プロフィール | 金沢・津幡のエステ&アロマ「名前のないエステサロン」まつおかゆみのブログ

金沢・津幡のエステ&アロマ「名前のないエステサロン」まつおかゆみのブログ

石川県金沢・津幡町で小さなエステサロンをやってます。日々の出来事を中心に、アロマやエステについての情報をきままに書き綴っています。






こんにちは。




石川県 津幡町の古い自宅で
小さなエステサロンを
やっている  まつおか ゆみ  です。



まずは、自己紹介を
させていただきます。


よかったら、お付き合い
くださいね。






私は津幡町と言う、今も昔も
何もない町で生まれ育ちました。


小さな頃から、両親が共働きで
同居していた母方の祖母に
育てられました。

すごく、ばあちゃん子で
祖母と一緒にいたくて、
よく学校を休んでました(笑)



祖母と近所を散歩して
タンポポやツクシを摘んで、
古流の師範だった祖母がいけて、
玄関に飾ってくれる、
こんな時間が好きでした。



友達ともよく遊びました。
学校帰りにザリガニとったり、
カブトムシとりに行ったり。



家が山の方なので
冬は、ミニスキーを履いて
学校へ通ってました。
帰りに滑って帰るという(笑)






中学生になり、バトミントン部に
入っていましたが
特別上手い訳でもなく、
お勉強もできる訳でもなく。

なんの取り柄のない子供でした。


それでも、それなりには学校生活を
楽しんでいました。



ですが、この頃の食卓の記憶は
全くありません。




私が小6の時から母が夜、
仕事をするようになり、

大好きだった祖母が
家にいたかどうかも、
ごはんの支度や片付けを
誰がしていたかも、

全然、思い出せないです。






高校生になってからは、
家が学校から近いこともあり、
我が家はみんなのたまり場に
なってました。

それ以外は、バイトが楽しくて、
自分で稼げることがただ
嬉しくて、
バイトばかりしてました。









そんな17才の秋、
両親が離婚して母が
家を出ました。







出て行く母を、ひとりで見送りましたが、
母を苦しませてしまいそうで、
泣くことができませんでした。




その日から、
学校帰りにスーパーに寄り、
帰って、父と祖母のために
ごはんを作る生活が
始まりました。





そんな高校生活を終え、
就職をするのですが
バイト感覚が抜けず、
すぐに飽きて、転々としていました。


家で、次は何の仕事をしようと
いつものように求人誌を
見ていたある日、

ふっと、私は何がしたいのだろう
と何気なく考えていた時、


突然、



私なんかに一体なにが、
できるというのだろう⁇⁇



これから、どうしたらいいの⁇⁇



と不安と恐怖が襲ってきて、
涙がボロボロ出てきて、



それが毎晩のように続くようになりました。
同時に、



歯が全部抜ける
髪の毛が一気に抜ける
津波に襲われる



こんな夢が毎晩続き、
夜、眠れなくなりました。





誰にも相談できず、
ひとりで悩んでいました。





働きに出られるようになるまで
4年弱が経ってしまいました。





26才の時、
この生活に耐えられなくなって、
不安もありましたが、
前から興味のあった
エステの仕事をすることに
しました。


右も左も分からないまま
飛び込んだ世界は
覚えることだらけ。

営業終了後、
ミーティング、練習、勉強会、、、

睡眠時間は3時間くらいでしたが、
すごく楽しかったです。



1年弱で店長になる
話をいただきましたが、
当時の自分には、自信がなく断り、
他のエステも知りたくて、
退社しました。



その後、足つぼ、バストケアなどの
サロンに勤め、

結婚を機にバイトで働かせてくれる
サロンを見つけ、


そこで、アロマセラピーと
出会いました。


好きな仕事をしながら、
アロマのスクールにも通い、
平成12年、アロマセラピストに
なりました。
楽しかったです。



でも、この頃から少しずつ、
不調に悩まされるようになりました。



不眠、倦怠感、頭痛、耳鳴り、
イライラ、焦点が合わない、
声がこもる、話すと疲れる、
無気力、トイレが異常にちかい、
鍵や火の元の異常な確認行動、
人の簡単な話が理解できない、
頭が真っ白になる、、、

でもどれも、病院へ行くほどでも
ないと思い、そのまま我慢していました。


その後、バイトを辞め
アロマのスクールで講師を始め
一年が経った頃、




夫が田舎暮らしがしたいと言い出し、
悩みましたが、
ついて行くことにしました。



この生活で、あのいろいろな症状は、
気にならなくなっていました。




田舎で夫が商売を始め、
私は夫を手伝いながら、
産休代理の事務仕事を
半年間の契約で働き始めました。



この仕事がストレスとなり、
また、あの症状に悩みだした頃、













夫に好きな人ができてしまいました。











夫は否定していましたが、
朝晩欠かさず電話とメール。







私はさらに症状がでるようになりました。







夏の夕方、家中の窓は全開で
風も心地よく入ってきてます。




でも、息ができない。




酸素が足りない気がして、
一生懸命吸うのに入ってこない、

そのうち手足がつり、立てなくなりました。





過呼吸でした。





そして、
夫の洗濯ものが触れなくなり、

夫が背後を通ると、
恐怖で身が固まり、脂汗が出て、
膝が震え、心臓がバクバクなり、
過呼吸になる。




何故、こんな症状が
自分の夫に対して出るのかが
わからず、

すごく悲しかったです。



でも、なんとか乗り越えたいと
頑張っていました。


どうすれば、
元の関係に戻れるのか、
よい方法はないか、
私なりに必死でした。






そのうち、料理をしているときに、
発作的に自分で自分の
お腹をさしてしまうのでは?
という恐怖がでできたり、

トラックや電車を見ると、
飛び込まなくてはいけない
と言う衝動にかられ、




気がへんになりそうでした。




冷静になろうと一人、実家にもどり
病院へ行きました。










うつ病でした。










でも、いろんな症状の原因が
ひとつの病気のせいだったとわかり
ほっとしました。
治るんだと、しっかり治そうと。









そんな矢先、
父が倒れました。






頸動脈狭窄。脳梗塞です。
即入院、即手術でした。


父と二人で何とか暮らしていましたが、
見かねた兄家族が父を
引き取りました。


しばらくして働きにでたのですが
反動で更に悪くなり、


そのうち、病院へ行く気力もなくなり、
薬も止めてひとりで家で過ごしました。






入眠剤も飲まなくなったので、
生活リズムが崩れ、
あさ11時頃に寝て、
夕方6時くらいに起きる、、、




閉店間際のスーパーへ自転車で、
ふらつきながら買い物に行き、
夜10時頃にご飯を食べる。




この頃に私は離婚したのですが、
親の離婚を見ていた私は、

絶対に離婚をしない、
そういう相手と結婚した
つもりだったので、
ひどく落ち込みました。




身が引き裂かれる思いでした。





なぜか2度離婚した気分でした。




毎日、泣き続けていました。
もう、内蔵が
でてくるかと思うくらい、
よくこんなに泣けるなと
自分にあきれるくらい。








こんな生活を続けていた
7年前に父が肺炎を繰り返すように
なったということで、

私が兄の家で暮らしながら、
父のことと、自分の病気を治すと
いうことになりました。







父はその8ヶ月後に亡くなりました。






知り合いのない県外で
兄家族との生活と、
日に日に弱っていく父の
ただ、手を握ることしかできず

自分の不甲斐なさや、
兄家族への気づかいは
精神的にとてもつらく、



父の見舞いから帰り、
他人の家で、ひとり残り物を
いただくという食事は、
孤独で、石ころを飲み込んでいる
ようでした。






そんな生活を終え、
実家に帰ったとき体重は、
32キロまで落ちていました。








もう一度、別の病院に通い始め、
そこで   躁うつ、パニックと
診断されました。





実家にもどってからの生活は、
更にひどいものになりました。




人の視線が怖くて外に出られない、
笑い声が怖く、心臓がバクバク、
膝がガクガク震え、
頭がグラグラ、めまいを起こし、
その場にしゃがみ込む。




気兼ねせず、
好きなだけ食べていいんだ
と偏食と過食が始まり、
一晩でお米2合
コンビニで目につくもの全て
買って、全部一気に食べてしまう。






4か月ほどで16キロくらい
太りました。


その後も何度か過食を繰り返し、
30キロ近く太ってしまいました。






兄家族に対して、感じていた不満を
言えずにいたためか、


毎日のように、怒りがこみ上げてきて、
ひとりで、近所中に響き渡るくらい、
大声で怒鳴り散らす、



叫び声をあげながら、
わーっと外に走り出したくなる
衝動に駆られ、
それを一生懸命堪え、



その後なぜか、涙が出できて号泣、
ぐったり疲れて、横になる。




これが、起きぬけだったり、
食事中、お風呂に入っていても、
時間は関係なく
こんな症状が出でいました。







一人でどうする事も出来ず、
ただ、月日だけが過ぎて行きました。









目が醒めても、
朝なのか夕方なのか、







今日が、昨日なのか明日なのか
わからないような生活でした。







孤独でした。









一向によくならないまま
過ごしていた私を救ってくれたのは、






昨年3月に出会った、
心屋流カウンセリングでした。






頓服薬を飲み飲み、オープン
カウンセリングに行きました。






その後、
けー先生(小杉 圭佑さん)の
個人セッションを受け、




病院からは毎回、
ヘルパーさんを頼みなさいと
言われていましたが、



出来なくなっていた、
掃除や炊事が出来るように
なりました。



チラシ作りなど、
サロンの準備もできました。




今では、パニック発作も躁うつの波も、
ほとんど出なくなりました。





けー先生に言わせると
アリの歩み  のように
私のペースは遅いらしいですが(笑)








そんな私ができること、、、








以前していたアロママッサージで
日頃のお疲れをためている方々の、
ココロとカラダを
少しでも軽くしてさしあげたい…。







こんな想いでサロンを始めました。







私のようにストレスでうつ病に
ならないように…







私のように病気をこじらせないように…








そんなことを願っています。









長い間、お付き合いいただき
ありがとうございました。





2016年5月


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