語録61
わたしは全体であるものから来た。わたしは「父」から与えられている。ゆえに言う。全体であれば光で満たされるが、ばらばらであれば闇に満たされるであろう。
I am the one who comes from what is whole. I was given from the things of my Father. Therefore, I say that if one is whole, one will be filled with light, but if one is divided, one will be filled with darkness.
『神の使者』 で、パーサはこの言葉と語録47を直接結びつけ、こう述べている。
「さっきの話に戻ると、言い換えれば、あなたがたは両方ではあり得ないってこと。少しだけ全体であるなんてことは、少しだけ妊娠しているのと同じで不可能なのよ。忠誠の対象は分割できない。ただ神にだけ心を注ぐべきなの。一朝一夕でできることじゃないし練習がいるけどね。」
この言葉はコースにとても似ている。 また、アーテンとパーサがはっきり信頼できると見なしていた、新約の放蕩息子のたとえへの暗示も含んでいる。 実際コース自体も、それを引用しており(T-8.Ⅵ.4参照)、エゴと聖霊の間の選択は、二者択一、白か黒のものであることを明らかにしている。そして、その二つの思考体系のうち、一つだけが本物である。それは、全体性、私たちの正しい心、そして聖霊の家を反映している。
(野口博和訳)