客演天国から一時的に解脱し、久しぶりに明確な「出勤場所」を失って、どことなくラウンドアバウトな状態のタクマです。一応、打ち合わせ三昧なのだけれど、人前に出続けていた1年間の反動か、極めてジャージ及びボサボサ頭な日々です。あと、乾燥が嫌です。肌荒れに大して極めてセンチメンタルな態度で臨んでは、小石ケリケリ落ち込み気味です。以前頂いたパックや化粧水が本領発揮をする季節です。

宙ぶらりんだてらに、現在位置の確認がしたくなり、かつて地の底から這い上がろうと路上演劇を延々続けていた乞食演劇家はいまどこにいるのだ?そしてここから、どうやって、どこに行くのか?と、思考してみるのでした。

そうそう、人生でおそらく初めて、他人の公演の脚本演出も手がけることになりました。

酒井香奈子一人芝居
『ギルムルの花束』


酒井さんは、1月に共演した女優さんなのだけれど、公演の脚本演出を依頼されて、正直悩みました。こういうケースは初めてであると言う事と、それに、こちとら最近はイケメン舞台と呼ばれる世界にも顔をちょこちょこ覘かせている自分だぜ、「女の子と写真にうつらないこと」と言う御法度に縛られ活動する仲間たちさえ居る中、女優さんの一人芝居の脚本演出なんてやっていいんかーい!?とかとか。

けれど、最近、強く思っていたのは、自分の作品についてのこと。果たして、自分の物語りは、普遍性を持っているのか、と言う事。これまで、執筆した作品の多くは、「自らで出演する」と言うのを前提として行ってきたけど、では、出演しなかったら?・・・実は、賞を頂いた時を除けば、脚本だけ独立して褒められた事が案外ない自分だったりします。それに、演出家としての勉強、かなりこれまで必死でやってきました。しかし、劇団員がいまのメンバーになってからと言うもの、「役者に恵まれているだけだ」と言われる事も増え、ぶっ飛ばすぞ、と思いながらも、そこそこにそこはかとなく、コンプレックスになっていたりして。

重ねた客演舞台で、何人かの「商業作家」と「商業演出家」に出会って、その仕事のプロフェッショナリズムの純度に敗北感を覚えた事が何度もありました。ちっくしょう。芸術性だとかそういうことでは、おぼんろは負けない、俺は負けないぞ、と思っても、本当に、百戦錬磨のプロたちの仕事の凄まじさ。果たして自分は対抗できるんだろうか。対抗したい。だってこちとら日本のてっぺん狙ってるんだもの。そんなことを考えている矢先に「脚本演出のオファー」が来たもので、なんだこれすごい奇跡だと思って、引き受けることにしたのでした。

現在、物凄く執筆中。久しぶりに、精神が相当にエマージェンシーです。ぶっちゃけ、責任感に目眩がしてみたり、みなかったり。

「ギルムル」は造語です。どこかの世界のサーカスと言うか、見世物小屋と言うか、そう言うところで客寄せのためにわざわざ作り出された奇形の子供にまつわる物語りです。プロットとタイトルを提出してから我に返りましたが、酒井さんアイドル出身なのに、なんと言うヘビーな設定にしてしまったのだろう。あ、でももちろん、俺が書いているんで、グロくはないです、微塵たりとも。

でも、やっぱり、物語り書くのが好きなようです。電柱にぶつかりそうになったり、モノを落としたり、連絡をし忘れたり、拍車がかかって危なっかしい時間を過ごしていますが、

おぼんろが世界にいくために、絶対にこの闘いからは逃げねーぞ、と、心に決めているのでした。必ず成長してみせますので、どうぞお楽しみに。

みなさまどうぞ、遊びにいらしてください。なにせ、出演していませんから、劇場でも割りかしお話できるんじゃないかと思っております。