読書会翌日、また知恩院へ♡

大きい三門をくぐり石段を登りました。(前日は雨の為歩くの断念したのです)

 

神社仏閣をボケ〜〜っと歩くのは本当に気持ちがいい♡最高に癒されました。

 

 

 

ダイヤ3月20日 リッツ・カールトン京都読書会

本当に嫌なものは何だろう?ちゃんと見ると本質がわかる。京都読書会①

 

ダイヤ3月21日 知恩院&京懐石読書会

心を整える。写経体験&ラグジュアリー読書会♡京都読書会②

 

 

参加者さまのレポを拾わせていただきますハート

 

 

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実際に体験してみることの豊かさが自分に栄養を与えてくれる。

 

写経体験のお部屋は300年前に、天皇の娘にあたる方のお部屋。

その空間に身を置けるなんて。

宮様も書を認められたのかな…

 

800年前の阿弥陀様像を近くで拝顔させていただいたり。

順番に手を合わせての時間は、その瞬間には私ひとり…

なんて稀少な経験。

 

今この時を感じられることばかり。

 

これからも今に意識を向けて、

より良い人生を作っていく。

 

 

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あめーば京都での写経体験と読書会で今を感じる

 

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写経した発願文の際も、

善人として生きるとこが大切と教わりました。

 

善人を写せば善人になる、とも。

 

こんな素晴らしい時間を過ごすことができたけれど、

最初は価格から高いなとも思ったんです。

 

昨日の写経&読書会

 

でも1日たっぷり、

自分では思いつかないコース、

 

体験して、価格ってなになんだろうと今は思います。

 

そもそも高い、安い、得、損ってなんだろう。

 

どんな体験もどんなものを受け取るか、

感じるかが全てだと思います。

 

同じ日、同じ場所で、同じ話を聞いても響き方、

受け取り方は人それぞれだけど、

 

さきこさんが

『伝わったことがすべて』と話されたんですよね。

 

どんな風に伝えたいかとか、

そんなつもりじゃなかったとか......

大事なのはそこじゃない。

受け取る側も取りこぼしてばかりかもしれない。

 

 

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あめーばやりたいこと、全部やりたい♡って言ってもいい!

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本当に好きなことというのは

もう既にやっていることが多い!

 

そして、それをやめろと言われたら

もう生きていられない!

というようなものだ、ということ。

 

 

たとえば「タバコが好き!」

という人の場合

 

「だって好きだから!」

と言ってやめようとしないけど

 

肺がんになったら

やめる人が多い(笑)

 

がんになってやめるんだったら

好きじゃないじゃん!(爆)

 

 

忌野清志郎さんは

病気で喉を手術する必要があったけど

手術せず、歌い続けることを選んだもんね。

 

それがいい悪いという問題じゃなく

本当に歌うことが好きで、

歌うことをやめたら自分じゃなくなる!

という感覚だったんだろうなと思う。

 

 

私もより良い人生を生きるために

丁寧に「自分の好きを疑う」作業、

していきたいと思います^^

 

 

(全文はこちら)

あめーば【セラピスト・人の在り方】藤本さきこさん読書会レポート☆好きなことはやめたくてもやめられない♡

 

 

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まずは知恩院にて

人生初の写経体験!

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すごいひどい・・・(苦笑)

写しているのに、

どうしてこんなに字が下手なんだろう・・・

 

 

写経をしていると、

「宇宙の中でとても小さな自分の存在」に

気づくことができました。

 

悪い意味じゃないですよ^^

 

 

小さいけど、

宇宙を構成するひとつの成分、

見たいな感じ(笑)

 

 

今回は、知恩院のご住職の

法話もお聞きすることができて。

 

 

私たちは、

生きているだけで

とても罪深い存在。

 

私たちは、

殺生しないと生きていけません。

 

食べているだけじゃないですよね、

建物ひとつ立てるにも

木の命を奪っているわけで。

 


 

 

(全文はこちら)

あめーば【セラピスト・人の在り方】藤本さきこさん読書会レポート②

 

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2日間連続でお越しくださりありがとうございました♡

写経は本当にいろんなことを感じたので私も後で書こうと思います。

 

そうそう、2日目は写経の前後に住職がお説法してくださったのです。

 

 

 

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仏教では「生死(しょうじ)」といって

 

生きるということはすでに「死」を含んでいるもの

 

それを仏教では「苦」とします。

 

 

「苦(死)」の上に成り立っているのが「生」である。

生きることは苦である

 

 

生きるためには野菜でも魚でも肉でも、命をいただかないと生きていけない。

それが私たちである。

生は死の上に成り立っている。

 

 

 

それだけ私たちは罪深い存在なのです。

 

お釈迦さまの教え「全ての人を幸せにしなさい」という教えは

どんなに頑張っても守れない。それが私たち「人間」というもの。

 

 

 

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その後の会食で

「あの住職さんのお話を聞いたら、なんか救いようのない話に思えて、鬱々としてしまった」

「罪悪感でいっぱいになった」

「じゃあどうしたらいいんだろう、って思った」

などなどたくさんの感想がありました。

 

常々思ってるんですが、この解釈は無限でいいと思うんだ。

 

私は仏教特有の、この「答えがない感じ」が大好きなのだけど。笑

 

キリスト教は絶対的に正しい「神」がいるけれど

仏教は「どうしていきましょうか?」というあくまでも「実践」です。

グレーの中で生きていく感じです。

 

堂々巡り、というか

スッキリしない、というか

で、どうしたらいいんですか?

と聞きたくなってしまうような(笑)

 

 

ちょっとこれにも似ていますが・・

 

「で、何をしたんですか?」という愚問♡その1

拡大&繁栄は無限なのだ♡「で、何をしたんですか?」という愚問♡その2

 

 

 

 

設定変更の一番の要、「明らめる」というのはもともと仏教用語です。

 

「明らかに観る」

 

私たちは、そもそも命をいただかなくては生きていけないという、罪を持った存在である。

 

どうせ悪人だし、いくら頑張っても善人になれないし!

と開き直り漫然と生きるのでも八つ当たりしまくって生きるのでもなく

 

かといって「生きている意味無いので死にます!」という自分責めでもなく

(それでもいいんだけど)

 

どれも絶対的な正解がない中で

どう生きていきましょうか?

それでもいいけど、本当にそれでいいですか?ということ。

 

どこにどう自分の中で「折り合い」をつけて、

自分なりにどういう解釈をし、人生に何を見出し、生きる軸にしていきますか?

 

それを、「自分で感じ、見つけていく」というのが

仏教の醍醐味だと私は思っています♡

 

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罪悪感について以前書いたことがあるのですが

→罪悪感の本質とは「善人ごっこ」というマウンティング。ザ・優越感❤︎

 

 

罪悪感を手放す、捨てるというのは

じゃあ命をいただくことも開き直って「正しさ」にするのではなく、罪悪感で卑下するのでもなく、「ありがとう」と「感謝」するということです。

 

人は圧倒的に感謝が足りない。

それは自分を「明らかに見ていない」からです。

 

 

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人は救いをなぜ求めるのか

それはただ「安心」したいからだと思う。

 

その生き方でいいよ。

それで大丈夫だよ。

っていう指針がほしい。

 

それを自分で「自分を見て、感じて、決めていく」というのは

自分で自分を照らしていくこと♡

自分で決めることができるから、仏教が好きです。

 

そもそも、生きる姿勢を

「正解を求める」のではなくて

「正解はない中で、自分で決めていく」から感謝ができるし、

 

どう在ってもいい。

どう在りたいか?

っていう「何を選んでもいい」「何を選んでも大丈夫」な安心繁栄の生き方ができていくのだと思います♡

 

 

 

こちらもぜひ♡

 

→初の京都へ!ショートトリップ♡金閣寺ああ金閣寺

 

→まさかの般若心経❤︎「設定変更」「ご自愛」のキモ!無意識の95%を使いこなす☆”