前回記事の続きですおねがい
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夏休みも近くなり子供達は、
小さい頃からお兄さんのように慕っていた
少年隊の東山紀之さんの舞台を観に、
妹が迎えに来てくれて東京へ向かった。

とても楽しい時間を過ごし、
素敵な舞台に感激して、興奮して
電話がかかって来た。

その上、次の日には二人を
東京ディズニーランドへ連れて行って
下さると言うのだ。

猛烈なお忙しいスケジュールのなか、
子供達のために時間を割いてくださったのでした。

本当にその優しさ気持ちが嬉しくて、
ありがたかった。

子供達もその週末の東京での時間は、
久しぶりに大はしゃぎだったようだ。

京都に戻って、一学期の終業式も終え、
いよいよ夏休み!

7月22日の朝。
越後湯沢でのサマースクールへ向かうため
子供達は、また妹と東京へ向かうことになった。

私が子供達のためにと思い、
手配したことだったのだけれど、
いざ1ヶ月、二人と会えないことは
身を切られるほど、切なくて辛くて悲しかった。

それぞれに小さなリュックを背負い、
病室によってくれた。
二人が入ってくると、私は精一杯明るい声で
「おはよう」と言ったのだけど、
二人とも言葉少なだった。

サマースクールでは、里心がつくからと
お電話も出来なくて声も聞けない。

「サマースクールでは、お電話でお話できないから、チャーちゃんは毎日克基と仁美にお手紙を書くわね。だから、二人もお返事書いて先生にお渡ししてね。そうすれば、必ずチャーちゃんの所に届くから。」と、言って病院の住所や私の名前などを
書き記したハガキを15枚ずつ二人の
リュックに入れた。

その日ばかりは二人とも  「うん、うん。」と、
言葉が返ってこなかった。

はじめは、椅子に座っていた仁美は
ベットに上がってきてだんだんと私に近づき
最後は私にしがみついてとうとう泣き出してしまった。

寂しさをこらえていた思いが溢れ出してしまった。

「キャンプはきっと楽しいし、新しいお友達もきっと出来るよ。いつもは出来ない色々な事も出来るし、頑張って!」と、
私も必死になって二人に話した。

克基はきっと私を悲しませないようにと
我慢していたのでしょう。
私から離れようとしない仁美の手を
無理やり力一杯引っ張り、怒ったような声で
「おい、仁美、もう行くぞ!」と言うと
かぶっていた帽子のツバを目が見えないくらいに
深く下ろすと妹の手を引きながら、
くるっと後ろを向き廊下へ出て行ってしまった。

仁美は手を引っ張っられなから、
涙でグチャグチャになった顔で振り返り
「バイバイ」と、小さな手を振っていました。

仁美の話では 、振り返らなかった克基も 
角を曲がった所で立ち止まり
ワンワン泣いていたのだとか、、、。

きっと お兄ちゃんなんだから、、と、
精一杯我慢して頑張っていたのですよね。

そんな二人の小さな心細そうな背中を見送り
「頑張って‼️」と声をかけ、
角を曲がり見えなくなっても、
しばらくは佇んでいました。

この時の光景は今でも鮮明に瞼に焼き付いています。今でも思い出すと涙が出てきてしまいます。

二人がサマースクールに行っている間に、
私は手術を受ける予定でしたから、
もしかしたらこれが子供達との永遠のお別れに
なってしまうのでは、と胸が締め付けられるほど
不安になったのを覚えています。



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