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今から25年前の8月6日、
私は人間として大切な身体の一部、
女性として生命宿り、生まれ、
育まれる大切な場所、


子宮に別れを告げました。


誰もが母親の子宮で十月十日を過ごし
産声をあげます。
母親はその子の胎動を感じながら、
日々幸せを噛みしめています。

でも私にとって何よりの救いは、
二人の子供たちがいる事でした。

もし私が赤ちゃんを待ち望む一人の女性だったら、
絶望の淵で泣き明かしていたに違いありません。

私の病室の近くに、まだ結婚をされていない方が
入院していらっしゃいました。

多分お母様が付き添っていたのだと思いますが、
何度か大きな声でお母様にあたられていたのが、
聞こえていました。
「何で、こんな身体に産んだのよ!」と。

やり場の無い気持ちをお母様に
ぶつけていらしたのだと思いますが。
お母様もいたたまれない気持ちだったのでしょう。

廊下で声を殺して泣いていらっしゃる
お姿を目にした事があります。 

ご本人は勿論、お母様はどんなに
お辛かった事でしょう。

そのお嬢様がどのような病状で入院されていたかは
解りませんが、
お嬢様のお気持ち、
お母様のお気持ち、
どちらも痛いほど分かりましたので
とても記憶に残っています。


8月6日午前9時
予定通り手術が始まりました。

身体のあちこちに
血圧計や心電図などの計測機器や、
点滴の管が手早く取り付けられていく。
スタッフの流れるような作業。
チリ1つ無い手術室の沈黙の世界。

ピンと張りつめた空気の中
器具の触れ合う音や機器の作業音だけが聞こえる。

まるで、私だけが違う世界にいるような気持ちで、
押しつぶされそうだった。

私の身体のあちこちから何本も、
管やコードが延び、
まるで私自身が機械の一部に
なっていくような感覚に陥ってきていた。

先生や手術スタッフの皆さんに
全てをお任せするだけ。

いよいよ麻酔剤が打たれる。
硬膜外麻酔法と言われ、
脊椎を取り囲んでいる
硬膜の外側の空間(外腔)に
カテーテルを入れ、
そのチューブから麻酔剤が注入される方法。

それと同時に、点滴による麻酔も行い、
手術中には意識はなくなる。

私は手術台の上で横向きになり、
エビのように 背中を丸めた。

太い針が腰椎に刺され、
腰椎の間から硬膜外腔にはりを刺していき、
良い位置に到達した時に針を抜き、
細いチューブだけが硬膜外腔に残る。

硬膜外腔の幅はとても狭いので、
とても高度な技術が必要だとか、、、。

ところが、この時は中々上手く入らずに 
強烈な痛さと共に、右に曲がっているような
不思議な感覚が生じたので、
「先生、曲がって来てるみたいです!」と、
叫んでしまった。

先生は、有無を言わさず
勢いよく針抜き、
再び激しい痛みを感じながら、
針が刺されましたが、必死に耐えていました。

ようやく上手く届き、
身体をまっすぐにすると同時に
点滴から麻酔剤が注入され、
ほんの数秒で私は深くて長い眠りに引き込まれた。

6時間近くもかかる大手術。
広汎子宮全摘。
お腹を縦におヘソの上から、
15センチ程も切り、
ガンに侵された子宮を全摘出し、
転移している可能性のある
卵巣、リンパ節も切除するものだった。

その上、2000〜2500CCもの
輸血が必要だった。

当時、京都に住まいがあり、
太秦の撮影所の皆さんが輸血の申し出を
してくださった。

でも、、、映画とか、テレビで皆さんが
ご覧になるセットなどは
とても綺麗に見えるのですが、
実はとてもホコリっぽい。 

その中で昼夜を問わず
忙しく作業をしているスタッフの方々は、
お酒もだいぶたくさん飲まれる。

そんな事を考え、
輸血のお申し出をお断りすることにしたのでした。

ところが、皆さんのご好意を
無駄にしてしまった罰が当たったのか
血縁製剤から取り寄せたにもかかわらず、
輸血でC型肝炎がうつってしまったのでした!

当時は、A・B型肝炎については
とても厳しかったチェックが
まだC型肝炎については、
少し弱かったみたいでした。


いのち煌めいて【第8章】手術②に続きます……(^_-)☆

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