とーほくほーこく◎いわき編
朝になり、途中、自衛隊の車と多くすれちがうようになる。
ああ、ほんとにたいへんなことがあったんだ・・・・ と、実感。
メンバーも、やはり言葉すくなになり、緊張したおももち。
大阪を旅立って、約12時間、いわき市に到着。雨。
まずはいわきでも被害の大きかったという 久之浜へ。
外にいてはった人に途中お手伝いを申し出るも、あまりの被害の大きさに、
あとはほぼ 壊すだけ、の状態でなにもできることがない。重機でなければ 難しそうだ。
支所に相談にいくと、ボランティア保険に入り、講習を受けないと手伝いが出来ないそう。
ほとんど人がいない。
海岸沿いを、走り、お手伝いできそうな場所をさがす。
ホームセンターも、津波でやられていた。
家のドロだしをしていたボランティアに交渉。
リーダーさんが 話のわかる人で、
家主のおばちゃんも、『親戚ってことにしておいて~』と言ってくださり、内緒でってことで、手伝わせてもらえることに!
ふと足元をみると・・・・1メートルぐらいの穴の亀裂。
大工さんのヤマネさん、電気屋のガンジー 大活躍。
ユカを引っぺがし、床下にたまった砂をかきだす。
海からはかなりはなれているのに、こんなに大量のすなが流れ込んできたんだ。
2階のベランダも崩れそうになっているので、注意しながらの緊迫した作業。カッパにマスクで汗だく!
ノブ&のこ 植木・仏壇の整理、くぎ打ちなど地味作業に徹する。
私は流れから 神棚の整理をさせていただいたが、なにやら大切なものがはいってそうな缶があったので、おばちゃんに渡すと、思い出の品がでてきたのか、『これが守ってくれたんやね~』とうれしそうにお話してくれた。
通りすがりのお手伝いなのに、休憩して~ってジュースを買ってくれた。
こんな状態なのに、『瓦礫持って行く人がけがせんよう、釘うっといてね~』って。
おばちゃんの心のつよさ、思いやりの気持ちにただただ『もっと早くこなくてごめんなさい・・・』と、つぶやいた。
3:30で ボランティアは引き上げ。
おばちゃんに、ほしいものを選んでもらい、ライト、生活物資など渡せた。
まだ一度も支援物資もらってないそう!!自宅や親戚宅避難だと、もらいにいかないといけないし、車もない。行っても、避難所の方が優先なので、もらえなかったそうです。
おばちゃんと連絡先などを交換。『大阪にもいきたいわー!』って。
このへんが ボランティア登録せずの飛び込みのよさかな。
その後、いわき駅前の BAR『シネイ』で菅波ちゃんと合流。
菅波ちゃんは、いわきでゴスペル教室をやっているソウルシンガーで、のこされ島にとひとりでやってきて、すっかり仲良くなった。最近は大阪でもFM802で取り上げられたりして、活動を全国に広げている。
地震が起こってしばらく連絡がつかなかったんだけど、なんとか命からがら津波から逃れたそう。
今回の東北行きのことを伝えたら、うちに泊まりなよ~って、言ってくれ、お世話になることに。
菅波ちゃんの情報で、平工業高校の避難所で、20:00~21:00お酒を出させていただけるという情報。
つくと、市職員(?)らしき人の冷たい目線。明らかに迷惑そう。
避難している、日本で一番ちいさい牛乳やさん、志賀さんが交渉してくれて、イベントように、
もらってもらえることに。
広げていると、たくさんの人がこっそりのぞきにきて、お酒を持って行ってくれた。
はちようびのもって行った帽子やかばんなども おばちゃんたちに喜んでもらえた。
志賀さんに自然薯をいただく。ここの避難所では基本の物資はかなり余っているそうだ。
もう時間もだいぶ遅かったので、菅波ちゃんの家にいくことに。
私たちが泊まるのを最後に取り壊されるそう。
(わたしはコロンとねてしもうた・・・・どうやら朝方まで 宴は続いたようだ)
おばちゃん、見ず知らずの得体のしれない私たちにお手伝いさせてくれて、ありがとうございました!
四ツ倉というところで、ヤマネさんが、人だかりを発見。