語録94 | パーサによるトマスの福音書

パーサによるトマスの福音書

Closing the Circle: Pursah's Gospel of Thomas and a Course in Miracles

「神の使者」、「不死というあなたの現実」で再生された、トマスの福音書について書かれた「Closing the Circle」の和訳です。

野口博和さんから以前頂いてた、和訳をアップしています。

 語録94

Jは言った。「求める者は見つける。 叩く者に、扉は開かれる」

J said, “One who seeks will find. And for one who knocks, it shall be opened.”


『The Disappearance of the Universe』のp.80で、Pursahは、この言葉が語録95と共に、新約の「続編」のさらなる二つの例だと示している。そして彼女は、自分とArtenは彼らが本物だと感じる新約の他の言葉にもしばしば触れるだろうと加え、こう強調する。:
「でもその意味は、あなたがたが普通考えているようなものと必ずしも同じとは限らないでしょう。」
“…but the meaning will not always be the same for us as you are generally used to thinking of it.”

あとの部分は、もちろん、特にACIMの始めの方の章で、イエスがしばしば示す聖書やキリスト教への修正と一致するものである。言い換えれば、彼の教えからの逸脱を表しているのが聖書やキリスト教なのである。

典型的に、私たちが自我と共にイエスに耳を傾けるとき彼を誤解してしまうのは、常に段階の混同を通してである。それゆえ、彼が「パン」について語るとき、私たちは、物理的なパンを視覚化し、彼がどれだけしきりに、その種の「パン」についてではなく、譬で語っていたことを気付かせようとしているか、少しも気にかけないのである。

 その他の点に関しては、この言葉は、コースの言明、「結果は神のように確かである。“…the outcome is as certain as God.”」(T-2.Ⅲ.3:10)と同様に、安心を与えてくれるようにみえる。

また私たちは、次のことを思い出すかもしれない。:
「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」とは、「皆招かれるが、耳を傾けようとする人は少ない」とあるべきである。それゆえ、彼らは正しい選択をしていない。「選ばれた人たち」とは、単に、すぐに正しく選んだ人たちのことである。正しい心は今これを行うことができ、彼らはその魂に安らぎを見出すだろう。神はあなたがたを平安のうちでのみ知っており、これこそがあなたがたの現実である。

“Many are called but few are chosen” should be,“All are called but few choose to listen.” Therefore, they do not choose right. The “chosen ones” are merely those who choose right sooner. Right minds can do this now, and they will find rest unto their souls. God knows you only in peace, and this is your reality. (T-3.Ⅳ.7.12-16)

(野口博和訳)