5年前の今日
2011年3月11日。
東京も揺れた。
何人もの友人から連絡がきた。
パソコンを持っていないアメブロの友人が、泣きながら電話をしてきた。
「パソコンで調べてほしい」
「いとこ夫婦が釜石にいる」
「心配でたまらない」
と。
Twitter(ツイッター)がライフラインとして生きていた。
ほかにも、災害用伝言板、伝言ダイヤルの情報を彼女に伝えることができた。
友人は、「できることをする!」と電話を切った。
(後日、友人より「いとこ夫婦は無事避難した」と連絡をもらいました)
ネットでは
アメブロでは、アメーバなうで必死に呼びかける人が何人も何人もいた。
「ネットの向こう側にいてほしい」
私も呼びかけてる人の気持ちが痛いほどわかる。わかるのだ。
「どうか!」と思わずにはいられない。
何をすべきか、何ができるのか。
わが家の家族では
その日、夫は帰宅難民になった。
電車、バス、公共機関の交通網が打撃を受けて動かない。
徒歩で新宿から自宅のある吉祥寺に向かうと言う。
奇跡的につながった携帯でナビゲートする。
まだ、スマホが普及しておらず、私も夫もガラケーだった時代。
NHKテレビや気象庁の発表で、「大きな余震がまた来る可能性が報道されている。
大急ぎで、災害時に危険のある場所を検索しまくる。
古い家屋のある場所や、少しでも危険のある道を避け、代わりに通るべき道路を案内する。
「井の頭通りの○○付近は、横断歩道で反対側に渡って三鷹方面へ」などと。
夫が豆だらけの足で吉祥寺までたどり着いたのは、2時間ほどした夜。
JR中央線なら、快速で15分。
新宿から数えて7駅目が吉祥寺。
なのに。
父のふるさと
そして、私の実父の故郷は東北。
いまは亡き父(2012年4月2日 没)の、さらに、私自身の縁者もかの地にいる。
支援するために
今年も私は、「できること」をする。
これからも精一杯していく。
Webライターになった理由のひとつは、「必要な人に必要なことをするため」だから。
⇒5年前にわが家であったできごと
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