今日は名古屋で
今野華都子先生の古事記塾〜
古事記から日本人の生き方を学ぶ会 でした。
 
 
 
先月の全国大会から はや1ヶ月。
 
 
 
普段古事記を通して
日本人の心や生き方、在り方を
伝えてくださる今野先生の思いや
 
全国大会直前の大怪我を押して 
舞台に立たれた姿を
カメラで一部始終綴っていたからこそ。
 
今日の会は また感慨深いものでした。
 
 
 
 
 
 
 
今月の古事記は
天照大神の「おこもり」という場面。
 
 
天の岩屋戸に
「かくれた」のではなく「おこもり」された天照大神の思いは
 
 
高天原で起きた 穢れ、
全ての元凶は わたくしが至らないため。
 
 
 
 
全てを引き受けて 外からの情報を断ち。
自分の内側に 深く入っていき
 
本質を見抜く、
そして在り方を深く熟考するための
純粋な行動でした。
 
 
 
 
八百万の神々の頂きに立つ
重大な立場だったからこそでした。 
 
 
 
この天照大神の「みかしこみ」「おこもり」を
今も体現されておられるのが 
歴代の天皇陛下です。
 
 
 
「国に降りかかる国難はすべて
私の身を通して お与えください」と
祈られてます。
 
 
 
明治天皇の御製(詠まれた歌)に。
 
「罪あらば 我を咎めよ 天つ神
民は我が身の 生みし子なれば」と
いうものがあります。
 
 
 
 
 
 
「おこもり」をされた歴史上の人物がいます。
古事記を編纂した 本居宣長も その一人です。
 
 
 
今野先生が 今回
ダイジェスト版で 教えてくださいました。
 
 
 
 
 
 
松坂の木綿問屋という
豪商の長男として生まれた本居宣長は
11歳で 父が亡くなります。
 
 
青年になり 商いの勉強に松坂から
江戸の伝馬町にある店に修行に出されます。
がしかし
1年で 商いは向かないと 里に帰されます。
 
その後 松坂にて 2年半 引きこもります。
部屋の中で 本を読んで過ごします。
 
 
その間に学んだ事。
松坂という日本の真ん中に位置する地の利を使い、
西から東から そこを通る旅人に 
道中の情報を事細かに 聞き
松坂にいながら 
日本各地の地名を3000調べます。
 
そのあと 22歳で 義兄が亡くなり
小津家の家督を継ぐも
商売に不向きという母の英断で 
 
宣長は医者になる道を選び
蘭学を学びに京都に行きます。
 
母は 当時松坂と江戸に店を持つほどの
家業をたたむのです。
 
 
蘭学の勉強のために 本屋に行った時
主人に 「あなたならこれもどうだ」と
蘭学の本と共に 古事記を勧められるのです。
 
 
 
ただ、当時の古事記は
712年 天武天皇が命を出し
稗田阿礼が 口伝で
音で 伝えたものを 漢字であてて
著されたものでした。
やまとことばは 当時はまだなかったのです。
 
本居宣長が こだわったこと。
 
中国の歴代の国を調べ
日本の歴代の天皇を調べ。
 
あることに気づきます。
 
中国は 国が一代限りで変わっていく。
文化は一代限りでの継承でしかない。
 
日本は初代神武天皇から 
脈々の歴史を重ねている国。
 
なのに、なぜ 漢や隋のものを取り入れるのか。
日本には古から 良きものがある。
そこを大事にしたい。
 
そして日本が脈々引き継いでいた国学を
研鑽していきます。
 
口伝で音を聞き 
音を漢字で書き表した古事記の原文。
どう 音という ことばで読み表していくか。
 
それを学ぶために 賀茂真淵を師とし 
まさに 44年という歳月を費やし 
古事記を解読します。
 
これを伝える人が 現れるのは 
たとい500年かかってもいい。
 
そんな思いで 読み解いたのだそうです。
 
 
 
 
そこには 日本という 国を思い 
ここから先に続く日本の民を思う
崇高なる志のようなものが 見受けられます。 
 
 
 
 
松坂にある 本居宣長の旧宅は
現在 本居宣長記念館になっているそうです。 
 
 
 
そこは 店を引き払い 住処にした場所。
そこで町医者をしながら
長年 古事記を解読し書き連ねた
四畳半の部屋が 今も残っています。
 
 
 
当時 宣長が書き写した 古事記の原書。
 
いまのように印字されて綴られたものでなく。
 
手書きのその文字は
一字たりとも ぶれず。
 
同じ心持ちで綴られたであろう
古事記に対する
本居宣長の向かい方が見えてきます。 
 
志の強さ。大和魂の強さ。
後世に繋げていきたい その思いの強さ。
 
 
 
712年に 当時天武天皇が 命を出し
語り部稗田阿禮(ひえだのあれい)
筆者の太安萬呂(おおのやすまろ)が
書き記した 古事記。
 
それが約1000年たち
本居宣長の人生をかけて 解読され。
 
そしてまた。
今回 阿部國弘先生のご尽力で 
読み解かれたものを
弟子の栗山要さんが 編集された本。
 
それが 私たち塾生が使っている
新釈 古事記伝 (全7巻) (著者 阿部國治、編者 栗山要)です。
 
 
 
 
それをまた
今野先生が その本を使いながら
先生の持てる ありとあらゆる知識や体験を
すべて含んで 
口伝で わかりやすく解釈して
読み解いてくださっています。
 
 
 
この 今野先生の伝えてくださる
古事記のすごいところは
自分の日常の生活の場でも 使えるという事。
単なる知識には ならないという事です。
 
 
 
 
現代がどんなに文明や科学が発達したとしても。
 
今も昔も 神代の時も。
人の進歩、発展は変わらない。
何が本質で 何をなすか。
 
そして その先は 神のみぞ知る。
 
 
 
全国30カ所で毎月1000人が 
今野華都子先生の 手で口で ことば、音で。
古事記を通して日本の心、
遠く神代の時代から
受け継がれてきた 
日本人のものの考え方、在り方を学んでいます。
 
 
 
 
 
もともとはエステシャンだった今野華都子先生が
なぜ 今、古事記を伝えているのか。
 
それは2011年 東日本大震災に遭われ。
そこで さまざまな事を感じられ
行動され。
 
そして 日本橋伝馬町に サロンを構えた。
 
 
伝馬町は本居宣長が江戸に修行にきた
木綿問屋の店があった場所。
 
そして 伝馬町は
江戸時代に牢屋があった場所で
吉田松陰の終焉の地であるそうです。
 
 
 
毎日吉田松陰の辞世の句を詠んだ場所を通ります。
 
 
 
 
「身はたとひ 武蔵の野辺(のべ)に 朽(く)ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
 
 
そしてまた
本居宣長は和歌を10000首詠んでいるそうです。
 
世に出ていないのは 
素直すぎて面白みがなかったから。
 
 
宣長は源氏物語も解釈します。
当時は 源氏物語、伊勢物語などは 禁書でした。
 
 
それを 宣長は「もののあはれ」と読み解くことで
今や日本を代表する文学として
世界に知らしめる事になります。
 
宣長が その源氏物語を解釈する時
「今華風」と名乗っていたのだそうです。
 
そして 宣長の母の名前は「かつ」
そして 妻の名前も「かつ 」であったこと。
 
そして 今 古事記を伝えてくださる
先生の名が
 
今野華都子 (かつこ)という事実。
 
 
この大いなる偶然の奇跡の一致は。
 
まるで 何かを語っているようにも思います。
 
 
 
 
 
「たとえ 何百年かかろうとも。
 
繋いでいくものが ちゃんと現れる。」
 
 
 
これは 
はるか 天武天皇の代から 
 
絶え間なく 流れをいただいているのです。
 
 
 
 
「敷島の大和心を 人問わば 
                          朝日に匂う 山桜花」本居宣長
 
 
 
 
 
ずっと脈々と いのちと共に
受け継がれてきたものが あります。
 
我々の中で 眠っているもの。
 
古事記は 
それを呼び起こしてくれているようです。
 
今回の全国大会で。撮影を承り。
わずかでも その一片に なれていたなら。
 
そう願うばかりです。
 
 
 
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