先程の記事続きですおねがい✨✨

お兄ちゃんらしくなってきたとはいえ
克基はまだ8歳。
まだまだ、甘えんぼさんの仁美は6歳。

2人とも、まだまだ  母親が必要な年齢です。

せめて娘がなんとか一人でやっていける様になる
16歳までは……
あと10年、なんとかあと10年!

絶対に死ねない!
絶対に生きたい!と、強く強く思いました。

手術が上手くいっても、治療を終えて元気に帰ってこられる保証はないけれど、
とにかく意識さえあって、見えて聞こえて話すことが出来れば。
首から下は動かなくてもいいから。
二人の成長を見守っていることさえ出来れば。

生きる為には、何でもしよう!
そう  決意したのでした。

その為には、1日も早く治療を開始しなければならない!と思い、6月4日に入院することを決めました。

入院までの時間は、一週間ほどしかなかった。
あまりにも時間が、ない!

病気の事はもう医師達に任せるよりほかないけれど、長ければ6カ月と言われた入院の間、幼い子供達の事が  何よりも気がかり、心配だった。

1つ、2つ、3つ、、、、9つ。
「つ」がつく年齢までは子供。
つまり9つまでは親が子供の全てに責任を負うんだ。10になったら 一人の大人として接していくことが大切なんだよ。
と、これは父がよく言っていた言葉です。

まだ、幼い二人にとってどんな時もかたわらにいる私。
母親がいる事が当たり前の日常の生活の上で、母親は彼らの世界の全てに関わっているといえます。

その二人に私がいない間、何とか寂しい思いをさせないように。
学校の時はまだ、、お友達もいるし気が紛れると思いましたが、しばらくすれば始まる長い夏休みの事を考えると、心の痛む問題でした。

私がいなければ絵日記も描けないだろうなぁ。
宿題も出来ないかな…。
毎日のお天気も記録しないだろうなぁ。

考え、悩み、私は二人をかつて親しい友人から聞いていた東京のサマースクールに1カ月預ける事を決めました。

すぐさま東京へ行き、先生方と面談をさせていただき、説明を受け、二人の1カ月分の荷物をつくり始めました。

下着一枚一枚に名前のラベルを縫い付け、着替えを詰め、盆踊り大会の時の浴衣をいれ、花笠を作り。

それと同時に  自分の入院の準備もしなければなりません。

また、家中のタンスや引き出しにシールを貼り、大学ノートにびっしりと注意書きをし、どこに何が入っているか、学校のこと、お弁当のこと、夏服の事、勉強のこと、スイミングスクールのこと等々、私がいなくても困らないように思いつく限りの事をしました。

ほとんど徹夜のような日々が続いたにもかかわらず、体調は何ともないのです。

そんな忙しい時間を過ごしていても、ふと、こんなに元気なのにこの身体のどこに癌が、病魔が巣食っているのだろうかと、腹立だしく、情けない気持ちになったものでした。

家中の整理が一段落したので、妹の結婚祝いを買いに久しぶりに街へでかけました。

ペアのパジャマを藤のカゴに入れていただき、9日の結婚式には必ず自分で届けようと思いました。

10才年の離れた妹は、私にとって可愛い妹であると同時に、我が子のようにも思っていたので、もう1つ  とっておきのプレゼントも用意していました。

長年、毎月ちょっとずつ貯めていた妹名義の預金があって50万になっていたので、
「本当に心配かけてゴメンなさい。このお金は、貴方が結婚する時にと思って積み立てていたものです。新婚旅行や新居のために使ってくださいね。」
と、カードを添えて通帳と印鑑をパジャマの間に入れました。

そんな大切な妹の結婚式には、京大病院から外出許可をいただき出席する事ができました。

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妹の結婚式の時

いのち煌めいて【第3章】入院の準備そして約束③に続きます…お月様




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