自由に。自由に。 | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。

書いた日:2014年5月12日
編集した日:2018年12月9日




そこには
正解や間違いではなく

体験があった。
それだけ。



この世界で正解を知ってる人なんて一人も居ないんだと知ったのは
美容室で髪の毛を赤く染めている時だった。


それは、ベンジーの画集に書いてあった。


そうだ。
私は嬉しかった。


もう誰かの正しさを渋々受け取る必要はないのだ。



自分を愛し、慈しむとは
服装、言葉使い、生き方全てを

自分の好みで固めること。


良いとか悪いとかは
一切関係の無いことだ。


例えば女装は悪いことじゃないし。
女の子になれて得意げなおっさんのあの感じは素敵じゃないか。



ガクガク震えながらでも
本当のことをしてるのが好きだね。



誰かにとっては意味のないことでも
自分にとって必要なものがある。


自分の世界を創り上げるのに必要なのであれば
それが
自分を生きるにあたっての大正解なのだ。


意地悪をする人のことなんか
気にしないでおこう。


本当はきっと、なにか、羨ましいのだ。
きっと。

そういことにして
気にしないでおこう。





何年か前の話だけど

フェミニストカウンセリングの勉強に行った時に
講師の先生が言っていたのです。

『我慢するとね、人間って意地悪になるのよ。
私は意地悪にはなりたくないの。
だから私は自分がやりたいようにやるのよ♡』って。

私もそれに大賛成です。


必要のない我慢は、なるべくしたくないし
もう我慢はしなくて良いのですよね。




やるなら心からやりたいのです。

やりたくてするというシンプルな行動を心がければ私は文句も言えなくなる。

この口から文句が出なくなるまで
自分と向き合うのが良いだろうか。



って一瞬思ってたんだけど

私のことだから
きっと文句は言うのだろう。
ぶーぶーぶーぶー



我慢なんてなるべくしないというのは
結構難しいけれど

ゆっくり
ゆっくり
自分の呼吸で。
スピードも自分勝手にやろう。




本当に
良いも悪いも無かったんだなぁと
つくづく思うのです。


良いから良くて
ダメだからダメなんてなくて、

善が良くて、悪が悪いんじゃなくて。


ただ、全部があるってだけで、
私たちは結局は全て必要で、
その全てから何かを感じたり、
全ての中で生きて

そして
その時その時
体験したという
事実があるだけなのでしょうね。