またまた、映画に関すること。
現代は、映像で再表現する時代かのように映画にまつわる話題が多くなる。
現実生活がそれだけ単調なものになっているせいもあると思う。
新しい想像した世界を提供するクリエイターの部類に映画があって、映像技術が発達した。
出来上がった作品は、それを観賞させる対象によって用途が別れる。
底辺生活者の娯楽のためか。
一般人に想像力を欠如させるためか。
一度に多くの人に同じ感情や認識を共有させるため。
はたまた、想像力を豊かにするための演出の手段として用いられるためか。
映画というのは、フィクションであっても実話(ノンフィクション)に勘違いさせてしまう要素があると思っているせいか、あまりのめり込んで観ることはない。
だから、ドキュメンタリーの方を好んで観るが、ドキュメンタリーであっても視点の向け方でどちらにも転ぶとわかりだしてから、これも一線をおいて観るようになった。
要するに、制作者側の意図でどうにでもなると。
映画プロデューサー角谷優氏による「映画開拓史」が、東京新聞夕刊に連載されている。(11月29日現在)
テレビ業界が映画制作に参入していった時代、フジテレビのプロデューサーとして手腕をふるっていたときの苦労話が意外と心打たれる読み物になっている。
「映画の神さまありがとう~テレビ局映画開拓史」
角谷優著、扶桑社 (2012/11/20)
物議を醸すテレビ業界だが、戦国時代のみならず、新天地に向けて挑戦しようと進出し活性化していたときは優秀な人材が輩出するようだし、作品にも意気込みが入る。
角谷氏はちょうどテレビ業界が映画制作に進出していった過渡期におられた。
「ブッシュマン」(1981)で話題になったニカウさんの日本招待もフジテレビで、当時、映画の放送権買い付けの責任者を角谷氏がしていた。
その後の流れで「南極物語」(1983)の制作もフジテレビが手掛けていた。
しかし「南極物語」が爆発的ヒットを飛ばしていたとき、私はその映画を劇場で観ていない。
だけど、当時ものすごく騒いでいたことは、憶えている。
角谷氏がこの「南極物語」をプロデュースしたときの逸話がすごかった。
極地という場所が場所がらでもあるし、主役はカラフト犬であるし、
主演をお願いした高倉健には最初断られるし、
いくらかかるかわからない莫大な制作予算がつかないままのスタートであったし、
音楽を、監督の切望でヴァンゲリスにお願いすべく粘り強く交渉したこと、
それもこれも制作者の意欲と情熱、裏方さんたちの苦労と努力で完成したと知ったら、急に見たくなった。
私にとって、映画のみならずそれにまつわる逸話も含めドキュメンタリー・エッセンスである。
映画「南極物語」では連れて帰れないなら犬たちを毒殺しようという場面があった。
実際もそのような事だったらしいが、天候の悪化に加え燃料不足で、それさえもできなかった。
人間の都合で取り残されたり、殺されたりする動物って……。
こういう気持ちが根っこにあるからこの手の映画は敬遠してきた。
どうして、タロジロだけが生き延びたかという説に、ソ連隊に助けられエサをもらっていたという話しがある。
実際そうなら拍子抜けであるが、ドキュメンタリーでないから映画として効果的に演出できる。
亡くなった犬たちに対する鎮魂の感情がそうさせたのかどうか。
今日、出版されているのを知った「映画の神さまありがとう~テレビ局映画開拓史」を、今度読んでみよう。
感慨のみに浸らず、次の課題に移るなら、
どうしてこのような事件が起きたのかと問いただすことになる。
自然と動物と人間。
人間の行為に巻き込まれる自然と動物。
現代社会が拝金経済で構成されていく中、そんな世界とは無関係な自然や動物たちとは、どのような関係を築くべきなのか。
という課題である。
トム・ブラウンの「ハンテッド」には、「第四章 ベンガルトラの死」という事件の記録が挿入されている。
トラの保護施設からトラが逃走した。
住民に危害が加えられる恐れがあるので至急トラッキングしてほしいという依頼を受けてのことだ。
トム・ブラウンは、トラッキングの依頼について報酬をもらわない。
結論から言うと、ベンガルトラは生け捕りにできず、射殺されてしまった。
みんなは、この施設の飼い方に問題があるとして怒って憤った。
しかし飼い主から見れば、全くの善意と努力でわずかな寄付金で苦労しながらこの施設を維持してきた。
トラにしてみれば、生まれたときから施設で育ち野生の生き方を知らない。
感情に左右されず、先入観に割り込みさせず、両者の言い分や立場に立って、事件を見きわめることをトム・ブラウンは心得ている。
問題を掘り下げると別の視点に立つことになる。
どうしてトラを保護しなければならない環境になってしまったのか。
何故このような不自然な状態にしてしまったのか。
人間が最終的に責任をとるのである。◆