こんにちは。一か月ぶりにブログ書きます、あっきーです。
13日にクラブワールドカップの試合を見るためにヤンマースタジアム長居へ行きました。
セレッソ大阪サポーターなので、長居には何度も来ているのですが、この日はいつもと雰囲気が違いました。
なぜなら日本だけでなく、世界各国からサポーターが長居に集結しているために、見たことのないユニフォームを着た人がたくさんいて、いろんな言語が飛び交っていたからです。
さすが国際大会だけあって、手荷物検査も時間がかかり、結局、準々決勝第一試合のキックオフに間に合うことはできませんでした。仕方ないですね。
10分遅れで入場し、南側ゴール裏で2試合続けて観戦しました。
第一試合は北中米・カリブ海代表メキシコのクラブ・アメリカがカウンターで先制しながら、アジア代表・中国の広州恒大が追いつき、ほぼラストプレーで昨年のワールドカップブラジル大会に出場したパウリーニョがCKをヘディングで決めて劇的な勝利を収めました。
クラブ・アメリカのサポーターは試合中ずっと旗を振り続けるという熱心な応援スタイル。さらにゴールキックのたびに「ウーーーーウォーーー!!!」と叫んでいて、少数のはずなのにスタジアム全体に響きわたっていました。僕も途中から叫びました。だって楽しいですもん。
一方の広州サポ、圧倒的人数は多いのに、野太い声があるわけではない。なんか「コーンサドーレ!!」って聞こえる言葉があるんやな、くらいしか思ってませんでした。しかし、追いついてからは勢いが増してきて、逆転したときには物凄い一体感がありました。土壇場でバルセロナへの挑戦権を奪ったのだから、そりゃ喜びますよね。
第二試合は、開催国代表・Jリーグチャンピオンのサンフレッチェ広島がアフリカ代表・コンゴのマゼンベに3-0で完勝。序盤はマゼンベが主導権を握りますが、広島はそこを凌ぐと、セットプレー2つとカウンターで得点。攻守のバランスが素晴らしいなと思いました。
マゼンベの選手はキックオフ直前に全員で何か祈るような行動をしていたのが印象に残りました。一方、サンフレッチェは自分のゴールキックのときの3-6-1の陣形がとても綺麗だったし、チャントもエース佐藤寿人しか知りませんでしたが、比較的ノリやすかったです。
南側ゴール裏から見える景色は、セレッソの試合では北側ゴール裏で見る僕にとって新鮮であり、そして懐かしくもありました。
13年前の記憶が蘇ったからです。
2002年6月22日。長居スタジアム。
僕が初めてスタジアムでサッカーを見たのは、ワールドカップ日韓大会です。
あの時も準々決勝でした、セネガル対トルコ戦。
なぜ、「初めての試合が日本代表の試合ではない」のか。
そもそもチケットを購入したのは、ジェフユナイテッド千葉の試合を見ていた叔父で、決勝トーナメント1回戦で日本がトルコに勝つことを想定して大阪に来ました。しかし、宮城でトルコに負けてしまったので、東ヨーロッパの国と西アフリカの国の対戦カードになりました。
最初は叔父と従弟がスタジアムに行く予定でしたが、従弟が行かないということになり、従弟の代わりに僕が行くことになりました。
その時点で、日本代表については、僕は一次リーグで勝った試合(vsチュニジア○2-0)を偶然テレビで見ていて、画面に映っている盛り上がるスタジアムは近くにあることを知り、なんとなく「楽しみだな」という気持ちはありました。
まあ、そのチュニジア戦で先制点を決めたのが、「ミスター・セレッソ」現アンバサダーの森島 寛晃選手だったんですけどね。
初めて行った長居スタジアム。とにかく人が多い。目や肌の色が自分とは違って、話してる言葉が日本語ではないこと。何もかもが初めてで、とりあえず凄い場所に来てしまったということだけは、93年生まれの当時小学三年生なりに理解しました。
試合の内容は正直、ほとんど覚えていません。延長戦の末、トルコがイルハン(甘いマスクで人気を得て、2004年ヴィッセル神戸に在籍していました)のゴールで勝ちました(トルコは3位、4位は韓国。ブラジルがドイツを下して優勝)。
覚えているのは、スタジアム内の売店で買ったコンソメパンチ味の某テトチップス。残っているのは、チケットとパンフレットと、双眼鏡。
双眼鏡はだいぶ前に壊れてしまったけど、未だに捨てることはできませんね。覗いて見えた景色が忘れられない。ウェーブやりました。
2015年12月6日。ヤンマースタジアム長居。
J1昇格プレーオフ決勝、J1昇格のための条件は勝つこと。相手のアビスパ福岡は公式戦9連勝中で、セレッソは厳しい戦いになることが予想されていました。
でも僕は2002年(vs新潟○3-0)と2009年(vs草津○5-0)の過去2回の昇格の瞬間を北側ゴール裏で経験していたので、「今回も…」と信じていました。
玉田圭司選手の先制ゴールが入った瞬間、北側ゴール裏で叫びました。玉田選手は過去に在籍した柏レイソルと名古屋グランパスではもちろんのこと、日本代表でもエースとして2006年ワールドカップドイツ大会でブラジルから得点を奪うなど、スーパーゴールをたくさん決めてきました。
でもあの福岡戦のゴールはそのどれよりもカッコよかった。自信を持ってそう言えます。
そしてそれを上回るくらい悔しかった。あと数分のところで追いつかれて、勝つことは出来なかったから。昇格出来なかった。
玉田選手も涙を流していたし、僕は、歓喜に沸くアビスパ福岡の選手をただじっと見つめるしかなかった。
でもそこで、視界に入ってきたのは、セレッソのチームスタッフ。ゴールポスト付近に散らばったボトルを黙々と片付けていました。その行動に僕は胸を打たれました。本当は選手だけでなくスタッフも辛いはずなのに、「次」のための準備を始めていたのです。
2015年12月13日。大阪長居スタジアム。
僕にとって「次」とは、サッカーの試合を見るためにスタジアムへ行くことでした。
気づけば6週連続(奈良クラブvs鹿児島@奈良・鴻ノ池→奈良クラブvsSP京都@京都・西京極→秋新歓⑤関学阪南@大阪→プレーオフ準決勝@大阪→プレーオフ決勝@大阪→クラブワールドカップ準々決勝@大阪)でスタジアムに行ってました。
なぜサッカーの試合を見るためにスタジアムへ行くのか。
それはサッカーの試合があるスタジアムには決定的瞬間があるからです。
それは勝利か敗北、得点か失点、ナイスプレーかミス、ドリブル、パス、シュート、選手、スタッフ、サポーター、チャント、雰囲気、グッズ、グルメ、歓喜か悲劇、スタジアムで感じる何か…。
僕はスタジアムに行く前にとてもワクワクします。期待してしまうのです。今日の試合、どうなるかなって。帰り道、勝ったら喜び、負けたら落ち込む。
それを繰り返して、僕みたいに、サッカーのプレーしていなくても、ウイイレとかゲームしてなくても、戦術に詳しくなくても、スタジアムには行ってしまいます。
ものすごい長文になりましたが、この記事は観戦記でしたね。まとめるなら、「クラブワールドカップ準々決勝2試合を見るためにスタジアムに滞在した約6時間は本当に幸せな時間でした。」
たしかメインスタンドのコンコースに「FIFA WORLD CUP OSAKA」の看板があるはずです。久しぶりに見に行こう。またいつかスタジアムでサッカーを見るときに。