祈り火と過ぎる夏 <6> | ワールズエンド・ツアー

ワールズエンド・ツアー

田中ビリー、完全自作自演。

完全自作、アンチダウンロード主義の劇場型ブログ。
ロックンロールと放浪の旅、ロマンとリアルの発火点、
マシンガンをぶっ放せ!!

JACKPOT DAYS!! -poetrical rock n'roll and beat gallery--110719_153109.jpg

祈り火と過ぎる夏<1>
祈り火と過ぎる夏<2>
祈り火と過ぎる夏<3>
祈り火と過ぎる夏<4>
祈り火と過ぎる夏<5>


「ことしの祈り火大祭は行われないことになった」
 僕がそれを聞かされたのは退院から三日目の夜だった、そのこと自体は予想していたし、驚きもなかった。村の実行委員会に名を連ねて最初の祭だったけれど、肝心の村はいま存在しないも同然の状態だった。
 退院のとき……僕はタクシーのなかから大雨に飲み込まれたその様子を眺めていた、空腹の蛇はありとあらゆるものを咀嚼し、そのほとんどを吐き出して海に帰った、そんな風景が広がっていた。
 復旧作業はスタートしていたが、それは別に村人たちの生活を元に戻すには至らず、現状ではまだ彼らの生きていた痕跡を剥き出させるに留まっていた。
うず高く積まれた土砂と崩れた民家、その横を拡大した川が流れてゆく。山から流れ、せせらぎながら海にたどり着くまでを追いかけたことがある。小さな灯火を舟にのせ、それをずっと追うのが、この地に生まれた子供達の祭の楽しみ方だった。
 この濁り、勢いだけを増した川では、舟は瞬時に沈められてしまうだろう。

 生き延びた村人の多くは隣町の宿泊施設に一時退避を余儀なくされていると聞いた、もう戻ることはできないかもしれないと僕は思う。
いつか再生があったにしても、そのとき、この土地はまるで別の村になっているだろう。
生き物だけではない、そう思う。そこに生き物を住ませた土地もやがて死に至るのだ。
  永遠なんてどこにもない。
それが事実だろう。

  水位の増した沿岸部は満潮時には小さな漁港すら飲み込むようになったという。地盤がゆるくなったんだろう。
 いま、この世界において、僕は何を祈り、願うべきなのか、すでに痕跡すらない自宅を前に、僕はただ立ち尽くすだけだった。




photograph and story by Billy.