本日5回に分けて更新させて頂いた私の闘病記、
いよいよ第4章最後です!

まだ読んでいない方は↑からどうぞ


いよいよ  闘い、、
治療が本格的にスタートしました。
6月12日抗がん剤の投与が決まりました。
朝、先生が
「頑張ろうね。でも、手術後がしんどいよ。毒をもって毒を制することになるのだから、必然的にがん細胞より強いものを入れるわけだから、、、。吐き気や脱毛を覚悟しておいてね。」
と言われました。

処置室に入り心電図と血圧計を装着し、
なんと氷で出来たヘルメットを被せられた。

今ではそんなことはしないとは思うけれど、
頭を冷やして血管や毛穴を収縮させて、
少しでも脱毛を少なくするためだとか。

なんと原始的な(^ω^)

私の受けた抗がん剤治療は、
「動注療法」と言って  
脚の付け根の大きな血管に
カテーテルと言う管を挿入し
カテーテルを患部の子宮まで誘導し、
患部に直接抗がん剤を注入する方法でした。

局部麻酔だから意識はしっかりある訳で、
先生方の会話も自分がされていることも
良くわかるのです。

でも、私が冷静でいられたのもその時まで。

抗がん剤が流し込まれた瞬間、
お腹の中でまるで煮えたぎった
熱湯をひっくり返されたような
熱いとも痛いとも言えない
予想以上の衝撃と激痛が走った。

そのあとは、七転八倒の苦しみ!

追い討ちをかけるように大きなハンマーで
腰を殴られているような
この世のものとは思えない程の痛み。
強いて例えるならば、
道路工事などの地面を砕くドリルで
ガッガッガッとお腹中を
打ち砕いているみたいでした。

心電図は激しく上下し
心臓はバコバコ血圧はバカバカ、、、
今にも心臓が飛び出してしまいそうでした。

私は奥歯を噛み締め、身体を弓反りにし、
必死に耐え続けました。

投与は20分程だったと思いますが、
私には何時間にも感じられました。

その後息も絶え絶えの状態の私に
続いて襲いかかってきたのは、
凄まじい吐き気でした。

ストレッチャーに乗せられ、自室に戻るまでにも、
何度も打ち寄せる大きな波のように
絶え間なく襲ってくるのでした。

前日から治療のために何も食べていないのに、
吐き尽くしてもなお、胃液まで  吐いていました。

その上、抗がん剤投与のために
大きな血管を切っているので
下手に動くと大出血の可能性がありました。
鼠径部に3〜4キロぐらいの鉛の重石のようなものを
のせられ24時間身体を動かすこともできません。

寝返りもうてない状態で顔だけ横を向いて
顔の脇に置かれた銀色の容器に吐き続けていました。

入院してからも、毎日欠かさず朝晩と
かけていた子供たちへの電話も、
このときばかりはままなりませんでした。

吐き気の間隔は間が開き始め、
徐々におさまりましたが約一週間も続きました。

こうして最初の治療、抗がん剤治療が終わりました。……が、残念なことにこの時の抗がん剤は、
あまり効果がなく再度7月10日に
する事になりました。


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とにかく子供達にベッタリの私でしたアップニコニコ



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