ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。 -2ページ目

ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。

おはようございます。

今日は雨です。



しとしと、いい感じだなぁ。




◆もしもあなたを問題視する人が居たら
それは“その人の問題”と言う場合もある。という気づきについての考察

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2017年8月24日

そのものを問題だと感じた人が現れた時に
それは問題として扱われ、問題があるということになってしまう。

けど、

そのものを素敵だなぁと思った人が居たら
それは素敵なものになる



物事にはやはり
良いも悪いもなく

物事自体にはなんの意味も無いのだ。


ただ、人がそう判断するだけなのだ。

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私たちは何も変わらないのに
問題のある人のように扱われたり
いい人になったりする。
不思議だ。


けど、自分だって
同じように色んなことを勝手に判断している、

そう見てるから
そうなだけで、
その人やその出来事自体がそうだとは限らない。


〇〇と言われたからと言って
自分がそうとは限らないので

誰かの勘違いを
受け取る必要もないし、
もしもあなたを問題視する人が居たらそれは“その人の問題”という場合もある。



反対にもしも、自分が誰かに対して問題を感じていたとしたらそれはその人の問題ではなく、

“そう感じる自分自身の問題”  なのかもしれない。

自分には、全く問題がない
ということもないだろうから、自分の取り組むべきことは自分で気づいて取り組むしかないし、人にも人の事情がある。みなそれぞれに、取り組むべき問題にちょうど良いそんな現実が与えられているのだろう。





私の体験。


私の心の奥に長い期間引っかかっていた、ある事がひと段落した。


もう数年前の話。
Oさんの、私に対する態度は
酷いものであったが、それが急に改まったのは

私の家族が私をとても大切に扱っていて、
その姿、その接し方を見た時Oさんは、ハッとしたのではないだろうか?

と、
そう教えてもらい、


そのことを聞いて
わたしもハッとした。


その昔、当時の私は、人生の中で最も弱っていた。
自分自身が消えかけて、自己卑下を絵に描いたような萎縮ぶりて、ヘコヘコした状態だった。

元々のおおらかで、おバカなことが大好きで、それなりに自信もあり、なんでも挑戦してみる少し偉そうな自分は全く消えていた。その当時の私は自分をどう扱えばいいかなんて全く分からなくなっていて、弱りすぎていて、

人にバカと言われれば
自分はバカなのだと信じていた。

完全に壊されていた。



病気になったり、困ったりした時、人は弱まり、人に相談したりすると思うけれど、

当時、私はとても困っていて、どうしたら良いのかもわからなくなり、人に相談した。
けれど、相手を間違えたのか、相談すると相手から問題に踏み込まれたり、意見を押し付けられたり、人格を否定されたりするという経験が続いた。


それはとても怖い体験だった。


こうすればいい。〇〇しないからだ。と、焦らされたり、そんな考えだから、いつまでもそんな風なんだと、勝手に決めつけられたり、呆れた顔をされたり、怒られたり、それがどうにも辛かった。そんな経験をした。


弱り目に祟り目でというのがあるけれど、その時はとてもネガティブな攻撃を続けて受けてしまったのだった。


その当時は、自分が悪いと信じていたので、攻撃されていると自覚も持てなかった。周りにいる全ての人が正しく、自分が間違いなんだと思っていた。
いつも心のどこかが苦しく、泣きたい様な毎日だった。薬を飲んで誤魔化していた。


後々、自分に起きていたことを理解したけれど、どうして自分がこんなに攻撃されるのか、わからなかった。


今思えば、
どうやら弱ってる時というのは、もっと心の弱い人が攻撃してくるようだ。

(自分が自分をそのように扱っているというお知らせだとか、そういう考えもあるけど、そんなことはこの際、どうでもいいのだ。それとこれとは別問題。)


大人なんだから〇〇して下さいねとか、親として子どものことを一番に考えて下さいとか。
とてもまともに聞こえる常識という攻撃を受けて、当時、私は酷く混乱していた。

“母親として”というワードはスルリと私の心に忍び込んで刺してきた。



今なら

これはあなたの問題じゃない。
私は十分に子どものことを考え、精一杯愛している。

と、言って追い払うのに。



このことを以前、カウンセリングでやっと話せた時に
『あなたは全然悪くない。
勝手にそう思い込まされただけなんですよ。』
と、言われた時には本当にびっくりした。


え?そうだったの?
何をこんなに長い間、悩んだり勉強したりしたのだろうか。

なんだ、自分はおかしくなかったのか。
軽くショックだったりもした。



このことを思い出し、気づき、理解したこと。

それは

問題というものは、
問題のある人(問題が必要な人)によって
形作られるんだなぁということ。


つくづく思ったのですよ。



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私は精神がボコボコになるような経験から、自分が何を感じていたのか、感じることが難しくなった時期があったけれど、少しずつ回復し、再び感じられるようになったし(混乱するとまだ時々は分からなくなることもあるが)

やっぱり、
自分の感じることが答えなんだよ。


人は全く関係ない。
だから、人がなんと言おうと、自分自身を貫いて自分の信ずる道を淡々と生きたらいいよね。
ほんと、それに尽きる。

誰かからの圧力や攻撃は、完全拒絶で好きにやりましょう。


 

 

 

 
 
 
しるさんと作っております秘宝新聞、最新号がやっとです。

秘宝新聞vol.24 2024年4月 春号、発送します〜週明けくらいに届くかと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。




今回のテーマは
『卒業』です。

今回も気の向くまま書いてます。

なんだかんだ、今期もvol.21夏号からvol.24春号まで、作る事ができました。読んで頂きありがとうございます!

次号からまた購読希望の方は、お申し込み下さい。後ほどご案内します。

これです↓

そして、これで何巡目ですかね???
2018年から始めたので、丸6年で、7年目に突入ですかね。
こんなに続けられると思ってなかったので嬉しいです。フリーペーパーと言いつつ、2人だけの同人誌の様な、よくわからないものを発行してますけど、読んでくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。
紙の方、note版共々、どうぞ宜しくお願いします。

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ハツ子としる子の2人が、勝手に作って勝手に発行している新聞がこちらになります。





配布の仕方が初めからクレイジー。

どこのお店にも置いてないし、

発行者の2人以外に誰も配布していないし、全然手に入らないんですのよ。

 

この、あるんだか、ないんだかわからないくらいの感じで秘宝新聞はずっと発行し続けておりまして、ボチボチ発酵するんじゃないかしら。


と、このように、意味がわからないことをつい、書いてしまいますが、

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自己紹介です。久しぶりに自己紹介を更新しました。



鳥ちゃんとわたし。




落ちていたサザンカが、わたしの影に。

髪飾りみたい。

 


 

はじめまして、こんにちは。

ピコニコラという名前の、不思議な空間を運営しています。

ここは、わたしのアトリエであり、フラワーエッセンス相談室です。


お悩みに応じたフラワーエッセンスをダウジングでお選びいたします。また、オラクルカードを使って気持ちの整理をするお手伝いをさせて頂いています。

フラワーエッセンスは、ペンデュラムを使ったダウジングで選びます。

ペンデュラムという道具は、一見怪しく、魔術的な意味合いを持つものに見られがちですが、そうではなく、「筋反射」というもので動いており、“頭で考えても出てこないような的確な答えを出してくれるナイスな道具”で、とても重宝しています。


フラワーエッセンス以外にも、人生の大事な日を決めてみたり、探し物をしたり、自分にとって必要なもの不必要なものを選別したりすることができます。

必要な時には、どうぞご利用ください。



↓↓↓

これまでのことなど、書いております。

興味があればお読みください。


小さな田舎の町で生まれた私は絵を描くこと、モノづくりが大好きで、18歳になり、札幌市に近い美術科のある短期大学で、美術を学びました。

有名な美術大学ではありませんが、油絵、日本画、彫刻、陶芸、金工、デザインなど、あらゆるジャンルの表現について、学びました。


そこで2年間学び、もう少し学びたいと油絵の専攻科へ進み、合計3年間の美術学生生活を送ります。


大学時代、講師に来ていた先生からのお誘いでデザイン会社で働きはじめ、大学在学中から二十代半ばまでの6年間、デパートやお菓子屋さんのウインドウディズプレイ、モニュメント制作等に、施工で携わり、モノづくりを学びました。


30代でメンタルを病み、アート活動はお休みする事になりました。


40代で様々な転機あり、ハーブ、アロマ、フラワーエッセンスなどの自然療法やヒーリングの世界を知り、学び、現在に至ります。


2013年よりピコニコラという名前で活動を開始しました。


植物、音など、自然界に存在するごくごく自然な癒しと、目には見えない多くの世界の話が好きです。


2016年、フェアリードアというものと衝撃的な出会いをし、夢中になり、ピコモリ&ピコ二コラとして自分達でもフェアリードアの制作販売を開始しました。


https://nokoki.stores.jp/




ブログでは、日々のこと、自分自身の心の病を通じて学んだこと、回復について、家族のこと、徒然、思いつくまま書いています。フラワーエッセンスのことや、モノづくりのことも。


 

 

イベントでの様子(オーラスプレーとカードが人気でした。)

 

経歴
北海道出身
大学時代に、デザインの講師として来ていた先生に誘われて、学生時代、卒業後と、札幌市にあるデザイン施工会社でウィンドウディスプレイの仕事をしました。
その頃、個展、グループ展など開催。
 
1992年ギャラリーユリイカにて3人展
1992年ギャラリーたぴおにて2人展
1996年札幌JTインフォプラザにて企画展、2人展「絵本大作戦」
2007年ホクセンギャラリーivory にて個展
 
2004年頃 過労から心身のバランスを壊し、絵と制作の活動は暫く休止。
 
2009年 療養のため三重県に移住
 
2012年ギャラリーイントラート名古屋グループ展「森にもどる」参加
 
2013年ピコニコラとして活動開始

2016年より、ピコモリ&ピコニコラとしてフェアリードアの制作販売を開始

2016年冬 亀山市 山小屋カフェ 望仙荘にて、4人展「リトリート」参加


2023年 ひびうたギャラリーにてマエダハツエ作品展『らくがき標本箱〜日々のカケラと断片集〜』



◆◇◆

“キラキラ光る目で世界中を見つめてください。
なぜなら最高の秘密は常に最も思いもよらないところに隠されているからです。
魔法を信じない人は決してその秘密を見つけられないでしょう。”
 ロアルド・ダール(イギリス人作家)
 
 流れ星ピコニコラの通販ショップ

 

 

 

相手の問題の答えを分かった気になってはいけない。

自分側に見える「答え」は、何処まで行っても自分の人生経験や価値観の中から出て来る答え以上にはなり得ない。

例え、相手の抱えている問題の答えが見えたり、
心が読めた気がしたとしても

自分の方が相手(当の本人)より良い答えを知っていると言うのは、自分の傲慢な考えだと思う。

全ての人が、もれなく自分にとって必要な経験をしている。

どんな人生であっても、それ以上に尊いものはない。

どんな人の毎日も
どんな状態の毎日も
全く等しく
美しく尊いのだと思います。



まずは批判を止める事だ。
自分を穏やかにして過ごす事だ。

自分を知ることからしか始まらない。
教えたり、サポートするだなんて、
そもそもおこがましいことなのだ。

知った気になった途端に足元を掬われるよいつも。