こんにちは!
 
 
 
 
あんちゅこと石塚朱莉です。
 
 
 
 
よろしくお願いします。
 
 
 
 
3.11あれから3年も経ちました。
 
 
 
 
3年前の今日、私はこの日のことをこれから先ずっと忘れないと思います。
 
 
 
 
2011年3月11日14時46分ここから世界が変わりました。
 
 
 
3年前の今日は地元、千葉県で普通の学生をしてました。
 
 
 
いつもの様に何事もなく学校へ行き、部活の準備をしていたら、
 
 
 
あの地震が起こりました。
 
 
 
はじめは本当に小さな小さな揺れ、
すぐに収まるだろうと思ったとたんに、
 
 
 
 
今までに体感したこともないような大きな大きな揺れがきました。
 
 
 
当時13歳の少女、石塚朱莉生まれて初めて死を覚悟した瞬間でした。
 
 
 
そこから学校、部活は停止、
大人数で固まってビクビクしながら帰りました。
 
 
 
自転車通学だった私はヘルメットをかぶって帰りました。
 
私は何かあればヘルメットや自転車を盾にしてましたが、
 
 
歩き通学の子は守るものがなかったのでもっと怖かったと思います。
 
 
 
帰り道、建物が何軒かぐずれていてショックを受けたことを覚えてます、
 
 
 
 
そこから何度も何度も地震がきてはびくびくして、
 
 
 
夜全く眠れなかったです。
 
 
 
 
東日本大震災
被害は建物が崩れただけでは済まされませんでした。
 
 
 
 
地震からくる津波で大きく被害を受けました。
 
 
 
身長の大きな大人でも、
高い建物よりも高い高い建物が次々と流されていく…
 
 
 
そんな映像をニュースで知りました。
 
 
 
衝撃的な映像だったし、はじめはなかなか受け止められずに、
CGで作られた映像だと思い聞かせてた部分もあったのかも。
 
 
 
あまり、大きなニュースにはならなかったですが、
千葉県の九十九里浜の北端の旭市も大きな被害がありました。
 
 
 
小学校のミニバスケットチームに所属していたときに、
対戦して頂いたチームが旭市にあって、
ものすごくショックでした。
 
 
 
 
それから
放射能被害にもあいました。
 
 
 
 
その日の風向や天気で、私の住んでいる地域が危なかったそうです。
 
 
 
基準値には達してないものの、
他の地域に比べたら少し高かったようで、
 
 
 
気のせいだとは思いますが、
 
 
1日に鼻血が4回もでたりという異常なことがあったりしたときもありました。
 
 
 
最近では、のどが痛くて歌うと痛むときもあります…
 
 
 
この先も何が起こるかわかりません…
 
 
 
この先の人生でびくびくしながらの生活は怖いです。
 
 
 
 
ですが誰も悪くないです。
 
 
 
だから私は、悲しみよりもたっくさん笑って、
楽しいことがあればいいと思います。
 
 
 
 
そんな今日、大阪、難波のNMB48劇場で復興支援公演をさせて頂きました。
 
 
 
当時は被災地に行って助けてあげたいとか、
励ましてあげたいと心から思ってましたが、
なかなか行けない環境で私の願いは叶えられなかったです。
 
 
 
被災地には行けないものの、
この場所で歌うことによって少しは力になったんじゃないかと思います。
 
 
 
いつかは本当の私の願いである被災地訪問をしたいです。
 
 
 
地震はいつ起こるかわかりません。
もしかしたら明日かもしれません。
 
 
 
どんなことがあっても私は私らしく元気でいて、
私がステージで歌うことで元気になって頂けるようにします。
 
 
 
 
 
 
たくさんの方が元気でいれますように…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石塚朱莉