喜怒哀楽と言うか…
哀しみが有り
楽しみが有り
喜びが有りました…。
今回は 哀しみは突然です 編 。
本当に突然に知らせはきました…。
7月下旬。
仕事中に実家の母から珍しく電話が
「病院から連絡でお父さんがもう危ないって」
去年から入院生活の父。
でも、病気療養と言うより介護的な要素が強いの入院生活でした…
なので現状、危篤などと言う言葉は母も私も考えられない状態
仕事を終えてへ
取り敢えずその日は酸素マスクをしている状態でしたが
父の意識もあり、私や母への認識もハッキリ
大丈夫でした。
翌日は午前中に意識も無くなって
母も午前中に呼び出され前日から眠る事も出来ずフラフラ状態。
夕方、意識無いまま小康状態を保っていたので一度に
私はこの日もお仕事…。
お仕事、無理にお願いすれば交代もして貰えたのですが
仕事が大好きで大事にしていた父だったので
自分のために娘が仕事をほっぽり出すのは嫌だろうな…っと思え投げ出せませんでした。
仕事を終えて
もう、フラフラで運転は出来そうに無い母を実家に迎えに行きへ…。
…が、私たちが向かう頃には父は旅立って行きました
危篤になる2、3日前に病院食を平らげ母が持って来たを1つ食べた後にアイスまで
あまりの食欲に母が「アイスは半分私が食べるから」っと止めたそうです。
アイスを全部食べられなかったのが悔しかったらしく
帰り際「また来るね〜」っと病室を出る母に
「ああ、行け行けもうこんでええ(来なくていい)」っと憎まれ口まで言っていたそうです…。
そんな人が、1週間後には胸に抱えられる小さな箱におさまるなんて…
病院の先生の説明では
ハッキリとは判らないが
今までずっと使っていた薬に対して、急に拒否反応を起こすアナフィラキシーショックの様な症状が出て
急変に繋がったのでは…と。
母は
「お母さん、本当はお父さんが亡くなる瞬間をみるの嫌やったんやよ…。
お父さん、お母さんの気持ち気付いてたんかな?
だからお母さんが家に帰ってる間に行ったんかも…。」
とボソリ霊安室で泣きながら呟く様に言っていました…。
3ヶ月近く経った今、母は細々ですが頑張って1人でお店を切り盛り
私も以前より実家やお店に母の顔を見に行く事が多くなりました☆
自他共に認める偏屈で人の言うことを聞かない
いつも人が居ないと嫌で大騒ぎ大好き
自分の仕事には絶対的自信を持った職人気質で利益度外視
ファッションには勿論、いろんな事にこだわり強過ぎ
阪神タイガース命
そんな父でした。
病気になってからは大好きなが飲めなかったから
今頃は好きなだけ飲んで、じいちゃん・ばあちゃん(父の父母)と飲んで歌って毎日宴会状態かもです。
次回は楽をテーマに更新します