東北にもようやく春が来た〜〜♡という暖かい日が続いていた5月のある日、盛岡に行きました。

 

新緑も目に鮮やか!

 

 

 

雄大な岩手山を眺めながら歩く。

 

この時期の北上川は雪解け水。

冷たそうな、透き通った水がとても綺麗だった。

 

 

 

 

というのも!今日の日経新聞の文化欄に

 

「みちのく いとしい仏たち」展

 

のことが載っていました。

 

 

 

この日はこの企画展を見るために、盛岡の岩手県立美術館に行ったんです!

 

 

 

 

現在、京都の龍谷大ミュージアムで展示されていて

11月からは東京ステーションギャラリーに巡回します。

 

春にたまたまパンフレットを見つけ、掲載されている仏像のあまりの愛らしさに「絶対行きたい!」と思い、学芸員さんのギャラリートークがある日を狙って行きました。

 

 

 

 

 

 

京都や奈良の教科書にも乗っているような素晴らしい仏像はいわば「大正解」のエリート仏像。

 

仏師と呼ばれる資格ある人たちが、知識も教養も美も競い合って高めて彫ったもの。

 

 

それに比べて、東北の民間のこういう仏像は、地元の大工や宮師が村の人々の要望に応えて彫ったもので、

これまで「価値がない」とみなされ、研究対象から完全に外されていました。

 

弘前大学の須藤教授が、これらの地方仏、民間仏に価値を見出し、

長年研究されてきた成果の企画展です。

 

 

 

 

 

地方の村や町で彫られ祀られていた仏像たちは、ルールガン無視!

 

如来と山神が合体していたり、

地蔵と女神が合体していたり、

何もかもがごちゃ混ぜ。

 

これは一体、何???

 

という像ばかり。

 

「そもそも仏像ですらない」と、美術史の研究対象からも外されて、ずっと放置されてきたのですね。

 

 

 

 

実際に見て、とても良かった。

込み上げてくるものがあった。

 

 

図録も買っちゃった。

母も好きそうだと思って、2冊も。

 

 

image

 

 

写真撮影は禁止だったので、メモ片手に何時間もいました。

 

気になる仏像を、絵に描きながら。

 

こういうとなんですが…

 

絵が下手な私でも、描けそう、とチャレンジしてしまうような仏像ばかりなんです。笑

 

 

 

 

口髭がある、キリストにしか見えないユダヤ人ぽい顔のホトケがいました。

ソラマメのような横顔のフォルムに見惚れてしまった。

説明読んだら聖徳太子との合体でした。

 

image

 

 

 

坐像もすごい曲がっていたり。笑

蓮華座部分は手書きの絵だったり。笑

 

なんていうか、本当にゆるい。

 

image

 

 

十和田の大工が彫った仏像もとても良かった。

なんていうか全部が「誰かに似てる」顔してる。知り合いにいそうな。

親しみのある、お顔。

 

 

image

 

image

 

 

 

以前、京都の三十三間堂に行った時に(1000体の仏像が並んでいる)

「自分に似てる顔を探せればご利益あるらしいよ」と聞いて探したのですが、

全部お顔が違うのに、どの仏像も、似てなかった。

というか、

私の知っている誰一人にも似てなかった。

神々しすぎて、美しすぎて、ありがたいお顔すぎて。

 

この世のものではない美しさ。

 

 

でも、ここにある仏像は、全部が誰かに似ていた。

 

 

 

 

天女と観音様が合体しているような像もあった。

本物の仏師ならば絶対にやらない、やり方で作ってあるんだそう。

 

image

 

image

これですね! 仏像では絶対にありえない、不思議な羽衣。

 

 

 

 

 

 

 

 
 
男性のはずの観音菩薩に乳房も乳首もあったり。
 
昔は母乳がしっかり出るということは、本当に本当に切実な願いだったんだ。
 
貧しく栄養状態も衛生状態も良くない東北の田舎では、
小さい子がよく死んだから、どのホトケ様にも全部お乳をつけて欲しかったんだ。
 
私の代わりにどうかあの子を見守ってください、という祈り。
 

 

image

 

 

 

じんわり涙が出た、童子亡者像。

木の塊で彫られていて、起き上がりこぼしみたいにゆらゆら動くんです。

 

ごめんなさい、ごめんなさい、ってゆらゆらと。

 

 

image

 

 

昔は、どんな理由であれ、親より先に死んだ子供は地獄行き、と考えられていた。

 

 

 

 

 

 

お地蔵様にお乳がついていたのもあった。

迸り流れる母乳まで墨で描かれている。

 

死んだ幼子をどうか地獄で飢えさせないでください、

という母親の願いで作られたお地蔵様。

 

 

image

 

 

 

けれど、先に死んだ子供たちだけじゃなく

自分たち百姓も、誰も天国なんかに行けるなんて思ってなかったみたい。

 

 

 

でも、閻魔様や鬼の像が、とっても優しそうなんです。笑

 

 

image

 

 

「殺生してはいけない」をクリアする人はいない。

 

畑を耕せばミミズを殺す。

米をかじるネズミも殺す。

 

だから、死ねばほぼ地獄に堕ちると諦めていた。

だからこそ手加減を求める気持ちは本気も本気。

 

 

説明に書いてあって、笑った。笑

 

 

 

 

 

 

地方のこういう、ルールガン無視の仏像は

 

知識がなかったからこうなった、というわけではない んだって。

 

 

 

 

間違ってる、というより、

 

いろんな要素(効能)が合体!

 

 

 

あれもこれも、

全部つけでけで!!

(つけてくれ!)

 

 

っていう、切実な生活の辛さ。

 

救ってくださいという祈り。

 

 

それに民間の大工が応える。

 

そしてこんな奇跡的な仏像が生まれる。笑

 

 

 

image

 

 

 

教科書に乗っているような、立派なエリート仏像は、確かにとても美しい。凛々しい。

そしてとても厳しさを感じる。


目の前に立つと、背筋がシャンとする。

 

 

 

でも、実際に生活が貧しくて厳しく、常に生死と地続きだった暮らしの中にある仏像は、とにかく優しい。

脱力した仏像ばかりで、一切、厳しさ無し。

 

生きるための殺生や、生死から逃れることのできない諦め。

 

 

 

せめて神様ホトケ様には笑っててほしい。

 

ごめんなさい、許してください。

 

許されたい。救われたい。

安心したい。


という切実な想いだったんだなぁと泣けてくる。

 

 

 

 

思う気持ちが絶対スタート


だなぁ。

 

立派な技術や装飾、仏教的なルール、正確さなんて所詮人が作ったもの。

 

祈りという本質、そこの価値は揺らがないと思う。

 

 

 

外側のルールや、こうじゃないと価値がない、とか

 

そんなのどうでもいいから、

 

とにかく、それでいいから、

 

拝ませて

 

 

という、祈り、信じる気持ち。

 

とても豊かだと思う。

 

 

 

本物はそうじゃない、こうじゃない、もっと技術を、知識を、良質な材料を、と高めていった豊かな都会の人たちの一方、

「ホトケ様に見えるわ」ってだけでここにある思いを託せる、悲しい気持ちも癒される、苦しい生活でも楽しく暮らせる、っていうのが、

いくらその拝んだ仏像に「価値がない」とされていたって、やっぱり命が宿っていると思った。

 

話はそこじゃないというか。

 

 

 

特にお産は、死と隣り合わせだった。

産んでも、すぐに死んでいった。

 

仏像がしっかと赤ちゃんを抱いていてくれれば、

見るたびに安心し癒されただろうなぁ。

 

 

image

 

 

「大丈夫、頑張りなさい」という声が聞こえて、

 

また生活を頑張れただろうなぁ。

 

 

 

このガシッと抱く力強い手に、安心する。

 

いつの時代だって、祈りは同じだ。

 

本当の価値なんて、いつだって見えない部分。

 

 

image

 

 

 

 

帰ってきてからメモをノートに貼ったら、ページがいっぱいになった😆

 

image

image

 

image

 

image

 

image

 

image

 

 

 

 

 

▶︎京都に近い方、ぜひぜひ、みちのくのいとしい仏を見にいってみてね😍

仏像エリートの中のエリート、京都で開催なんて、すごいなぁ。

 

 

 

▶︎冬には東京でも開催するみたいです♡