人の人生はいつだって、どんなときだって変えられる。
自分を信じ、他人を信じ、
冷静に判断して、情熱的に進路を定めたとき、
人の羅針盤の針は、そこを指し示し向かわせる。
無鉄砲でもいい。
がむしゃらになって進むのなら。
ハチャメチャでもいい。
真実さえつかんでいれば。
ダメでもいい。
再スタートをきればいいのだから。
もしも変えられない自分を憂いているのなら、
大きなことからではなくて、小さなことから変化を起こせばいい。
その小さな事柄への善悪は問わない。
善悪を考えてしまうから進むことが出来なくなってしまう。
行動の悪よりか、停止のほうがよっぽど悪だと思っている。
またそういったときに起こす悪は、大した悪ではなくて、
停止してしまったときに起こす悪のほうが、取り返しのつかないことだったりする。
今動かなくていつ動く!?
いつか動くは、いつまでも動けないということ。
○○になったら動くは、○○になっても動けないということ。
良いと思ったことは、すぐ実行!
石橋なんて叩くな!
叩きすぎて割ってしまうのだから!
だったら、一か八かで渡るほうがいい。
その過程で様々なことに出会い、様々なことを感じ、様々な反省を与えてくれる。
清濁を併せ呑む
飲まなくちゃ、きっとそれが清いものか、濁っているものかの区別もつかないだろう。
飲んじまえ!
そうすれば、次にもっと大きなものが来たときに、その清濁を見極めることが出来るのだから。
進路をとれ!!
そしてそれに邁進せよ!!
必ずそこになにかがある…。
ってなかんじで、今日はこのへんで!