僕のブログのスタンス | オカハセのブログ

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基本的に物事は何でも、良い悪いとどちらかに決める事が出来ないし、個人個人の考え方もあります。


だからわざわざ人のブログ内容にケチを付けるコメントはしないようにしたい(した事はある、反省)と思っています。
誰かのブログに書いていた事ですが「ブログは人様のお宅」。
お風呂にゆっくり浸かっている時に「ピンポーン!」。
急いでバスタオルでざっと体を拭き「どなたですか~」と。
「○○という物ですが少しお話し良いでしょうか?」「いや、今取り込み中なので」
「少しで構いませんので」
「いや、本当に結構ですから」
「あの~今、世界が大きく変わろうとしているとは感じませんか?」
「はい、感じます!さよなら!」
「あの~」
「ザブ~ン!(再びお湯に浸かる)」
「あの~」

人がチャーハン作っていようがコーヒー落としている最中だろうが御構いなしの訪問販売の人と宗教団体の人…


何が言いたいかというと、やはりブログは人様のお宅ではないかと思うんです。

もちろんこれもいろんな考え方があるので、例えば「多くの人に読んでもらう以上好き勝手に書くのはおかしい」とか?
いやいや、その「好き勝手に書いた記事が好きな読者がちゃんといますから(笑)」むしろやたら気を使った文のブログは読んでも僕は面白くないので、面白くない物は真似したくないんです。
何か文句があっても会った時に話せばいいし、人が家で寛いでいる時にわざわざインターホンを鳴らして「あなたの考え方は間違ってますよー」と来れば「おとといきやがれ」という気分に成増。

コメントでわざわざ批判するのはそういう事と思います。
それに声を大にして言いたいのは【ブログ主に向かって「あなた間違ってますよー」と全国に発信している】のです。人の家の前でカメラ回して「この人おかしいんです」と全国放映しているような物。それこそ他の読者に失礼な行為。
匿名で来るのも不愉快になりますが(いや、そうでもないかな)、本人と分かるように来るのも「この人は勇気を持って僕に気がつかせてあげようとしてるんだ」
なんて思うわけな~い。面倒臭い!
個人同士でやればいい物を全国規模で「気がつかせてあげよう」なんて。

或いはこうも言えます。
例えば….そうだな、「オカリナ愛好者の集まり」がわが家であったとする。そこに、オカリナにあまり興味ない知人が来たとする。
そしてその知人が「君達オカリナなんてそんなつまらないモノのどこがいいの?」言ったとする。当然回りは引きますよね、例えそれが知人の「正直な気持ち」だとしても…
あとで僕1人に言うのならば少しはマシだけど、みんなの前で言うのは「それをわざわざ言うために呼んでもいないのに来たの?」と思われますよね。
どんだけ強い自己顕示欲なんだか…

コメントでいい感じでコミュニケーションしているところに「頼もう!」みたいな感じで批判や上から目線の偉そうな説教じみたコメントは、オカリナ愛好者の集まりに来て空気読まない発言をしているのと同じだと思います。
回りからも「あんた誰?消えろ!」とひんしゅく買います。

僕はブログを始める時に「好きに正直に書かせてもらう」というスタンスで始めました。
それが読んでいて不愉快に感じる読者もいるかもしれません。
だけど、楽しく読んでくれる読者が1人でもいれば書く意味があります。
だって「あなた間違ってますよー」と全国放映する人や(笑)オカリナの集まりに来て「オカリナなんてどこがいい」って言う人と、楽しく読んでくれる人と、どっちが大事な読者かは考えれば分かる事だと思います。
だからわざわざ批判しに来る方って「首を突っ込み過ぎ」。
もう一度言う【首を突っ込み過ぎ!!】
呼んでもいないのに勝手に家に来て(ブログを見に来て)勝手に「あなたおかしい」と言って帰っていく。嫌なら家に(ブログに)来なきゃいい。他の読者の迷惑になる。そんなものストーカーと同じこと。

もしかしたら、これから批判のコメントは増えて行くのかもしれないし、好きな事を書く以上、もちろん「そういう物」と想定内で考えていきます。

【好かれようと媚びを売って書いたブログは読んでいて僕は面白くないので、僕は正直に書かせてもらいます】

音楽に関しても基本的に同じ姿勢です。

【媚びを売っている演奏は聴いていて僕は面白くないので、僕は正直に音を出していきたい】。
素晴らしいプレイヤーは皆自分を正直に表現しています。

本当に素晴らしければ媚びなんか必要ないと思うし、【媚びを売られて喜ぶ人はいても、媚びを売られて感動する人はいない】と思うんです。

もちろん口で言うほど簡単ではないけれど。





オカハセ。