まだまだ発展途上国だけど、「聖なるもの」は強く強く残っている。
でも、暮らす人々を見て、いろいろ思うことはあった…
なぜこんな偉大な叡智があったのに、消えたのだ?
もっとこうしたらいいのに。
もっとああしたらいいのに。
ゴミくらい拾ったらいいのに!
とかね。(これはエジプトでも思ったけど)
みんな同じものを同じやり方で売っている。
まさに馬鹿の一つ覚えみたいに
「1ドール」
「1ドール」
と何かを売ろうと寄ってきて閉口する。
(トルコの田舎もそうだったな…)
まるでそれしか知らないみたいに。
そして嫌になる程、全く、全く売れていない。
↑
(もうね、これが同じ商売人としてめっちゃ嫌!という感情が湧く!笑)
なんていうか、思うことはつまり
もっと考えたらいいのに。である。
そこで話は戻るんだけど・・・
文字を書くこと、読むこと、
それは
「聴く」ということだ。
「考える」ということだ。
「表現する」ということだ。
「伝える」ということだ。
それが当たり前にできるということは、何てありがたいことだろうか。と思った。
文字を書くこと、読むことができないと
自分が何を思っていて、だからどうしたいのか?もわからない。
自分のことさえわからないと、相手のことも分からない。
商売でも、どういうものが欲しいかな?
どうしたらこの良さが伝わるかな?
どうしたら人が欲しくなるかな?
が分からない。
ポルポト政権下では、国のほとんどの知識人、教育者が殺された。
1975〜1979年という、つい最近のことだ。
教師は全て殺された。
文字を読める人、書ける人、全部殺された。
メガネをかけてるだけでも殺された。
世界の歴史を見ても、争いの度に本が焼かれたり、図書館が燃やされたり、寺院や教会が破壊されたり、ことごとく「叡智」を潰そうとする。
同じ叡智を分かち合っているのに。
カンボジアにも学校はあった。
けれど、行けるのは裕福な子達だけ。
物売りしてる子たちは、その親も、読み書きができない。
カンボジアの識字率がとても低いのは、ポルポト政権で教育の機会が無くなってしまったからだそう。
なんて酷くてバカな政策だったのだろうか。
世界中の神殿や教会、寺院の破壊も、焚書も、本当に「なんてこった」と思う。
学校から帰る女の子
学校から帰る男の子。
1400年も前から、こんなに立派な伽藍や仏像を作る知識も英知もあったというのに。
アンコールワットのようなとっても素晴らしい建設もできたというのに。
ほかの寺院に見られるような隙間がないから、ガジュマルなどの根が入り込まず壊れないそうです
アンコールワットのレリーフには、王様が占い師に占って貰っている場面もありました。
占い師は手に書物を持っています。
なんだよ!
こんなに昔から知識を持っていたんじゃないか。
本があったんじゃないか!
文字があったんじゃないか!
「栄枯盛衰」という言葉なんて、本当は四季や波のような自然のものだと思っていたけれど
本当は人間の愚かな勝ち負け由来なのか?
勝ち負けは、本当に破壊しか生まないな。
★設定変更は本当に宇宙レベルで人生がワープするよ♡