「森の日々と追憶と」
もうずいぶん遠い昔のことのように思える。慣れたはずの吊橋を軋ませて、森の奥の秘密の基地へ毎日のように足を運んでた。そこに行って何があるわけじゃない、それなのになぜか飽きることもなく、他愛のないお喋りと足音と、木々の緑を吸い込みながら、水の色の空を眺めて、その橋を渡り続けたんだ。
なにもないけど、それは特別な時間だった。
何もない時間を特別なものに変えることができる魔法を持っていた。
橋の向こうの森のなか、細い道を沿ってゆく、葉を通過した陽射しは柔らかくて頬をなでるよう、華奢な手足を思い切り広げてその往復さえも特別だった。
橋に一歩を踏み入れるたび、続く先には別の世界に続くような、不思議な幻に包まれながら、夢ばかりを自由に描くことさえできた。
20年近くが過ぎ、あの森も、秘密の基地も、そこに繋がる吊橋も、いまはもうなくなったんだと知っている。
私たちには特別な時間を守り続ける魔法なんて使えなかった、それがなくなると聞くまでは思い出すことさえ億劫になる日々があった。
大人になった、もう子供じゃない。
誰かがそんなことを言っていた、なぜかそのとき、胸を握り潰されるような気だってした。だけど帰りはしなかった。
過ぎた時間は帰ってきてなんてくれないことを、充分に理解するくらいには大人で、だけどそのことを懐かしむだけにするほどには大人になってもいなかった。
「いつかまたここで」
「私たちが大人になったら……」
「絶対に」
「約束だから」
いつのことかなんて分からず、永遠に存在が続くような美しい幻のなかで約束だけは何度も何度も交わしてたんだ。
また桜の季節がやってくる。吊橋から見た川の水面には、淡い桜色の花びらや、飛沫に跳ねる光の乱反射、ささやかな奇跡がそこらじゅうに溢れてた。
いつかまた、それもいまはもうなくなって、記憶のなかにしかあの季節は生きてはいない。
振り返ると私の影はあの日と変わらず頼りなく、行き場もなく立ちすくんでいるみたいだ。
「橋を渡れば、私たちだけの国だった」
過ぎてゆく、なにもかもが記憶になってゆく。帰ることのない場所をどこか奥に封じたつもりで、私たちはあの橋を渡った日々を置き去りには出来ないままで。
あの吊橋はもうなくても、桜の花が舞い散る景色はいまも私のなかに鮮明に生きている。
了
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