それがあれば幸せになれると思っていましたが・・・生きることを楽しめるようになるために。
心屋流カウンセラーのはしぐちのりこ(はしのん)です。
先日、地下鉄で隣に座った外国人が、おもむろに生りんごをかじり始めました・・・・。
あれ、どうして外国人だとかっこ良く見えるんでしょうか・・・(´д`)。
「外国人だと許される」そんな方程式が私の頭の中に見え隠れしています(笑)
さて、今日のタイトル。
資格・学歴・権威。
「私に資格があれば・・・」
「私にもっと学歴があれば・・・」
そんなご相談をお受けすることがあります。
やりたいことをやるために、資格が必要な時ってありますよね。
ただね。
「私に◯◯があれば・・・」という思いに駆られているならば、それは、
まだ◯◯を持っていない自分は✕と思っている、ということ。
基本(前提)が、今の自分に✕をつけているのね(^^;)。
ええ、私もずーっとそう思ってきた人間でした。
あの資格をとれば信頼してもらえるんじゃないか、あの資格さえあれば対等に話をしてもらえるんじゃないか、あそこで認知されれば、仲間として認めてもらえるんじゃないか・・・等々。
私の場合、そう思いながら、ある程度の努力もして「博士号」をとったわけです(前の世界でやっていくには必要でした)。
んが。
取得した後、今度は、
「博士号もっているのに、この程度の私」 に変わりました(笑)
つまり、資格を持っていようが持っていなかろうが、自分に✕をつけることは永遠に続くわけです。
だって前提で✕つけてるから。
自分は基本✕の世界でもがいているから。
そして、次は「良い論文を書かないと認められない」「業績をあげないと次の仕事がなくなる」と、もう、がんばりの罠にどっぷり浸かった、ラットレースでした。
本当の意味で、ここから抜け出せたな、と思ったのは、前職を辞めて、今の仕事始めてから。
ここ最近です。
「そんな事言ったって、みんながうらやむ(?かどうかは知らないけど、笑)、心屋流カウンセラーの資格を持ってるじゃん!」って言われるかもしれません。
うん、まあね( ̄▽ ̄)。
「カウンセラーなのに、この程度の私」も、チラつく時はあります。
でもめっきり回数は減りました。
そして何よりね。
資格さえあれば、あの世界で幸せになれると思っていたけど、
別にあの世界でなくても、自分で好きなように歩いていたら、こんなに気持ちよく生きられる
ということを知ってしまったわけです。
この感覚、これに似てます。
好きな人に振り向いてもらおうとがんばっていたけど、やっぱり無理で、その人を諦めて、自分のことを好きになってくれる人と一緒になったら結構幸せだった、みたいな(今の夫です, 笑)。
お城でダンスを踊ることが私の幸せと思っていたけど、家の裏の畑で野菜育てているのが結構幸せだった、みたいな(誰のこと?)。
そして、この経験をしたので。
もし、
心屋流のカウンセラーでいられなくなったとしても、私、次にまた何かおもしろいものを見つけ出して、そこで楽しんでやっていくんだろうな、と、自分を信頼できるようになりました(^^)。
・・・いや、やめないけどね(笑)。
自分は大丈夫だろうと思えると強いです。
まぁ、どうなっても大丈夫な自分だから、これができるようになると、さらにおもしろいことになるかもねー、なんて。
新しい勉強も、足りていない私じゃなくて、足りている私だからもっと楽しめる、の発想です。
自分への信頼感。
ぜひ手に入れていただきたいと思います(^^)
お手伝いが必要な方はご連絡くださいね^^
はしのん。