「少年の庭」大阪公演(脳内ハイによる長文注意) | オカミのナカミ

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気の利いたぽんこつです。メルシー。


 

「少年の庭」という舞台を見た。




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その舞台があまりに良かったので、あんたなんかに作品語られても、という声は百も承知でレビューしたい。
いや、させてくれ。
させてください。
させてくれたまえ。(誰?)



小さな町でひとりの男が失踪した。
失踪した「原因」を追う女性雑誌記者。
取材を重ねるうちに浮かび上がる謎の教育施設。
そして、その男を知る者たちの証言は、とても同一人物を語っているとは思えないちぐはぐなものだった。
失踪した男はいったい「誰」なのか。
そしてその「目的」は。




というストーリーのあらましを書くと、この芝居はミステリーサスペンスかと思われただろうか。
事実、舞台はハラハラとスピーディに展開し100分を休憩なし(!)で、全く飽きさせることなく一気にたたみ込む。正論の毒を爽やかに振りまく登場人物に、砂を噛んだあさりを食べたような後味の悪さを味わい、ニートのエゴイストに喉が渇く。


「うわー!おるわおるわ、こういうやつ」
という、リアルな9人9様の人間を舞台に登場させ、物語は失踪した男と雑誌記者の過去に遡っていく。
まさにミステリーなのではあるが、そのジャンルだけで括ってしまうにはあまりにももったいない。





「少年の庭」という物語は、全ての人間に渡された免罪符兼未来へのパスポートだ。





清く醜く、かぐわしくインチキ臭い。
とかく、ややこしいのが人間だ。
そしてその人間を取り巻く環境は、驚くほどに不公平である。
富めるもの窮するもの、支配するもの、されるもの。愛されるもの、そうでないもの。



そんなややこしさや、不公平を当然あるものと受け入れて、「そう、不公平で不自由でくだらない世の中ですよ。それをあなたはどう生きますか?」と、この芝居の作家からニヤリと問われているようだ。



どんな価値観にも正誤はない。
けれど生きることにおいて、誰かに必要とされる喜び、居場所のある豊かさ、名前を呼びあえる幸せって、結構いいもんですよと、この芝居は控えめに、けれど確信を持って「当店のオススメです」と差し出している感じがする。



この「オススメ」たるエレメンツを担う役者がまた素晴らしい。
数個の椅子と試着室がいくつも連結したような木枠の骨組み。絶妙の音楽に最小限のスポットライトだけという舞台装置の中、生き生きと、別の人格を生きる役者たち。小さな舞台が役者の目線だけで広がりを感じさせ、表情でその景色が浮かぶ。
断片を見せれば脳内で補完できる、観客の想像力を信じている演技力と演出力だ。



これがおもしろくない芝居であるはずがない。
大いに笑い、涙を拭い、深い宿題まで土産に包まれ帰途についた。
半月にも満たない月が、やけに明るい夜だった。





私を虜にした芝居の人たちは劇団5454
5454と書いて劇団ランドリーと読む。
名前の通り、こころが洗われた。



この劇団の脚本家は春陽漁介さん。
麗らかな名前からは想像もつかない、人間の毒や狡さや弱さを隠し味に、それでも希望や光を感じさせる物語を紡ぐ人だ。
笑いも気が利いている。



どうにも好みだこの脚本家、と思えばさもありなん。
やはり血は争えない。
彼は彼女の息子なのだ。



とんでもない「何か」を育まれましたね、りんださん。




大阪公演、初日おめでとうございます。
清々しい千秋楽を。






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