「岩井俊二のMOVIEラボ」~#5 「ドラマ編 パート1」 | 日々のダダ漏れ

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「岩井俊二のMOVIEラボ」

「岩井俊二のMOVIEラボ」

Eテレ 
毎週木曜 午後11時~11時45分
翌週木曜 午前0時~0時40分 (再)

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#5 「ドラマ編 パート1」


ドラマとは、登場人物の行動や行為を通して描く物語
を指します。語源は、ギリシャ語の、ドラン。行動する
という意味の言葉です。人間の行動には、その人の
性格、生き方、ひいては人生が表れます。ドラマ作品
とは、登場人物の、人生を描く事だとも言えるでしょう。

今回は、人生の描き方に注目して、
映画におけるドラマ作品を、見ていきます。


●「市民ケーン」
オーソン・ウェルズが監督主演した「市民ケーン」。大
富豪ケーンの死から始まり、続いて彼の半生をまと
めた、約9分間のニュースシーンが入ります。その後
およそ2時間をかけて、幼年期から死の直前までが
描かれ、ケーンの孤独な人生があきらかになっていく
という作品です。


岩井) 映画を見終わった時に、ふっと変な感覚に陥
    ったんですね。あれ? この話知ってるなと思
    ったんですよね。何で知ってんだろうと思って
    よくよく考えたら、ああ、だって最初のニュース
    で見たじゃんっていう。特に何も変わってなか
    ったんですよね。描かれてる事が。その時に、
    いや、これはすごいなと思って。いろんな意味
    ですごいなと思ったんですけど。まあ、人生っ
    ていう、スライス・オブ・ライフなんて言い方も
    ありますけど。瞬間を描いたりとか、あと瞬間
    をつないだりとか…。考えてみたら、人の人生
    って、まあ、その人80年とか多分あったと思う
    んですけど。まさにリアルタイムでその人80年
    間を描く事は不可能な訳で。結局、じゃあ半分
    なのかっていうと、半分どころか2時間とかで
    描く訳ですから、まあ、ダイジェストな訳ですよ
    ね。限界はあるんだなというか、限界があるか
    らすごいのかもしれないとか。何かいろんなカ
    ルチャーショックが「市民ケーン」についてはあ
    りましたね。
大林宣彦) スライス・オブ・ライフね。人生の、断片
      だよ。人生っていうと、僕が生まれて死ぬま
      でのこういう縦軸のこういうものがあるんだ
      けれども、その一部を、す~っとこうして差
      し出すのが、スライス・オブ・ライフといって。


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人生の断片。スライス・オブ・ライフ(Slice of Life)。
19世紀末、フランスの劇作家、ジャン・ジュリアンが
提唱した、日常の一場面を切り取るという手法です。

アメリカでは、1950年代、主にテレビドラマで、この
スライス・オブ・ライフという手法が人気を博しました。
代表的な作家は、レジナルド・ローズ。彼が脚本を手
がけた「十二人の怒れる男」は、テレビを経て、映画
化されました。現代では、コマーシャルをはじめ、主
に広告の世界で多く使われる手法です。人の一生か
ら、日常の断片を切り取って積み重ねる事により、人
生そのものを表現しようという、スライス・オブ・ライフ。

ここからは、この視点で描かれたドラマ作品を、
見ていきます。


岩井) なんか人生ドラマで非常にユニークな作品が
    1個あって。小津安二郎さんなんですけど。小
    津さんていうとまあ見た事がある人はああいう
    感じかって、多分浮かぶと思うんですけど。僕
    が意外と好きな作品がですね、「父ありき」とい
    う、白黒の、古い作品なんですけど。まあ、父
    親がいて、彼自身は多分、ある人生を生きてる
    んでしょうけど、その中で、息子と会うという所
    だけどを切り取って、つないだという、作品で…。


●「父ありき」
「父ありき」は、ある親子の関係を、息子の少年期と、
成長して社会人になったあとの、2つの時代で描いた
作品です。離れ離れで暮らしていた長い年月は、一
切描かれていません。


岩井) 意外とその、父親の人生の中で、2人が出会
    う回数っていうのは、実はすごく少ないんです
    よね。その少なさが、すごいショッキングな、何
    かこう、人生って切り取り方によっては、すごく
    残酷に見えるんだなっていう。何かそれが一つ
    の映画の、すごいとこでもあり、怖いところだな
    っていう。
大林) 岩井さんのね、切り口に、今僕は耳を傾けて
    いたんだけれども、非常に日常感覚があるね。
    ドラマでも何でもない、普通の日常を、そのま
    ま描く訳だけれども。親子が会った所だけを、
    スライスして取り出すと、そこだけの定点観測
    になるんだな。定点観測することで、それが変
    化するのかしないのか。その変化が面白いだ
    ろう。それによってこの、親子の関係が見える
    だろうというね。


「父ありき」では、親子が一緒にいる事ができた2つの
期間だけで、父と子の人生を描きました。小津監督は、
このようなスライス・オブ・ライフの手法を様々な作品
で使っています。たとえば、結婚にまつわる父と娘の
関係を描いた、「秋刀魚の味」。小津監督は、結婚式
そのものを全く描かずに、挙式前の短い期間と、挙式
後の姿だけで、父と娘の人生を表現しました。


常盤貴子) 正直、小津映画とかの…俳優さん達の
      お芝居の仕方がよく分からなかったんです
      ね。というのは、インタビューとかを見ると、
      皆さん、ここで2歩前に行って、2秒たった
      ら上を見て、そして、す~っと出ていって下
      さい。何を撮ってたか分からないって、皆さ
      んおっしゃっている。その事が、俳優として
      のプライドってどこにあるんだろうって、凄
      く不思議だったんですね。何も考えずにや
      ってるって。「え~? それでプロって言える
      の?」って思ってたんですけど。テレビドラ
      マとかだと、自分が今、お芝居をやったあと、
      確認、チェックの時間があるんですけどね。
      再生する時間。
岩井) プレーバックしてね。
常盤) そう、プレーバックの時間。映画だと、チェッ
    クを見る人は、ダメな俳優っていうか、監督に
    任せない俳優っていう風に思われるんですけ
    ど。ドラマの世界だと、チェックを見ない不真
    面目な俳優になるんですよ。
大林) ああ、そういう事か。女優は映される人で、監
    督は映す人だから、映す人がOKと言えばOK
    で、映される人は映される人だから、見る必要
    ないんだよね。小津さんの映画っていうのはね、
    実は時間軸が…映画って時間芸術だからね。
    これを大事にしなきゃいけない。だから、「お父
    様」言い終わってポンポンと一定の間があって、
    「何だい?」ってなる訳。一コマでもずれたら小
    津さんの映画にならない訳ね。「お父様」と言っ
    た娘が、「お父様」、パチッってまばたきしてね、
    そうすると、その次に答えるお父さんが、
    パチッ、「何だい?」と言ったらどうなる?
    「お父様」パチッ、パチッ、「何だよ?」になるか
    ら、これはダメだと。「お父様」パチッのあとは、
    何もなくて、「何だよ?」と言ってほしいと。
    俳優さん緊張するから、やっぱ「何だよ?」の
    前にパチッとやるよね。それをやるなと言うと
    不自然になるから、やらなくなるまで、何度も
    撮影するので、30回も40回も撮影する。だか
    ら、常盤ちゃんが言ったように、俳優さんは何
    をやらされてんだか全然分からない。でも出来
    上がった映画を見ると、名場面になるんだよね。
    そういう流れがあるから、そこだけをスライスと
    して、取り出してきても、情感も、にじみ出て、
    リアリティーが出てきて、「父ありき」の、その
    スライス・オブ・ライフの部分だけをつないでも、
    それがドラマになるという事になってくる。


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岩井) 映画っていう2時間しかない中で、どこまで、
    何を描くのかと。まあ、どっか人生の断片をス
    ライスして、できるだけ時間的解像度を落とさ
    ずにやるやり方もあるし、人生を全部描こうと
    すると、すごい駆け足になるじゃないですか。
    逆にその駆け足を逆手に取って、何かこう、
    自転車の車輪が高速回転するとしまいには
    止まって見えるような。何かもうそこまで行っ
    てしまえというような勢いで、人生をつかまえ
    てるような作り方というか。
    「ガープの世界」って映画なんですけど。


●「ガープの世界」
原作は、ジョン・アーヴィングのベストセラー小説。
主人公ガープの誕生から最期に至る生涯が描か
れている。1分から3分ほどの短いエピソードを細
かく積み重ねる事で、観客は、主人公の人生を追
体験する。小津安二郎のように日常のある一場面
をじっくりと扱ったスライス・オブ・ライフとは大きく
異なる人生の描き方となっている。


大林) スライス・オブ・ライフで、その瞬間のいい所
    だけを持ってきて、重ねていけば、つながらな
    くても、人生が描ける。これが「ガープの世界」
    の、素晴らしいところで。それはね、スポーツ
    選手の、いい所だけを1秒ずつ切り取ってそれ
    を60秒重ねたら、オリンピックが描けるとかな。
    そういう手法を、映画という2時間枠の中にね、
    持ち込んでいった。まあ、それがジョージ・ロイ
    ・ヒルっていう人のね、1つの発明でもあった訳
    だし。
岩井) そうですね。
大林) でも、これが本当にスライス・オブ・ライフです
    よね。典型的なスライス・オブ・ライフの映画だ。


短く切り取った人生の断片を、細かく積み重ね、人の
一生を描く手法は、この「フォレスト・ガンプ」をはじめ、
その後のドラマ作品に取り入れられ、一つのスタイル
として確立しています。


岩井) 何かこう、人間ドラマを描く時に、どの道ちゃ
    んとは描けないという、映画の時間的制限の
    宿命の中で、どこをすくい取るかという流れの
    中で、どっか物語プラスアルファな…果実か
    らお酒を醸造するように、何かプラスアルファ
    を求めた結果なのかなという、気もしますよね。
大林) 物語プラスアルファ。分かるか? 映像ってい
    うのはね、この情報しか描けないんだよ。でも
    そのプラスアルファっていうのは想像力の中に
    あるんだ。それがあるからスライス・オブ・ライ
    フになるんだよ。実はジョージ・ロイ・ヒルがや
    った事も小津安二郎がやってる事も同じなん
    ですよ根っこは。プラスアルファをやってる訳。
    小津安二郎の映画にプラスアルファなかった
    ら、「お父さん」「はい」って言ってるだけじゃな
    い。その前後があるから、想像力で見るから
    面白いんだね。だから俳優さんも、ここだけち
    ゃんとやってくれりゃ、あとはお客さんが想像
    力で、見てくれるよと。常盤貴子は「うん」だけ
    言ってくれりゃ、そのあとあなたが、こんな顔し
    て立ち上がって出ていっただろうって事は、お
    客さんが感じてくれるよという作りかただから、
    「うん」だけをきちっとやってよという演出が成
    り立つわけだ。


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1960年代に入ると、ベトナム戦争の影響もあり、ハリ
ウッド映画は、それまでのエンターテインメント性に
あふれた作風からの変革を、余儀なくされました。そ
んな中、1972年に公開された、あるドラマ作品が、記
録を大幅に更新する興業収入をあげます。フランシ
ス・フォード・コッポラ監督の、「ゴッドファーザー」。
従来と異なる映像表現で、ドラマ作品の金字塔とな
りました。


岩井) やっぱり、衝撃でしたね。何か。
    それまでの映画とやっぱ全然違う。
大林) 違うもんね。
岩井) もう、すごい、我々世代だったらそのインパク
    ト受けましたよね。何らかの…。
岸野) コッポラがだから、それまでのアメリカ映画を
    とにかく研究し尽くして、それを自分の中に、取
    り込んで、もう集大成をやりたいみたいな。
岩井) 自分なりの解釈なんですけど。何ですかね?
    匂いみたいなもので、何か…。それは一体何
    が違うのかっていうのはね…。
大林) あのね、今の岩井さんの言葉に、重要なポイ
    ントなんですよ。匂いがしたって言ったでしょ?
岩井) ええ。
大林) ここなんだね。匂いがするって事は…映画は
    匂いしないんだよ。想像力で匂いを感じる訳だ。
    風景にも匂いを感じる。人が映ってても人の心
    の匂いを感じる。こういう想像力でドラマを作る。
    あるいは、そういう想像力をもってでしかドラマ
    を描けないというね。そういう時代に来たんだと
    思うんですよ。


●「ゴッドファーザー」
実話に基づいた小説を映画化した作品。1940年代
のニューヨークを舞台に、イタリア系マフィアの抗争
を描いている。従来のギャング映画ではほとんど描
かれることがなかった、生活感のあるシーンも多い。


樋口尚文) だんだんいろんな映画を遡って見るよう
      になってきて、例えばハワード・ホークスの、
      「暗黒街の顔役」とか見てしまうとですね…
      「ゴッドファーザー」って映像主義の映画で
      すよね。


●「暗黒街の顔役」
実在のギャング、アル・カポネをモデル
に主人公の栄光と破滅を描いた作品。
迫力あるアクションシーンが、後の
ギャング映画に大きな影響を与えた。


大林) 君たちが今見ると、この「暗黒街の顔役」なん
    てのは、味もそっけもない。つまり匂いなんか
    何もない映画だ。そのかわりビシッと見事に切
    れ味のいいね、これぞハリウッド製ギャング映
    画ですよね。
樋口) ちょっとマッチョな映画ですよね。
    言ってみれば。
大林) うん。映画には匂いでないんだから、匂い抜
    きできっちりした映画になってる訳。その映画
    作法を学びながら、そこにプラス匂いを入れて
    いこうってのがね、やっぱり「ゴッドファーザー」
    コッポラの時代の。


ゴッドファーザーの原作は、イタリア系アメリカ人の、
マリオ・プーゾ。映画化にあたり、同じくイタリア系の
フランシス・フォード・コッポラが、監督に抜擢されま
した。コッポラは主人公の一人にイタリア系アメリカ
人俳優アル・パチーノを起用。撮影地の1つにイタリ
リアのシチリア島を選び、音楽はイタリア人のニーノ
・ロータに依頼した。


大林) この音楽がいいでしょう? ギャング映画にこ
    んな音楽はかからないんだよ。ねっ? だから
    ジャンルが崩壊したんだよ。ギャング映画とい
    うジャンルがね。これはホームドラマになっち
    ゃったんだ。それまでのギャング映画っていう
    のはなぜか、アメリカ人が作ってたんですよ。
    だからアメリカ版の、イタリアギャング映画に
    なっていたんだけど、イタリア人が撮ったから、
    ギャング映画を超えて、家族の問題とかね、
    食べ物の問題とか、イタリアの匂いをそこに
    入れてった訳だ。だからそれまでのギャング
    映画と違うのは、あそこにイタリアの匂いが。
    コッポラとしては匂いを出したかった訳。でも
    これはね、完全な商業映画だったの。エンタ
    ーテインメントとしての。僕なんかもよく出来て
    るよ、これは職人だよ、コッポラはと。だけど
    岩井ちゃんたちの世代は「PART 2」の方がい
    いんじゃない?
岩井) そうなんですよね。そうそう。
大林) でしょう?
岩井) まさにそうなんですよ。
大林) 「PART 2」っていうのはね、「PART 1」と全然
    違うのよ。作家の映画になっちゃってんだ。
    つまり、大衆作家だった「PART 1」のコッポラ
    が、「PART 2」では芸術家、芥川賞の作家に
    なっちゃったんだよ。大ヒット作を作って。本当
    ならそっち行きゃあさ、もっと出世するし、お金
    持ちになるのにさ、敢えて、自分の観客を捨て
    て、極めて芸術的な「PART 2」を撮ったってと
    ころがね、コッポラの冒険だったわけだ。


●「ゴッドファーザー PART 2」
コッポラが映像の質感に徹底的にこだわった、
「ゴッドファーザー PART 2」。

前作よりも意識的にセリフを減らし、
登場人物の感情を映像で表現した。
この時代から、映像でドラマを物語
る作品が数多く生まれていく。


**********

岩井) 1980年、僕が高校3年の時の冬に、NHKの、
    何かやってたんですよ。最初見ると、ドキュメ
    ンタリーかなと思って。ドキュメンタリーだった
    ら何か、テーマがあるじゃないですか。特に何
    もないものが映っていて。何だこれはって見て
    るうちに、引きずり込まれた、不思議なドラマ
    があったんですけど。


●「四季~ユートピアノ~」
主人公は雪国から上京し、ピアノの調律師となった
栄子。彼女の過去の記憶と日常が、映像とモノロー
グによってつづられていく。演出の佐々木昭一郎は
一般人を俳優として起用。ありのままの風景や生活
にカメラを向けて、ドラマを作り上げている。


常盤) 何これ、素敵。
岩井) 素敵でしょ?
常盤) 素晴らしい!
岩井) やっぱ80年代、70年代辺りから出てきた新し
    いものというか…すごく雰囲気だったり、見え
    ない感覚みたいなものに、随分触れた時期で
    もあったのかなという。本当に、学生時代、ま
    あ、かぶれて、真似したりしてみたりするんで
    すけどね。体を成さないんですよ。ただ雰囲
    気で、何か真似してみて、何か、リンゴ持った
    女の子歩かせてみたり。それを8ミリで撮った
    りしたところでね、大したものにならないという
    のはね、嫌というほど学生時代思い知りまし
    たけどね。結局、何が足りなかったかというと、
    やっぱり物語なんですよね。こういう形をして
    いても、やっぱ物語があって、語りかけてくる
    ものがあるんで、形になってるわけですけど。
大林) 空気感を大事にしようと思ったのかな?
岩井) そうですね。
大林) 岩井ちゃんの言う匂いであるとか、ノーメー
    クの素顔のその辺にいる人たちの、何でもな
    い笑顔や、悲しみや喜びを、そこにスライス・
    オブ・ライフで、日常の中にキャメラを持ち込
    んで。それがいかにドラマとして描けるかとい
    う事をやり始めたのが、佐々木さんや僕たち
    の、世代でね…。


「四季・ユートピアノ」の演出、佐々木昭一郎。
そのほかの作品でも、ドキュメンタリーとドラマの要
素を併せ持つ、独特の映像表現を披露し、後のクリ
エーターたちに、大きな影響を与えました。


大林) 映像に流されてないね。
    映像が全部、きっちり、言葉を持ってる。
岩井) 表現の仕方を、更にいろんな形で…ある種
    映像主義だったりとか、映像独自が持ってる
    ところに、もうちょっとこう、いろんなものを見
    いだそうとしたりとか。
大林) そんなふうな事がね、実はもう「ゴッドファー
    ザー」の時代から、始まっていたのね。だか
    らコッポラだったな。あの時代既に、これから
    は一台の家庭用の、ビデオキャメラが、新し
    い作家をつくるだろうと、彼自身がそう宣言し
    ましたよね。


**********

スライス・オブ・ライフ…なんだね、物語っていうのは。
人生のどこを切り取り、つなげるか。映画でも小説で
も、その切り取るセンス、選ばれ、与えられた情報か
ら、自分なりに想像をつなげる作業が楽しいのかも。
同じドラマを、映画を観ても、ビックリするほどそれに
対する感想が違うのは、スライスされた人生の場面
をそれぞれの感覚で解釈し、想像しているからなん
だろうね、きっと。監督の意図は確実にあるだろうけ
れど、その意図とは全く違う解釈が起こり得る。それ
が面白いなあと。自分の経験、環境、感覚で、目の
前の映像は解釈され、想像する。だから、年を取り、
経験値があがったとき、改めて見た物語が、全く別
の物語に見えたりもする。昔、分からなかったものが
分かったり…見えなかったものが見えてきたりする。
感じないはずの匂いさえ感じられる、想像させてしま
うような映画。あまりに有名すぎてちゃんと観る気に
ならなかった「ゴッドファーザー」が、観たくなりました。



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