる?」

 

「あれ買いたいんだよね」

 

「とりあえずあそこ行くかな」

 

そういった会話が自然と始まる。

 

帰国間近となると。

 

今回も例外なくそういった会話が繰り広げられた。

 

特に食事中はその会話をしながら、みんなで妄想を膨らます。

 

帰国後にやることという議題の中で、いつもと違う点が

 

 

「隔離生活中」

 

 

という点だ。

 

帰国後は2週間の自主隔離期間がある。

 

自主隔離期間は、人と接しないことを強く要請される。

 

公共交通機関を使ってはいけないなどのルールもある。

 

最終目的地が北海道の「その男」は飛行機を使わなければいけないため、家に帰ることができないのだ。

 

東京のホテルに2週間滞在しなければならない。

 

目的地が陸続きの人は、レンタカーや自宅から車で迎えに来てもらうことができれば、家に帰ることができる。

 

2週間の自主隔離期間だが、ドイツから帰国する人は、政府の指定する宿泊施設に3日間滞在を義務付けられているらしい。

 

コロナの変異株拡大危険地域に、帰国する一週間前ほどに指定されてしまったためだ。

 

やはり、他の選手たちは三日の隔離期間が終わるとすぐに自宅へ戻るようだ。

 

 

2週間のホテル生活はあまりにも長すぎる。

 

何をしようか色々と考えていた「その男」

 

料理を張り切ってやろうか。

 

オンライン英会話もいいな。

 

とことんグダグダ過ごすのも悪くないのかも。

 

通常では絶対にありえない2週間のホテル住まい。

 

自由が効かない2週間だからこそできることは何かないかと考えていたようだ。

 

 

「あっ、いいこと考えたぞ、、、」

 

 

何か閃いたようだ、「その男」は。

 

 

2021年3月6日夜

 

 

思っていたレース前夜とちょっと違ったようだ。

 

50kmの前日の夜のことだ。

 

明日は世界選手権最終日。

 

伝統の50kmがある。

 

「その男」にとって、最も思い入れのある種目がこの50kmだということは以前にも書いた通りだ。

 

翌日のレースのことを考えると不安になり、ソワソワして寝られないのが通例。

 

 

そうなるだろうと思い、色々な対策を取っていた。

 

カフェインを取る最後の時間をいつもより早くする。

 

いつもより早く起きて、夜に眠気が来るのが早くなるように調整する。

 

夜、スマホを見る時間を短くする。

 

難しい英語のポッドキャストをきいて、眠気を誘う。

 

それらが功を奏したのかはわからないが、いつもどおり22時30分には寝ていた。

 

ビックリするくらいいつもと変わらなかった。

 

さらに、いつもは感じるソワソワや不安というのもあまり感じなかったようだ。

 

不思議だ。

 

いつもの前夜と違う。

 

イメージしていた前夜と違う。

 

いつもどおり夜中に一回トイレに起きる。

 

いつもどおり7時頃に起きる。

 

全く変わらない。

 

拍子抜けしてしまったくらいだ。

 

 

2021年3月7日 朝

 

朝食に行った。

 

全レースを終え、ややリラックスムードにもみえるコンバインドチームのコーチがいた。

 

その中にいたのが

 

 

「山口さん」

 

 

だ。

 

 

「今日はこれから50㎞です。何かアドバイスをください」

 

 

山口さんに聞きに行った。

 

 

「楽しめ」

 

 

いつも通りシンプル且つ的確なアドバイスだ。

 

いつも通りじゃないのは、その後だ。

 

手を差し出してくれたこと。

 

しっかりと山口さんの目を見て、握手を交わした。

 

 

変化を感じたのは、朝食後からだ。

 

コーヒーを飲みながらスマホをいじっていた。

 

所用があり色々な人に連絡を取っていたその時、急にだ。

 

プレッシャーとは全く違ったことを感じた。

 

これから世界選手権で50kmを走るんだと、急に実感したのだ。

 

レストランの横のソファーに一人で座り、何度も深呼吸をした。

 

何度も大きく深呼吸をして、気持ちを整えた。

 

 

 

2021年3月7日 13時

 

オーベストドルフ世界選手権

 

50kmクラシカル、マススタート。

 

いよいよ始まる。

 

今大会「最後の」レースが。

 

アップ前。

 

小池先生に電話をして心を落ち着かせた。

 

スタート前、着替えるたびにキャビンへ。

 

宇田に伝えた。

 

「今日は俺とお前しか走らない。一緒に華々しく散ろう。散ってくれ」

 

馬場はリレー後から体調を崩していた。

 

宮沢は肩の古傷を痛めていた。

 

そのため50kmは出場しなかったのだ。

 

 

スタートへ向かう直前。

 

「その嫁」に電話をして力をもらった。

 

ここまでくれば、いつもと変わらなかったのかもしれない。

 

緊張は始まっていた。

 

 

だが

 

何だろう。

 

うまく表現できないが、清々しい緊張だったのは。

 

そこはいつもと大きく違っていた。

 

スタート前にぶつぶつ何かを言っている「その男」

 

集中しれ、馬鹿野郎。

 

いや、集中しているが故のつぶやきだ。

 

ピストル音と同時に、「その男」がよくブログに書く

 

 

「ラストサバイバル」

 

 

がいよいよ始まった。

 

 

 

思ったよりもコース状況が良い。

 

バーンが固く、心地よいスピード感を得られる。

 

スピードがでるコンディションのため、危険な場面も。

 

下りでは勢いよくクラッシュしている選手もいた。

 

 

「いい感覚だ」

 

「心地よい呼吸のリズムだ」

 

 

走りに手ごたえを感じていた。

 

上り口から上り終わりにかけて、大幅に順位を上げることができていた。

 

問題はそこからの下り。

 

テクニカルなくだりが続くが、ターンをきっかけに抜かれることが多かった。

 

 

「もっと下りの練習もしておけばよかった・・・」

 

 

と思っても、後の祭り。

 

どうにもできない。

 

半分まで来た。

 

このレースはスキーチェンジが1度だけ認められている。

 

半分の4周目の終了で交換・・・・しなかった。

 

流れに乗らなければいけないので、「その男」もそのまま身を任せた。

 

トップ集団でレースは進む。

 

相変わらずいい感覚だ。

 

長い上りもついていける。

 

いや

 

ついていけるのではない。

 

 

順位を上げることができる。

 

 

レースの途中。

 

いきなり女性の声が聞こえ始めた、日本語の。

 

姿は見ることができなかったが、日本チームの女子だというのは容易に想像できた。

 

 

下りを終え会場に入るところ。

 

このレースで運命を分ける出来事があった。

 

5周目が終わりスキーチェンジを始める選手と、交換せずに6周目に行く選手が半分くらいに分かれた。

 

「その男」はどうするつもりだったかというと・・・・

 

 

「交換」

 

 

を選択していた。

 

グリップがやや甘くなりつつあったが、

 

「あと少しで交換だから」

 

と何とか粘った。

 

スキーチェンジのために、スキーピットのある左側に行こうとした。

 

 

 

その時

 

 

下りの勢いのままにフランスの選手が「その男」の左側に現れた。

 

そのまま行けば衝突してしまう。

 

直進するしかなかった。

 

強制的に予定を変えられ、6周目に突入することを意味する。

 

 

「衝突するのを避けるために少し待って、スキー交換をするほうが得策だったかもな」

 

 

後に山口さんに言われた。

 

確かにそうかもしれない。

 

だが冷静に判断するほど「その男」に余裕はなかったようだ。

 

 

同じスキーで6周目に入った。

 

10人くらいが同じスキーで6周目に向かっている。

 

この段階で数秒遅れている「その男」

 

追いつくのに苦戦し始めた。

 

いや、追いつくことができなかった。

 

じりじりと差が開いていく。

 

その間にスキーチェンジをしてフレッシュなスキーを使用している選手がすごい勢いで後ろから来る。

 

新しいスキーはグライドもグリップも全く別物だ。

 

スキーチェンジをした選手についていって、前の集団に追いつこうとしたが全くついていくことができない。

 

ジリジリ離されてく。

 

見えるところにいるが、確実に距離は遠くなっている。

 

「「その嫁」、俺はまだテレビに映っているか?」

 

問いかけた。

 

テレビに映っているということは、トップ集団にいるということ。

 

「テレビに映り続けるから」

 

レース前に約束していた。

 

「俺はまだテレビに映っているか?まだ見てくれているか?」

 

何度も問いかけた。

 

だが

 

無常にもトップはどんどん離れていった。

 

ついていくには完全に力不足だった。

 

スキーを交換してからの残り2周はスイスの選手と一緒に走った。

 

ラスト一周。

 

「あと一周で終わりか・・・」

 

気持ちを切り替えた。

 

コース脇では馬場が大きな声で応援してくれている。

 

 

何かを言ったようだ。

 

 

集中しれ、「その男」

 

その少し先で、宮沢が給水をしている。

 

 

何かを言ったようだ。

 

 

集中しれ、「その男」

 

最後までスイスの選手と走った。

 

この選手にだけは絶対に負けたくない。

 

上り終わりの下りで抜かれたが、途中で抜き返した。

 

コーナーで抜き返された。

 

最後の上りを終え、会場に向かう下り。

 

「その男」の3秒ほど前にその選手はいただろうか。

 

 

「負けたくないよ。負けたくないよ。」

 

 

自然と口にしていた。

 

最後の直線。

 

ダブルポール。

 

持っている力の全てをポールに預けた。

 

できる限り早く、できる限り強く。

 

フォームなんて全く意識できない。

 

全く関係ない。

 

持っている力を全部出せばいいんだ。

 

全部出し切りたかったんだ。

 

 

いつものように拳は突き出していただろうか?

 

 

ガッツポーズしているように見えただろうか?

 

 

全力で足を延ばしてゴールをした。

 

出し切った。

 

レース後はいつもと変わらず、周りの選手と称えあう。

 

「きつかったな」

 

なんて会話をする。

 

いつも通りだ。

 

ただ一つだけ、いつもとあまりにも大きな違いがあった。

 

一瞬目を疑ったようだ。

 

「その男」を先輩とも思わず、いつもならめんどくさがって来ないであろう宮沢が、ゴールゾーンで待っていてくれた。

 

そのまま「その男」を受け止めてくれた。

 

 

 




 

 

機内で、いつもはもらわないような資料が配られる。

 

滞在先の住所を書く欄。

 

移動方法。

 

アプリの登録方法。

 

ルールの書かれた同意書。

 

よくわからないが、空欄を埋めた。

 

本当に始まるようだ。

 

長い長い2週間が。

 

だが「その男」は、2週間の過ごし方を決めていた。

 

PCR検査を受け、資料を提出して、出国検査。

 

荷物を受け取り、専用バスに乗りこむ。

 

ホテルに到着した。

 

「体を動かさなくてもよい。時間がたてば弁当が運ばれてくる。眠くなれば寝ればいい。目覚ましをかけないで、思う存分寝ればいい」

 

そんな時間がホテルの一室で始まる。

 

だが

 

「その男」はパソコンを開いた。

 

そしてつづり始めた。

 

「「その男」、とある理由から2週間、何もしないで良い期間ができた」

 

と。

 

どうやら「その男」は、ホテルに滞在する2週間で、「その男」の過去を振り返るようだ。

 

さて、「その男」はどんな過去を過ごしてきたのだろうか。

 

「お兄がやっていたのを真似して気が付いたら自然と始めていた」

 

長い長い振り返りが始まった。

 

 

 

 

 






 

 

「その男」は時計を見た。

 

3月24日0時31分

 

あっという間に「その男」の自主隔離期間が終わっていた。

 

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