先程の記事の続きですお願い
まだ読まれていない方はこちらからどうぞ下矢印照れ

二人との約束通り、私は毎日せっせと
手紙を書きました。

便箋に書く一文字一文字が
私の生きている何よりの証でしたから。

6才と8才の子供達への手紙は
思いがけない苦労もありました。

それはほとんどひらがなで書くこと。
つい漢字で書いてしまうと、
「あぁー、まだこの字は読めないなぁー」と、
書き直しの連続でした^_^

その時二人から届いた葉書は
今でも私の大切な宝物です。
まだあまり字のかけない仁美のは、
お人形さんの絵や蝶々の絵。
克基のは  
「元気ですか?僕は元気です。はやく帰りたいです。」ばかりでした。
サマースクールに行って程なくして
克基がものもらいになり、
ちょっと瞼を切開するような事があったので、
それまでお兄ちゃんだからと我慢していた
気持ちが一挙に崩れ、突然「帰る!」と、
駄々を捏ね始めたらしいです。

その時先生が、
「お母さんも病院で頑張っているんだよ。仁美ちゃんも一生懸命頑張っているんだよ。だから、克基くんも  負けないように頑張ろうね。」と
言葉をかけてくれたようです。

その事があってから克基も一言も帰りたいと
先生達には言わなくなったと後日聞きました。

二人のそんな健気な様子に
二度とこんなに寂しい思いはさせまいと
強く、思ったのでした。

そしていよいよ手術の日が8月6日に決まりました。

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二人からの手紙と、私が書いた手紙の一部(╹◡╹)


今思う事があります。
私の時はこのように手紙にする事しか、
子供達に母親が頑張っている事、
こんなにも二人を愛している事を伝える術は
なかったのだけれど、今は色々な方法で
伝えること、残す事ができます。

もしかしたら、今小林麻央さんは、
将来子供達が大きくなった時、
癌というものを理解できるようになった時に
その時の母親としての気持ちを伝えるためにも、
ブログで厳しい現実を残していらっしゃるのでは
ないかしら、とそんなことを思いました。

私の入院中当時6才だった娘も
今では一児の母となり、
我が子を何よりも大切に感じている様子。
それを見ていると、、
きっと何かあった時は私がそうであったように
命がけで闘うだろうなと思っています。

海老蔵さんのお母様は私の学校の一年先輩。
そんな小さなご縁も感じながら、
遠くから麻央さんには勿論、
お母様、ご主人の海老蔵さん、お二人のお子達 、
ご家族の方々に心からの応援をお送りしたいと思います。

来週は第7章綴ります…おねがい
楽しみにしていてくださいね( ¨̮ )

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癌の闘病記録を書いています。何かの参考にしていただければ幸いです。
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