昨日の夜、ただなーんとなくぼぉーっとお酒をたしなみながら、あるテーマについて考えを巡らせていた。

理性と本能

本能…いわゆる「ありのまま」
私は本能主義者です。
思ったことをそのままに、なんのフィルターもかけずに、それを実行していく。
そのままに。
素直に。
本能のまま動く人を、私は素敵だとさえ思っている。

理性…いわゆるあたりまえという名の「ブレーキ」
本能によっておこされる暴走を、ポンピングブレーキによって安定した走行を促す。
そう。
平和と安定は、この理性による現象だと思っているわけです。


これが私の本能と理性の定義。

本能のままでは事故をおこすし、理性だけだと何も前に進まない。

これまで私は本能むき出しの人には、理性というブレーキを促してきたし、
理性しかしらない人に対しては、本性(本能)を出すように言い伝えてきた。

だから、en塾では常に
裸になれ!
って言葉をとばしている。



が、ふと自分を振り返ると、とてつもない違和感を覚えた。

俺が一番安全運転野郎だった…。


23歳までは、本当に本能のままに、怖いもの知らずの若気のいたりで、ブレーキをかけずにやってきた。
その後ちょっとした事故をキッカケに、本能も理性もなく、ただ暴走。
これが2~3年続いたかな?

それからは本能を抑え、理性というブレーキを覚え、
30代前半で、ほぼ本能が消滅してしまっていた。

今はただ安全運転のみ…。



理性ももちろん必要。
だけど、私の定義では、理性はブレーキ役でしかなく、主は本能にある。

本能と理性は表裏一体。

本能がないってことは、実は理性も存在していないんではないのか?

じゃあ、今のこの理性を語るものの正体は?



こんなことをお酒の力で、ぐるぐる頭の中で回っていた(笑)


気がつくと、もう深い眠りの世界へ。


まだこの答えは出ていない…。



ってなかんじで、今日はこのへんで!