やりようないブログ

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やりようねぇな、と言います。

Amebaでブログを始めよう!

やってっかぁ〜〜っ!?レジ前でやってっかぁ〜っ!?そんなチロル・チョコ達!

春は春れども、意欲は充分でしょうか。



最近はアレしています。note、というやつを書き始めました。そんなに文章が書きたくてキリがないかというとそういう訳でもないんですが、気分を変える思いで昨月末くらいから取り組んでいます。

中々、楽しいこと。

なんだか窮屈でもあり気楽でもあります。窮屈という点は、それはnoteという空間が形式ばったところがあるのがあって、それも「創作感の強い、整然として皆が前向きに居る」っていう感じの、一概に決して悪いわけではない、形式ばりです。

気楽という点は、なんだか禍々しさがなくて、軽く30秒用の酸素を吐き出すかのように書いてもあんまり疲れないところ。

でもせっかくなので、真面目にポジティブに取り組んでいます。

か〜っ!!


しかしながら久々にこのアメイブロを書こうと思い立つと、胸に昔なつかしい慣れた神社裏で暴れるような冷えた空気が湧いてきて「豚のように落ち着くな」という気持ちも完全です。

やっぱり禍々しさに落ち着きがあるということは、なんだか向こうさん(notetoo note)のほうはカッコつけて書いているような気もします。本当はそうなのかもしれませんね。でも、だったらどうだって言うのかと。たまにはサ、それくらいイカしてて良いんだって。

食らい付いていけばいいんですヨ。

今にも思いましたが改行の雰囲気も、こっちのほうが自由度は高くてプチいいですよね。



とみに申し上げるところにお酒は日々増えたり風呂で眺めたりのバーサーカーFFⅥですが、思うに、実は向こうサン(Too note)でも書いたのですけど、お酒を飲んでから創作することは常ではないでしょうか。

10年くらい前に都はるみのぼりして、お笑いさん的なこと目指していたときも、ず〜っと飲酒してネタを書いていました。

笑いながら飲酒し、笑っているので笑いながら書け、湯水で楽しいんです。だのでお客さんも酔った前提で見てくれみたいな内容にはなっておりましたが、折に触れりゃ、マア結果とし、自分の満足度は高いのでした。

それはたまさかの、このアメイブロにしたって例外ではないのです。


始めたころは暗〜くて思想の強い、マニアックを履き違えた感じでしたが、酒を飲んで書きだしたころから少し柔らかげになってきました。

それは谷の金を謳ってはばからない柔道の良子のように、まっこと『柔(やわら)』そのものといった所で。

履き違えたマニアックから自分用のマニアックになり、見せちゃいけない日記みたいに次々なっていきます。そんなゆめゆめしい過程と、生活に関わる清涼感。

で、たまに本音をぶちまける優しい正直太郎のような感じにもなって。

そして次第に落ち着いたところでは、物騒なことながら、泥酔している自分とシラフの自分の違いがどっちの状態に居ても分からなくなってしまいました。

一応、酔って書いていると自分で思うほうが納得が多いのでシラフを大事にノンお茶コールで書いています。それは、何とも不思議で自分をないがしろにしている行為ではないのでしょうか。

酔って何かをする自分があたかも嫌になっていて、シラフで酔ったふりをする完全に、野性味高いマルチ女子大生プレイヤーの風情ですよね。金玉見えな!



最近は、そんな事ではイカン!谷でもイカン!と思い、真っ当に臆せず徐々にお酒を減らしています。

無理に飲んでいるんではないか?

そんな疑念も浮かばせないほどに、「いやお肌に悪いから」ぐらいのパワーで減酒をとりおこなっているのでした。

いや〜いや、普通に、上等に、お酒は体(バァデ)に悪ぃから!!知らなかったふり止めろよ。

バァデを犠牲にして作るようなネタや、台本のなんたらや、ましてやブログなんて、上等と言えるか?

真の上等は、今こうして21:00台にほうじ茶かまして健康書(ヘルシ)く文章。

考えていきます。



そうした所で楽しい時間でした。でもnoteもたくさんの人に読んでほしいです。このアメイブロは、読み返せどもやはり向こう18万キロくらい奇天烈なので、一人残らず読んで欲しいなあとはなりません。

このたくさん読んで欲しいと、一部の人が読んでくれたほうが嬉しい、との差。結果どちらも自分しか読んではいない風情はしていても、この差が、noteを始めた理由になるのではないでしょうか。

きっと読んでくださいね。新卒のように書くよ!

https://note.com/nodowa_shop



大好きな冬というか正月が終わっていくという耳噂ですが、信じられません。

東風かまして、今年も料理時の土井善晴先生のように気丈でいきましょう。

よくできてらあ!それはお正月。

楽しいお正月、ありがとうございます。その感謝はまさに神社宛てって感じよね。



敬文はさておき、明けましておめでとうございます。

今更言う段でも無いですが私はお正月が大好きです。

幾らなんでも大好き過ぎて、年中正月の話をして笑ってる私のさまを見て、人に「あなたが正月が好きな話を一年中うわごとの様に言うのを見ると、鬱病になっていた時の母を思い出して切なくなる」と言われたことがあります。

私なんぞが好きになっても釣りが来てその釣りで泉が作れる、その器が正月ってもんです。舐めたら大ごとよ!


そんな正月ですが、楽しみなのは雅楽と、お笑い。雅楽はあの「プァ〜」ちゅう音です。雅楽というよりあのプァ〜が私の好きです。

それも置いた所に、お笑いの楽しさ。

パンチと実績あるお笑いの量のあまりの多さ。

楽しみの一言では過ぎ切れないことで。

特に私、『爆笑ヒットパレード』という番組が子供の頃から好きです。なぜ好きかと言うと、すごい力の、すごいお笑いさんが出る。

私は説明するまでもなくさまぁ〜ずさんが人生そのものなんですけど、そのさまぁ〜ずさんを好いたのも、十数年前のヒットパレードからです。圧巻の楽しさを放っていて、これがさまぁ〜ずさんというものか〜〜と人生を捧げる力を頂きました。

それに終わらず子供の頃さまぁ〜ずさんの次に大ファンだったおぎやはぎさんも毎年 出ていた。明けたな〜と2人が言い合う芸術が毎年でしたよね。

そんだので爆笑ヒットパレードは私の中で神聖な番組なのです。助かるなあ。


その爆笑ヒットパレードになんですが、今年は大好きなランジャタイさんが普通に出ました。

これは感慨深さがあり、売れなすったんだなあ嬉しいなあと思うものです。神聖な台にいるわけなのだから。すごい日本お笑いよ。

その後、さまぁ〜ずさんがネプチューンさんや爆笑問題さん、ナイナイさんといちゃいちゃしゃべるという、驚天なくだりも1時間くらい番組内にありました。それも強く感動しました。


それらを見て数時間後私は今、酒を浴びるほど飲み、倒れるくらい号泣しています。

キモい!なぜ泣くんだろう。泣くのは、アレだからだろうな。



なぜ泣いたのか⁉︎知りたい!それは発泡酒じゃない缶ビール飲んだあと家でハイボールも作ってもう3杯目だからか?

いえ、お笑いが大好き過ぎて泣いたんです〜。バーイ!

あと売れたかったの思い出して泣いたんです〜〜〜よかれと思えよ!



お笑いが大好き過ぎて、幼少時初めてファンになった『笑う犬』のホリケンさんに憧れ、「絶対お笑い芸人になろう 当たり前じゃん最高や」と思いました。それは普通のことだと思います。

小学校の卒業文集にも芸人になると書きました。それも痛いながら普通です。

だので大人になって一旦就職とかしながらも、上京し、死んでもやりたかった芸人をやりました。楽しい楽しい幸せ。

でも辞めてしまいました。このやろう!!


あたい、いまだにその「辞めてしまった」がショックなんですよね。

嫌いです〜。


だって子供の頃憧れたのは私だし、それを上京して取り組むのも普通のこと。人生で一番好きなんだから。楽しい幸せだしね。

でも、辞めてしまうんだ??異常だよね!

またやることはありません。でも、やっぱり異の常です。

つまるところに お笑いが好き=自分でもやりたい=芸人になる=売れないとお笑いをやっているとは言えない ってのが自国民にあるはずなんです。

だからこそ辞める理由はないです。

そこを変えて、やりたいことで売れなかったからといって辞めたのは異常というか、異常を越えて「どうするの??その後の人生やばいじゃん!」ですよね。

だからと言って今お笑いをやってる同期や友達とかに嫉妬は大してないし、絶対に売れてほしいんですが、自分が無意味なほうに異常なことに失望でした。

楽しい思い出と子供の頃の力に失望だよ。


私、それを強く思って泣きましたね。泣きましたね(スポーツ選手)

泣くのも私の上戸であるからまあ普通なんですが、さまぁ〜ずさんと爆笑ヒットパレードのWパンチ、まあ心を乱されるな〜。

まさにご乱心。正月が好きすぎることさえも悲しいです。

まだ見つけられてないけど、できなかった残りの魂をお芝居で放つ術を見つけられたらいいな。

乱心と同時に、元気にもなりつつ。

辞めてよかった。でもまたやりたいな。もう2度とやりたくない。全部私の心よ!!

紅天女よ!!

紅天女は絶対私と美内すずえです。



ところで、私が8年くらい好きな倉橋ヨエコさんの歌に「東京」というのがあって、この歌自体はニコニコお笑いを辞めたあたりに知ったんですが、東京で生きていくのに楽しい歌です。

聴いて欲しいなあ。

その次に好きなのは「人間辞めても」という歌。こちらはいわゆるメンヘラみたいな詩の内容なんですけどメロディーが狂っていてグッと気分気分になります。

「人間辞めても離れない 土に還れどあんたの手の中に」

ってくだりが良いんですよね。変な奴だよ。


お正月は最高です。



な、ならばドキドキな、ならば、お、踊らにゃ損!踊らにゃ損だよ!いや…です!

あ〜緊張した!

和田アキ子さんが歌手として幼少から大好きです。大尊敬の声量。声質の士。

そのアッコさんが最近、踊らないと損害を被るという歌を唄われてるんですが、あれ最高です。




お元気にされていて、その具合はどうでしょうか。こと11月になりましたね。

私はあれから、あれからと言われてもの中にありつつ、ヨドバシの派遣業をついに抜け出しました。

やったーヨ!

抜け出した、と言っても仕事の選択は自由なのでいつでも辞められたんですが、それがなかなか踏ん切られないのが頑固者の損です。踊らずに損。

頑固者でなければ、あれだけ毎日くるしいピイピイとわめきながら29ヶ月も勤続するでしょうか。

お酒いっぱい飲み過ぎて毎晩、歩きながら町や光に八つ当たりしたりしていましたし、早く辞めなければいけなかった物です。ところにきて、とにもかくにも7月で辞められました。

今はあの、お豆腐屋売りさんでバイトしています。



知っていますか?豆腐界の界王様こと、みなさん。豆腐屋チェーンの「三代目茂蔵」というお店。

わたし8年くらい前から好きでして、異様に香って旨い豆腐ドーナツという貴商品に初めて会ってから、店のファンなのです。

もちろん豆腐も好きですが入りはドーナツ、そこから汁の効いたいなり寿司。うまい店があったもんだとなり、店のロゴ入り保冷バッグまで買いました。Facebookにも載せました。

その長年の月日。あ〜いつかここでバイトしたら、「やっと好きをバイトにできてる」となるだろうなあと思うのは当然です(タハハ、納得だ)

でも、働いたら嫌になるかもなあ…。


何の職種でも、客として行けば楽しみ100なのにスタッフとなると楽しみ28・苦しさ72になるのは簡単な想像ですよね。そのリスクは江戸時代からいっぱいあったし、何歳の経験を紐解いても分かります。

でも、この「好きをバイト」って、どうせ死ぬなら1回やるか?ってなりませんでしょうか。

さらに前のベシヨドのダメージが残っていた事もあり、もう何でもいいからめちゃくちゃしちゃおう、それがわたしの次のアルバイトなのだから、と言い出すと聞きません。茂蔵に応募しました。

時給は1015円、びっくりに低いが、18時間の枠なら何とかなる。

面接がありました。すると


だいたい6.57時間勤務になりますから月給このくらいです。オヨヨ?ひいひい!…じゃあ分かりました!ね?週に112時間の勤務を入れて調整しましょう。生活できますよね。お芝居がんばってください!オヨヨ!大丈夫か?おヒョイさん!

やるしかないのです、次を生きる為。ちくちく不安がありつつも当初の勢いを使って働き始めたのです。止まることなどない。

そうなってくると、前の生活との差にわたし震撼してしまいました。



劇団震撼線!ってなもんで、生活は変わるものではないでしょうか。

まあしょうがねえけどなあ。江戸っ子だったら竹を頭でかち割って狼煙をあげかねないぐらいの変わりぶりだけど、しかししょうがない。

数字で言えば、ベシヨドのときは、月1719日くらいの勤務で、手取り18.19(社会保険込み)でした。

それが今の豆腐屋、月2123日の勤務で、手取り16万から自分で国保・年金を払い、手元にわずか13万となります。

インターネット上にこんなにお給料羅列する人いる?羅列大好き!


簡単な話で、勤務日数が3日増えたのにも関わらず、給料は4万減ってしまいました。何事か。アタイ仰天、さすがにこの天地無用には開いた口がふさがらず、酒を流し込んでフタします。小便だって漏らして候。

てやんでえ!理屈ってのはしょうがないから、いかに江戸時代でも。受け入れるしかないよね。

苦痛な仕事を抜け出した代償は大きいのですし、冷静さを欠いては楽しい酒も飲めません。

しょうがないことなのですが、前より平和で好きなものを売る職場でも、これだけ給金が下がり休みも減ると、心に深めの影が差すことうけあいです。豚ちくしょう!!我慢、我慢。


私というのは、当初の勢いと、お店を好きだった昔の愛は、大事にしたいのです。

そもそも、ほんとに駄目になったらまた変えればいいから!ありがとう私が私にかける情熱。

情熱の赤いバラ、そしてジェラシーの極地はあたしンちです。

私はバイトを選べるんだという事実に、杉田かおるの「鳥の詩」に出てくる鳥に人生相談されてもおかしくないほど自由な概念に、助けられています。



バイトは頭から湯気が出るくらいしていますが、ときどき気になる役者さんに出会ったりしながら、力ずくで脚本作りに取り組もうとしてますよ。私、いっぱいご飯食べてるし休みの昼は気楽に部屋に居るぜ!

脚本作りに進展があったら、また報告、報告、いいですね〜。

もう無灯火聖火ランナー!って感じ。

気分はどんなふうにお過ごしでしょうか。

ナンコロはユメユメ収束しませんが、日々少しでも事態が改善の方に、正当な方にと向かって時間が流れていることだけを信じて、足なみしてます。

負けじ〜!



まあそうは言っても接客派遣業務員の余儀ない生活してますから、実を申せ、感染や菌への向き合い方も徐々に麻痺してしまっているところではあります。

家電量販店で、毎日おじさんや住市民とおしゃべりし、確認して、クレジットカードを作らせるような阿修羅の生活がもう2年半になりました。

これは、結局のところ世間と同じ足なみでナンコロに向き合っているものかどうか。

時間と菌の流れと対しながら、負債を返済しながら、借りてきた馬のようになんとかやっています。

ナンコロには打つ手がないにせよ、もうちょっと、脱力が欲しいんです。

もうちょっと、ヨ!わかるか?もうちょっと!な、気もするんです。もうちょっと、ネ!一寸先は法師と闇ってね。


というのにも、法師よろしく、少しずつ夢チャンへの接し方がライトニング(軽量)しているような気がするのです。

それはつまりロックマンXのアイシーペンギーゴのようにクールでもあり、かつ小っちゃいものクラブのように妙に気軽な有り様ではないでしょうか。



あのさ!少し前ですが、東京では7年来の馴染みの親友である金子ちゃんと久々に飲みました。

彼は同い年で故郷も同じ福岡、俳優を志していた(今も)友で、一緒に舞台に出たこともある、東京の宝度合いの高い大切なお連れさんです。

そんな友と話していて、私己(わたしおのれ)から出た言葉がありました。


「夢ある熱い若い人と、同じ気力がもう湧いてこない」


と、出たのです。わたしおのれの口からね。

みっともないことです。自分自身でもあわれな発言だったと衝撃なほど。ザ・令和みっともなTV。7みっともな世代。

それはつまりどういうことなのでしょう。



実はお芝居に移行して仲間を探す中でかれこれ3年ほど、ジモティーという機関に1番、お世話になっているのですが。

最近もね。2624歳の、2人の若い俳優さんとお知り合いになったんだヨ。

26歳の青年のかたとは、出会って約1年。若くから俳優座さんや唐組さんなどの舞台を踏まれた実力者で、台本の推敲も手伝ってもらったり、ベローチェでお茶と意見を交わしたりもし、人柄も信頼できる素敵な仲間です。

24歳の女性の俳優さんは最近お知り合い、普通にお勤めされていたのが突然「表現がしたい」と辞められ、ダンスや演劇の世界に飛び込んだという衝動の熱いかたで、こちらも台本を読んで頂いたりなどしました。

人と鬼のように会っては雲散霧消していく私にとって、とてもありがたい事で、この2人と形を作っていくことが希望になればいいなと、飛べイサミのようにハートを磨くほかないのです。


ところがここで、私に思うことがあります。

2人に共通するのは両人とも『今燃えたぎっている』若い力ということです。

それはまっこと当然なことよなあ。わたしおのれだってその歳の頃には、熱さのかたまりであり。

蝶のように舞い、火の鳥のようにムーピーに助言し。

我王のように苦々しい顔で街を練り歩き。

それはそれは手塚治虫先生の鼻も膨張するほどの熱い年齢がありました。

ところがそれは、もう過ぎ去った魂(たま)の話です。魂(たま)の生活が変われば終わってしまうのです。

憧れのお笑いをユメユメし終わって出たダシのような水を、利用するために舞台を目指そうとしている今の私です。

「アタイこれをやるために東京に来たのではない」であるとか、言わなくても言ってしまうような心が拭えません。

いと悲しいことだと思います。意気込みや生き甲斐は比べれば弱いのでした。いや決して弱くはないのだけど、生活より優先しきれていない。

そういうことですから、推進力があまりにないのではないか。それは虚しくて豆腐のように儚いものです。

彼らが青春まっただ中のところに、給水所の係員のおじさんが混じってしまって、ご迷惑がスタートしようとしている。文字通り身も心も転職することから考えなくてはいけない話です。


きっと毎日ギラギラ昭和の頃だったら、燃える人と会ったら「今やらないで、どうする!いと若いぞ!」と、中森明菜のように発破をかけることができるでしょう。

ところがこないだなど、2人を初めて会わせ、3人で原子力のようにゼロから作っていこう!という会を予定していたのですが、

20時前後しか集まれる時間がなかったとは言え、私が緊急事態宣言とコロナを恐れ中止としてしまいました。

尋常でないほど悲しく「大事な瞬間を逃したのじゃないか」というモツで肚はいっぱいです。

昔だったらナンコロだろうが猫娘だろうが構わずやっていたのだ。

ムキー!!



だもんでそういうところから、金子ちゃんの前で醜発言が出てしまいました。負債のことや今の生活を安定させることを世界の中心にし、怖がりながら穏便に生きる、薄味なおじさんの例です。

一旦生活が安定してしまい、そのまま安定させるモードを味わうと、人間は昔のような温度を「あれはあれだから」となってしまいます。イカンイカン、おじさんが受け入れる物はいつも重いよ。


わたしが思うに「脱力」がないのが今のぷりぷりケツ太郎の原因ではないでしょうか。だって、派遣業務のことを休みの日に「休みだから忘れよう!」と朝から意気込んだり、メモに書くほどの、方向の異常ぶり。そんな事あったかな、アタイの日記に!

ありがたい事に、生き銭を稼ぐ『仕事』以外の私生活は充実しているのでした。飯も食えていれば物も買えるし、会いたい人とも会える。

問題はその今の『仕事』の内容やトリッキーさで、長い東京フリーター生活でダントツに頭を悩まされます。

この派遣業務の苦痛から逃れるには無心で毎日出勤するしかない、向けるは負債、そして惰性や安定を作るためという、嫌すぎて力で安定させる思考。

お酒を飲んで忘れるのと一緒です。この!

とにかく、職場に着いたらネタ帳をシャニ・ムーニー広げ台本作りに向かおうとしています。

おどりゃクソ森、わたしおのれの課題は一杯ではないでしょうか。

今と向き合うのにちょっとだけ豚肉など食べて頑張ろう!

というか仕事変えろよ!



ナンコロの毎日、浴びるほどご自愛していきましょうね。

ご自愛をお金に換えられるような勢いさえある、GW明けの木曜日です。

およるさま!

春の幕開けとともに世は末(マツ)に向かっています、今こそ気合い含めろ!



コロナックスバナナハイボール悪腫瘍が、地球星を揉み殺していますね。

未曾有の出来事、と使うには余りある未曾有っぷり、安静者も心配性者もかまわず席巻されていて本当に苦しい事態。

こんな時にブログを書くでもないのですが思うところ少なくないのです。

かといって多くありません。



まず一応お芝居の現状も書きますと、前回の通り仲間を集め散らす行動性そぞろに、ボクサー的な相棒ことふくちゃんが味方になりましたが、台本もようやっと形になりました。

世に出るお芝居のバージン作はこれにしたいなというところにきて、いま懊悩しています。

難しいのが私は、自分の好きなキャラクターや口癖などから抜け出せない傾向があり、お笑いの時も硬い檻の中にずっとおりました。

自分みたいな人が分身する気持ち、それで登場人物の素を何でも考えちゃう。

だもんで、相棒的メガネ似合い子(旦那ちゃんと相思相愛でかわいい)に台本を読んでもらったところ、読み口が赤の他人以上に赤の他人すぎて、もはや誰の口から出る言葉か分からないようになってしまいます。

彼女にいっぱいお芝居の喋り方を教えられない自分も悪いし、他人の口から出る前提で考えられないのも良くない。

「お前は1人で作ったものを1人でずっとやっていくのが1番、誰も傷つかないし無駄がない」と何度か言われることがありますが、本当にそうなのかも知れなくて。

でもそれはヤダヤダなんだよ。

ヤダヤダというか、もう、本当に。絶許というか本当にブーイングペケ字拳。

解散して少しピン芸人をやった時苦しかったのを思い出してはいつまでも、しょせん複数人業に想いを馳せるのですよ。

人の口から出る前提に世の中のセリフやジャパニ語も作られていて、独りよがりではないことなど承知なのだし、承知できていないかもチャンなことも承知。学びが足りない。ごめんねでした。

うーんどうしよう!

秋には何とかできたらと、秋、していきます。



としたところで、それはさて置き。

そうしたお芝居やお笑いの文化も無に帰すほどのコロナ〜ル三太夫、我々は瀬戸際にいるのではないでしょうか。

日本も死の街になってしまわない為に、全国民が体を強くし、休業できる人は死ぬ気で休業し、それ以外は死ぬ気で自粛し、静かに黙々耐え忍ぶ時です。

猶予などありません。


心配に思う、というか裏目に出たな、と言ってはたいへん異常ですが、ふと考えることがあります。

私は九州に母をおき、姉と兄こそ関東におりますが私自身は、1人で生きています。

物理的に言うと家人は1人です。

今回のコロナ姫の肝は感染という性質ですから人から人へ感染(うつ)ることに強い脅威があります。

そんな中でいて嫁や、お子がいる人は、自分自身が罹ることが何より恐ろしい。

お客や街ゆく他人にばら撒いてしまう事は必然ながら、命より大事な家族にもばら撒いてしまう悲しみ。

それはまったく想像する域にないものです。計り知れません。

我々みたいな独り身の無知やおろかさとは「自分で家族を持ったことがない」ことだと私は思うのですが、それが反面「大事なものを傷付けずに済んだ」ともなること。

大事なものをまだ手にもできてないかわりに傷付けずに済んだ。

未然に防いだ、と言えばポジティブというか呆れ太郎でしょう。

私は本当に心から安堵しています。

結婚やら出産やらの幸せを手にできず放蕩みたいな人生を過ごしていますが、初めて「良かった」と思ってしまいました。

家族を持ってしまったことが裏目に出、自分だけで食い止められた被害を大切なものに波及させてしまう。苦労して幸せを勝ち得た人々がそんな目に遭ってしまうこと、悲しさで所在がありません。

そして何より、彼らの気持ちに寄り添えない程度のおろかさである独り身の自分に責任さえも感じます。

本当に不甲斐ないぜ、パイロットのリュウばりの不甲斐なさが目に沁み、肩の力を奪い搔き立つ無力。

益々、個人のこと、集落のことだ東京のことだではいけません。

だから今こそ、フン詰まりのままでなく奮起して、世を渡り、人と手を携えて幸せになっていかなければとレブチューンモーター全開するのでした。

生きることも諦めず、幸せになることも9割諦めちゃいるがまだまだ腐らず足掻かないと。

そこらへんの世の幸せと自分の幸せを別個に考えている程度なら、まだまだチョロQかペタンクで遊んでようぜ!



今の私にできることは部屋でお笑いを狂い観、想いの熱い唄を聴くこと。

ちあきなおみの「朝陽のあたる家」を聴き涙袋から泣いています。

昭和の逞しい力・ゆとり世代の我々のハチャメチャ力・令和の子たちの激しい元気が集まり、日本も笑顔を取り戻しましょう。

約束ね。

こんばんわい!オイ!

新年あけましたがいかがお過ごし、いかがのめでたさですか?

2020年ですよ。

正社会的でキャワイイ年にしましょうね。



タイトルは大好きなDr.ハインリッヒさんの輪廻漫才に出てくる鰯から。言わすなよ!

鰯ついでに申しますと、去年(2019)6月から、私は鰯の缶詰生活をしています。

(イワシ)は毛髪の成分に良い働きをすることで有名、人気店です。DHAEPAが非現実的に豊富とのこと。青魚は全般豊富なんですがいわし()は特に、だとか。

だもんでもう7ヵ月くらい毎日イワシ(イワシ)を食っています。

もうさ、毛髪が弱まっていたり死滅していくことの、恐怖がまことに強い。

私ってば自己人格評価マイナスのくせに自意識プラスカードなんで、恥ずかしながら見た目に気をとても使ってます。服は元々好きだからいいものの、与えられた顔面のレベルで勝負しきれない世の儚さを、気の使いでカバーしてるんですよ。

そんな時、毛髪はもうやばいって。

ファッションとか神笑顔で救いきれないって。

見たまんまだし。じゃあ帽子で隠せばよくない?でもBOY達、帽子は頭皮によくないんだよ?BOYさながら学ぼう。

よって内面、肉体インナーから栄養面・食事面・魚面で勝負していくしかない。

(いわし大好き!)を食うのは私の当然なのよ。



肝心の効果なんですがさ、さて私別に健康トピックのブロガーで人気得たいとかじゃないんですけど、これ絶大ですよ。

ブハハハ!笑いながら言うと、これ()絶大()で草。タピオカで草。みたいなぐらいに絶大。

どう絶大かというと、「髪が11つ太くなった」「肌が(元々きれいだけど)きれいになった」と、

よく顔合わせるような御仁に言われるんです。

すごくないですか?(ブロガー調)


むしろ己で鏡の頭髪目視するところには、変化はそこそこ程度なんです。でも、会う人に言われる。これは強い。

会う御仁に。御仁に会おう!

他人からの目がイチバンですから。他人はとても口程に物を言い。

ヘヤ力の少ない部分を補い、元々あったヘヤも黒々なり、太くなっているというのですよね。

いわし()に感謝なんです。



私はお笑いを辞めて少し、自分の外面を好きになれてるような気がしております。微細な好き感情ではあるが、みすぼらしさがお笑いに繋がるとするならば、お笑いから抜けた今、それは要らないと。

人を笑わせたい気持ちなど生涯尽きません。

でも、お笑い芸人は辞めてしまい今はお芝居やりたいメンです。コメディお芝居メンもシリアスお芝居メンもいますが、どちらでもないわけだから見た目以外の気持ち悪さの芸風で生きていかなきゃなんだから。

みすぼらしかったり、禿げてたり、を笑いや愛嬌にするしかない舞台はそもそも向いていないしその才能もないので、だめなんですよね。元々が、愛嬌の振り方に癖のある人間だから。気軽に他人様みたいに作れないのであって。

だからハゲは足枷になる。

話のネタにはなるし日常では笑いになる。

でも日常の周囲からの扱いを舞台に延長することを、ガキでもねえ30にもなってやっていられなくないですか?(ブロガー調)

ふだんああだから舞台上でああなるの想像できる!って周りに言われることに呆れるの、呆れ疲れてませんか?小林製薬。

ナメられるのは全然いいですけどそれを自分にしちゃあ一生ゴミ溜めなんですよな。

イワシの話から熱い話()になるなんて思いませんでした。サンキュ



禿げたくない!ずっと見た目を気にしてたい!という気持ちが自分に強靭に芽生え続けている事にこの上ない安心をおぼえます。

自分を嫌いに嫌いまくった人生の先に、まだ能天気な切り分けができるんだなあとね。ということは、むしろ自分のことを昔より好いているんでしょう。

イワシ()は本当におすすめですよ。

最近はそんな感じですばい!久々な文章楽しい〜LOVE〜。




っんでよぉ!ネットで変わらず鬼烈にお芝居人と会いまくって気狂いまくってんだけどよぉ!今度会った人は違うぜ!

既婚者のコーヒー好きなボクサーの卵だぜ。女の子なんですけどね。

歳も同いで、言語感覚や好きなかわいい物の趣味もけっこう近く、

優しく、怒らず驕らず卑屈もない、

まして昔のおれの精神病棟みてえなネタ帳を受け入れる度量をお持ち。

いい子だと思います。旦那さまもお会いしたけどかわいかったし。あー結婚したい!!

彼女とたのしい舞台を作り、2020年は少し足がかりを作れたら吉だなあというところでした。



さいごに、恋愛面は変わらずズタクソだけど、職場の22くらいの女子たちとほのぼの、メンヘラ会と称し闇を語り合うくらいには余裕です。

むしろあのメンヘラ会が今おれを支えている。おれっちを!わたし!アタイら!

感謝しなければいけない物が一杯あること嬉しみです。

がんばろ!!!!



がんば!

みなさまも良い年にしましょうね、大好きクラブからのお願いでーす。

「うす!キック わざのおに!サワムラーに するか?」と鬼問われ、はいします、わざのおに! の子供でした。

パンチよりキックがカッコいい、っていう邪王道子供で。

でも当のサワムラーはさあ、格闘技よりノーマル技ばかり覚えるんだから攻撃力とタイプ技の持ち腐れってカンジ〜!ロケット団〜!

P・モン社会の上手くいかなさ、新卒で入った会社を8秒で辞める男子みたい。



何とも言っていようと時は流れます。弱音を吐くこともできない、無理しろよ!

最近は堕落ですね。えっ?無気力、無遅刻、無骨折。

せっかく引越しを為し気分転換なんてもんじゃねえよって時に、この脱力感はばかっています。

時間と休日の使い方が意味不明すぎて毎夜酒を飲み、寝て夢見て何のエナジーもなく出勤と酸素好きの繰り返し

もう!!怒るわよ!

怒り界の重鎮派遣するわよ。

ただただ排出する先として目に見え、形に残ればまだ未来に良いか、と思い文など書くところですな。



おれは本当にイヤイヤ期で、もう無理〜(ロバート山本さん)な時、つらさを「他人への心配」に転嫁するのがあまりにも得意です。


イニシエから『あんた、おれ(私)のこと心配しすぎ。自分のこともいのちだいじにしろよ』と言われて来た私なんですが、今にして発表するに、おれのそれは自己防衛、自己逃避、オナニーのひとつに他ならない。

確かに根ッッから心配性で、後輩や親友、仲良し爺やパートのおばちゃんまで全ての近しい人を憂い続けて生きてきました。

しかしそこにあるのは、自分を救う という意味合いもあること。

それは「人を心配してる優しい自分に酔ってる」でもなく、

「人を心配できる自分、コリャ成長の証を目の当たりにしてるな」でもなく、

「心配さしてもらえる環境サンキューな!」

ですよー!

グッド〜!

いざ自分の精神がやべえ時に、近い空間に、自分がどうでもよくなるほど気になる(心配になる)人間がいる。

これがどれだけおれを救ってきたか。

プロ・スクイ感。バチ金鋼メダル級のインターハイ尊さです。

東京オリンピックの競技に「救い」追加で。

かといってだな、近い人間が、皆常に心配せざるを得ない状況に陥っていて欲しい訳では決してない

そこ大事。


兎(ラビ)にもかくにも、心配に越したことはないし心配の解決に越したことはない。

おれの生命維持のためでもありますから。

そんな変態人生において、今タイムリーに1番心配なのは大親友、同じ西九州うまれの某金子ちゃんですね。

公共のブーログアメーバで言うことでもないが、彼ほど心配な物体 この世にあろうか。

出会って6年くらい経ち大切な奴ですが、なんといってもずっと心配をしてしまう。不器用で誠実だからなあ。美形なのに。

東京において、不器用・誠実・美形な奴は、おれが見てきて思うに皆苦労しています。

何故ならば、寄ってくる連中や取り入って来ようとする連中の高も知れるからです。さすがは腐海タウン。

そんな連中に親友が苦労を強いられたり騙されたりすること、しいてはそんな自分自身をそいつが自責の念で苦しめていること。

この世で1番許せぬことです。悪・即・斬したろか!

飛天御剣流・斬馬刀したろか!

心配やで。



でもそんな彼らがいるからこそおれの人生が影響めされ、東京でギリギリ生きていけることは疑えませんから、結局感謝ってところですね。

支え合う、なんて次元じゃない。みんな命削って地獄の生活。だから熱いんだよ。

人の心配してる場合じゃない、お前自分の現状どうなってんだよ

ね、それも聞き飽きてるマジごめん。

できることは 人に迷惑を掛けぬ努力ではないでしょうか。

そんなことを思う(涙)のでした。



こんなおれみたいな心配メンズがもし子供なんか出生したら、それ可愛がりすぎて戦闘力どうなっちゃうんだって。

毎日地獄のマッティングアプリに精を出してるんで、来世では絶対結婚してやるゼ!

ヨーソロー!

面舵大量ー!いつも通りー!


そんなこんなで久方の文章行動にたまさかの感動あります。胸に滾るものはあって、食道まで登ってきてる言葉はあって、でも何もしねぇよみたいな事 有ります。

皆さんはお元気にしてるだろうか。それだけが心&配よ。



一段落で申すところに、この度生活が変化系することだけ発表させて頂きます。

私共、高円寺的な街にクソ7年もベロ住んでいるんですが、紆余曲折が17折ぐらいあり、要は引越す機会を失っておうたのです。

しょうがない。

しょうがなかった、それは生(いきる)だし!

でもきりきり舞い生きていましたら、7年系高円寺・ダ・おうちに、白蟻が発生しました。

変態のような発生で、これは可愛い自然ではありません。

ゆうに4500匹は出たとも過言なく。

だので建物が食い朽ちられ、破壊にともない強制退去だよ。

ひさしぶりの言葉たのしいネ。

強制退去をもってしてやっと引越が行われるほど、私はまったく無痛で何の感覚もなく自動的に同じ街、同じコオポに住んでいたのです。

歳を取ることで起きる麻痺の一環ではないでしょうか。

でもやっとだよ!愚痴よせよ!



つぎは、上井草に鬼住みます。中央線のやわらか飲酒の魅力から逃れられないから、たぶん荻窪るけど。

荻窪が拠点になるものと思います。

一定のラーメンと、笑顔な量の古い居酒屋のある街以外では、向こう10年は暮らせないでしょう。仲良くしてしまったから中央線の 沿った線と。

これだけお酒との付き合いがJAWSになったポテンシャルを、離すことなんかない〜。今賀 俊!



だもんで劇的な生活の変化があること。ね。

とみにサケは増えましたねぇ。飲んで呑んで、河島英五の泪とワイシャツ。

いいですよね。

悪いサケの飲み方はしていないし、人への迷惑もないんだよ。天使飲みだな。

これでもっと建設的なサケの場があればなあ。。みたいなね。

そういう事を言う時点で建設とはワニクソ遠いよ。


人付き合いを力ずくにもものすごく増やし、バイトも増やし、でも形は成らず 模索を続けていて、思えばお笑いを辞めた昨年6月から、丸1年経とうとしています。

無駄なことはなかった!いっぱい楽しめたりしたし人と会う力もどんどん付いていく。決定打になるかとは違っても。

食らいつくぜ!

自分の思う仲間を探して。勝手に思われることさえ変態的に望んで。

昔の仲間と反省だけを頼りに。模索し迷い苦しむことに、諦めはないんですな。

マジ、お世話になってますってなもんで。

マジ早春お慶びの候に益々繁栄を願って敬具ってなあことで。


いつも通りで安心しました、勢い。



8月にはまた2人芝居を企画できるといいなと思うんで観にきてでしてくださいね!

やりてえっすエナジ・ハイ!

けたたましい水道工事の音と共に輝く新年、おはようございます!

おはようこんにち!

おめでとう~。

いいねェ。

 

 

さて年末の楽しみ孤独のグルメ年越しSP、いかがだったでしょうか。

私どものほうからも2.3お話させて頂きたく思いました。

 

 

まず簡単な所ですと、五郎さんが「食いたいものがハナから有り、しかし有り付けずに別の物を食う」という段組み。

京都、名古屋、柴又に至る3拠点まで「結局食えない」が続きました。

一見、根底に流れる「何も考えず好きな物を食う」が挫かれるやり方となります。しかし選ぶ飯の枠の広さ、練りに練って次点を任された料理の主役振り、違和感もなければ既視感もない。そこに見えるものとは、「サービス精神」な訳です。

年を重ねファンの目も厳しくなり、何をしてもいいわけでないステージに突入した今日この日においての、盤石な信頼感を以ってした挑戦心。

まずはそれでしょう。やはり、と言わせてしまうんですな。

次に、飯の構え。

京都でうなぎをぬるり掴み損ね、ぐじの釜飯。ゆっくり時間をかけ京都飯。無駄のない肢体の向き。太刀筋は鋭く鮮やかである。

次に、あんトーストを挟むんですな。

簡単に地方名物を挟んだのでなく、閑話休題、五郎さん甘党だったよね視聴者の方覚えてる?、と言わんばかりのそよ風のような休題。

番組がだれる事さえ決してないのです。強いて問題があるとすれば、じゃあ名古屋で何を食うか、と期待させてしまう事は強く必至とされて、「台湾ラーメン」と出ている普段の前オチに少し足踏みが起きかねる。

ラーメン、チャーハン、豚生姜炒めなどは孤独のグルメの伝家の宝刀ですが、使い所を誤れば全て水泡です。

今回ばかりは、賭けたのではないかと思います。

何に賭けたかと申せ、それは年越しを眼前に控えたファンの胃袋でありましょう。

いや、またはしかし、ファンでもないたまたま観た人への攻撃、愛情なのだ。美しい。年の瀬に漂う香ばしい恰好のリスクともとれます。

出されたものは孤独のグルメここにありといった、ラーメンなのでありました。

結果として選ばれた台湾ラーメンの店は、最高に堂々でした。あの速度、このタイミング、あの物量にして、TVの前で受け入れることのできなかった、そんな不運な視聴者はさて居たのかな。

素晴らしい店でした。言うこともない。

辛いのも好きだよ五郎さん、ホラ視聴者忘れてない?うかうかすんなよ?というスタッフの笑いエクボが画面越しに透けて見えた。年暮れに透けるのだ。

やはり「憎い」というほかない孤独のグルメ製作陣でございました。

 

あとはですね、伊東四朗さんの振る舞い。

ド正面でうかがう五郎さんの年越し飯姿と、さらに言えば飯を頼む瞬間の姿。そのキー2つに、伊東さんが絶妙の塩加減のお新香のようなものをお通しましたね。

ファンを裏切らないことは大事、奇を衒わなさすぎるのも大事、でもシリーズは追うのであって、辞めていないのであって、新しいことも漏れず大事だ。

その「新しいこと」に取り掛かる姿勢の程よさと力み加減が、この番組の原動力であり愛なのだと、私にしてみれば思います。

さらに、さらに余談と、普段のみならない五郎さんの営業パート、五郎さんが普段より営業営業っぽく見えて、私はほっこりと良かったなあ。

私あ、好きだけど。

この点は賛否両論なのでしょうか。

賛否両論であるならば、その賛否両論さえも一辺に愛おしいのだからもう仕様がない。

今年もありがとうございました。

 

 

 

孤独のグルメの大ファンとして2.3、私には愛を語る権利がございます。サンキュー。やってます。

 

今年はいっぱいお芝居に触れ、五郎さんのように欲望に忠実に、誰に批判されても必死に頑張ります。

いい年にしていきましょう。

 

 

動画もまたよろしくお願いします。

メリークリスマス!

 

大好きなんだよな冬が。えっ まかせろ!

ついに12月と成り尽き、私ぁ寒いのと、冬なのとが大好きなんで今がピークです。

 

いいかい?私は日本で激ぴったり5番目に寂しがりでございます。

裏付けるまでも無い無い。

しかして順位的に、相当と言えるのでしょう。5番目だからな自信があらあ。

そこにきて冬ってのは、寂しさの具現化です。事象も、気象も、社会人の空気も、感覚も1年で1番寂しさに似合う。お膳 立て夫。

倍増させるのが得意。クソ悪いD級妖怪。

奴は1年全体を上方漫才のように見事な前フリと起承転結で綺羅飾り、納得のオチでしめるのだ。

本当に大変だと29年フルで思います。

コロコロカービィのように雁字搦めなのではないでしょうか。

でも好いてしまう、このつらさが何とも言えず逃げ場なくて楽しいのです。

 

 

その楽しさをさらに追い込むために、

今年もおびただしい数の尊い人たちをメシに、酒に、旅に、パンケーキに、四文屋にと誘い、爆発的に断られることさえ大昔から決まってたように振舞う毎日があり。

なぜ気丈でいられるのか不明なほど、勝ち負けでいえば全てに敗北だ。

衰えることのない吸着心・自尊心、いちばん引いているのは私です。

いや2018年は特にバースト。バーストマンの武器はデンジャーラップ。

舵取れてんのかオラ!

どうなりたいんだハゲ。

大晦日は、親友を姉貴の家に呼んで、スリー鍋越しする予定でーす。楽しみすぎーやだやだやだ。

 

 

 

有田。

ほんでこの冬に、というか来週くらいに、お笑いでラストに組んでた有田が、北海道に帰るんです。

想定できた事態、予想だにしなかった出来事、さてどちらなのでしょうか。

きさん(おめー)帰んのか、おいマジでよ。

 

 

先日朝まで呑んで喋り、尋常でない涙をもって別れを惜しみました。

勿論悲しむだけにもない物です。

彼は、音楽もまた追うでしょう、そして、一般的な優しい尊い人達と同じように、結婚や家庭といった幸せを追うでしょう。

勘違いしていけないのは、夢を追うことが清い判断ではないこと。

麻痺していることなど前提。田舎の豊かな場所から汚い東京に来て、文句を言うことが無駄なのも前提。

でもさまざまな思いが、30年近くも生きれば人間にはのしかかる。それは経験と、本当に自分の大事なものを見つける努力への、答えでもあります。

だから生きられた。いや真面目な話だよそりゃーね。

 

しかしそんな瑣末なことは止して、

彼が出した答えが彼の全てであり、それも含めて彼だから最高なんです。正直、おれへの心配とか、おれが成功するかとかは、人間全体の幸福からしたら塵芥以下の、ダニの毛ほどの意義。

大事なのは幸福をつかむこと。

ただ、1人の奴と3年間同じ方向をむき、毎日ツラ合わせて毎日笑って毎日物を作り毎日飯食った、毎日挑戦してた、

その財産が桁違いにでかすぎる。

それを当然に抱えつつ遠くに別れる、辛さ。

やべー。

月並みですが、まあ別れより辛いものはないんでね。大したもんだ。

お笑いを6年やり、そのうちの1番濃い3年を最上の相棒と過ごせたことが俺の人生の誇りです。

自慢しよう。

元気で。

ああ楽しい3年だったぜ。

 

 

 

私なりにもとした所、惜しむ間も休憩してメルカリの動画などあげたもんです。

ご覧ください。

メルカリで財布買って、ブランド名「LANVIN」ですって。そして使って、可愛くって、癒されますな。

冬場の寂しさも、別れの波動もランバンに託そう。よろしくしてくださいませ!