「nono」という名前ですが、漢字で書くと「希々」と書きます。
ちょっとブルーなお話ですが、希々は娘の名前なんです。
実は、長男の下に3歳違いの女の子がいたのですが、残念な事に18トリソミーという染色体異常を持っていたので、出生後8時間で亡くなりました。
18トリソミーとは、18番目の染色体が一本多い状態のことです。
希々が生まれるまでのことを書きますね。
希々が生まれる前、妊娠7ヶ月頃から体調の悪いことが多く、お腹の張りがかなり頻繁でした。
ある日、昼過ぎからお腹の張りがいつもよりひどく、近くの産婦人科に行くと、羊水の量も人より多く、切迫早産の傾向にある為、総合病院の方へ行ってくださいと言われ、そのまま救急車で運ばれてしまいました。
そのときは、お腹の張りが治まれば、家へ帰れますよと言われていたのですが、結局そのまま入院となってしまいました。
それから3ヶ月間、お腹の張りを抑える為の点滴を24時間つけて、長男とも旦那さんとも離れて入院していました。
羊水過多であること。切迫早産傾向にあることが入院の理由でした。
私の主治医の先生は、私が運ばれてきたときから既にお腹にいる子が18トリソミーであることは分かっていたと思います。でも、はっきりとはどんな状態にあるかは教えてもらえませんでした。
それは、これから入院生活を送らなければならない私への配慮だったと思います。
本当にツライ、ツライ3ヶ月間でした。
お腹の子に何らかの異常があることは分かっているものの、何もしてあげられない自分…
長男はまだ3歳になる前で、いろいろとやってあげたいことが沢山あるのに、私からは何もできません…
トイレに行くときも、シャワーを浴びるときも、いつも点滴をつけての移動。
羊水過多のため、座っているだけで苦しくてしんどかったので、お腹に針をさして羊水を抜いてもらう処置を3回ほどしてもらいました。麻酔をしていたとは言え、とても痛かったです。
病院から、点滴を抜いて走って逃げようかと思ったことも何度もありました。
笑顔で退院していく人達を、毎日羨ましく見ていました。
入院している間、しんどいだけで、何もすることがないので、フェルトを旦那さんに何枚も買ってきてもらって、長男の為に動物の指人形や、果物や、野菜を作っていました。少し作っては休み、少し作っては休みを繰り返して、何体も作りました。何か没頭する事をして、気を紛らわせていたのです。これが私の、少し辛いですが、物づくりを始めたきっかけです。
入院して2ヶ月半位たったある日、先生に希々の状態のことを聞きました。
それは、悲しい報告でした。
18トリソミーである可能性が高いこと。無事に生まれても、1年経たずに亡くなってしまう子が90%いること。
今の体の状態。すぐに手術をする必要があるが、手術をするかしないか…
その他いろいろ…
信じたくなかった。冗談を言ってるんだと思いたかった。
でもそれが真実。
その日は沢山泣きました。
どうして、私はこんな目にあわないといけないのかな。
何か悪いことをしたのかな。
自分が生まれてきたことが間違いだったのかな。
正直、気が狂いそうでした。
それからは、ほぼ毎日来てくれる、主人と長男だけが心の支えでした。
先生からの告知を受けてからしばらくして、帝王切開で希々は生まれました。
羊水過多のため、手術室に一緒に入った看護師さんに聞くと、お腹を開けると、羊水と一緒に流れる様に生まれたそうです。
私は手術中、ずっと泣いていました。ちゃんと生んであげられない申し訳なさから、始めから終わりまでずっとずっと泣いていました。。
でも、誕生して、泣く声を聞いたときは嬉しかったです。
「よかった」と思いました。
顔も、本当に少しだけ見ました。私によく似た女の子でした。
すぐにNICUに運ばれてしまうため、先生に「お願いします、よろしくお願いします」というのが、精一杯でした。
誕生後、7時間が経ち、希々がNICUから私たちのところへ来てくれました。
その日がもう山だろうと言われていたので、すぐに連れて来てもらいました。
白いベビードレスを着た希々は、色が白くて、小さくて、可愛くて。天使っているんだなあ…って素直に思いました。本当に可愛い女の子でした。
でも、だっこしながら私が希々に初めてかけた言葉は「ごめんね」でした。
「ごめんね」しか言えませんでした。
それから1時間ほどで、本当に眠る様に希々は亡くなりました。
私の腕の中で冷たくなっていきました。
希々を亡くした当時は、自分が生きている事すら申し訳なく思い、泣いてばかりで、とても辛い日々でした。
階段の降りる途中でこぼれる涙、ご飯をつくろうと、包丁を持っただけでながれる涙に、自分でもどうしたらよいのか分かりませんでした。
人に会うのを極力さけ、家の中にいる毎日。そのときに長男が大好きだったおもちゃがトーマスでした。トーマスにいくつも貨車を繋げて走らせてる姿を見て、貨車に動物達を乗せてあげたら喜ぶかな…と思って作りだしたのが、今の私の作品達です。物づくりのきっかけをくれたのは希々なんです。
「希々」という名前は、自分に女の子が生まれたら、絶対につけようと思っていた名前です。
でも亡くなってしまうと、もう声に出して呼ぶ事も、名前を書いてあげる事もないんですよね。
それが悲しくて、悲しくて、作家名を決めるときに名前をもらいました。
希々の名前を呼べる様に、書ける様に。沢山の人に希々がいた事を知ってもらいたくて。
希々に笑われない様に日々頑張って行きたいです。
つたない文章ですいません。読んで頂いて、ありがとうございます。